巻頭論攷
百年前 (1913~1914年)のBAA火星課の観測
(そのⅢ)
原文
E.-M. アントニアヂ 著す
南 政 次; 解題
CMO/ISMO #436 (
以下の稿は CMO#431、#434において今から百年前のBAA火星課の観測のユゼーヌ・アントニアヂによってなされた報告の紹介レヴューの続編であるが、今回はその第三部で、本文の第三節の紹介である。アントニアヂは1896年から1916年まで火星課をフランスから指揮し、十回の接近の報告を書いている。1913|1914年接近は最後の接近の一つ前で、視直径は15秒角で小接近だったが、視赤緯は26°Nを越え、地球の北半球からは南中時火星は天空高かった。
第三節のメインはSolis
Lacusであって、興味はあるが、小接近でもあるので、然程のことは書かれていない。Section
IIIの取り扱う範囲はΩ=070°W~120°W、であるからTharsisも範囲に入るから、山岳地方の記述を幾らか期待したが、Ascræus
Lacusが登場するだけで然程のことはない。こういった点を比較するには大接近時の観測を参照した方が好いのであろうが、実際にはAntoniadiの段階では(終生)、彼らの観測数が少なくて(というか網羅的ではないので)Arsia
Silva、Pavonis
Lacus、Ascræus
Lacusが三連を成すというアイデアは全く浮かばなかったのだと思う。朝方のタルシス山系の暗点群は季節的にはλ=090°Lsぐらいからであって、1914年の時点では季節的に未だ早いのであるが、1916年には可能であったかもしれない。しかし、Antoniadiの最後の1916年報告でもこのあたりの観測は十分ではない。季節的な観点からは1908年には上手く観測網を張れば検出された可能性は大いにあった。つまりAntoniadiは機会を逸したということである。もう一言付け加えると、Antoniadiのような整理の仕方では新しい観測のスタイルは生まれてこないであろう、という感想を持たざるを得ない。
今回、紹介するSection
IIIは、前述の様にそのものずばりタイトルはSolis
Lacusである。つまりSolis
Lacusを含む領域ということである。繰り返すが、この腑分け方はBAAに伝統的なもので、Section
IIIがSolis
Lacusというタイトルなのは、たとえば、1909年の大接近の時でも同じである。最初レヴューする次のBosporus
Gemmatus模様は、1909年にも同じ様にトップに採り上げられている。
BOSPORUS
GEMMATUS: これは1913|1914年期には弱かった。これを濃く描いたスケッチはThomsonの26Janのものだけである。
AONIUS
SINUSはPhillips (21Dec at ω=097°W)
(図参照)にも、Thomsonにもディレクター(Antoniadi、1Mar
at ω=112°W、28Feb
at ω=141°W)にも見分けがつかなかった。しかし、McEwenは7Octに「明確に輪郭が出ている」とか、10Novや16Decには「明らかに見える」とか、7Aprには「北端に向いて確実」とか11、13、14Aprには詳細が最も濃いとか、15|16Aprには「非常に濃い」などと記述しているようだ。
T E R PHILLIPS' sketch on
ω=097°W, φ=7° by the
use of a 12Œ Spec.
THAUMASIA: Phillips、Thomson、Antoniadiのみるところでは、これはAonius
Sが極端に淡いため、輪郭が出るのは東部ないし南東のみである。この形はディレクターさんは火星図に纏めている。McEwenに依ればThaumasiaの南東部が現れるときは白く(6|7Sept)、南西部は輝くように白い(10Oct)。彼はまた「この土地」は13Octに輝いて出てきた、としているし、その南部は24Decには白く出現し、27Decには全体がCMでも白く見えたようだ。Thomsonは22Janに沈むときに白いと見ている。McEwenには7、9Aprに(何を観察したのか記述がない-Thomsonと同じということか?わからない)、そしてMcEwenは14Aprに「この土地」は再び明るくみえた、とある。
行を改めて、21DecにはPhillipsがSolis
Lacusの真西のThaumasia内に白斑を描いている。一方、Thomsonは26JanにThaumasiaの後方越えに「明るい斑点」と書いている。Phillipsが1911年に、ディレクターが1909年にほとんど同じものを見ているので、この明るい部分は継続的なものと思われる、とある。
AUREA
CHERSOはMcEwenに依れば東方へ浸食しAuroræ
Sinusに至っているように見える。この観察はThomsonが26Janに依って肯定されているが、Phillipsの21Decが否定している。
SOLIS
LACUS: Thomsonやディレクターには卵形に見えた。Phillipsには西洋梨型でもっと微細があるようである。時に濃かった。McEwen、Phillips、Thomsonそれにディレクターのデータではこの「湖」は9Novに見掛け濃く、10、11Novには識別不能だったが、16Decと20Decには弱く、21Decには非常に濃く22Decには不識別、27|28Decには見えず、23|24Janには非常に濃く、26Janにはノーマルに濃く、31Janには見えず、28Febには非常に弱く、1Mar、6Marには非常に淡く、9Aprから16Aprにかけては再び識別不能になった。
上の記述からすると、Decemberでのソリス・ラクスの濃度変化は急激で、異様に見える。しかし、資料にはたとえば黄雲活動のようなものは書かれていない。Thomsonの22Dec
ω=072°Wのスケッチは前出の21Dec ω=097°WのPhillipsのスケッチに比較すると非常に奇妙で、Solis
Lacusの片鱗も見えないのであるが、余りに違いすぎて、何も言えませんな。何かの間違いがあると思う。こんなことAntoniadiにも明白だろうが、離れたところで、会合もなく、タイムリーな指導しているわけではなく、違いがあっても後の祭りであろう。
DÆDALIA: 異常なところは見られない由。
TITHONIUS
LACUSはPhillipsやThomson、それにディレクターにはその通常の複合的な形を見せていた。W型の構造はPhillipsによって捉えられているし、Ceti
Lacus やMelas
Lacusなどの成分はThomsonによって捉えられている。これらの観測者、それにMcEwenのスケッチに依れば次の様な具合である。この「湖」は明らかに9Novには捉えられていない。10~11Novには非常に淡く、16Decと20Decには識別不能、21Decには濃く、再び22Decには識別不能、27|28
Decには弱く、26Janには濃く、31Jan、28Feb、1Marと6Marには弱い目、以後は見えることはなかった、という具合である。
PHNICIS LACUSはPhillipsが21Decのスケッチに卵形の節として描いている(図参照)。
LACUS
ASCRÆUSはPhillipsによって同じ日に非常に冴えない暈けた汚れsmudgeのように微かに暗示している(図参照)。Ascræus
Lacusの認識には多分「暗点」という視点が未だ無いようだ。スマッジと暗点は違う。「暗点」は19世紀の終わり1894年にリックのE.E.
BARNARDによって綺麗に検出されていたのだが、そういう話は伝わらなかったものか。なお、1909年にはPavonis
LacusをAntoniadiは導入しているが、両者の距離は近すぎるように思う。Arsia
Silvaは1894年にL.-A.
EDDIEの命名ともP. LOWELLの命名とも言われるが、Antoniadi自身はArsia
Silvaを見ていないのではないかと思う。
McEwenは13OctにAscræus
Lacusを見ており、31Janには「はっきりと見える」、10Marには暈けている、とある。
OPHIR: 22Novと27DecにThomsonは白く出てくるところを見、ディレクターは28Febに輝いて沈むところをみた。14AprにはMcEwenは「非常に白い」と記述している。
THARSISはThomsonが22Decに白く出て来るところを見、17Janと24JanにPhillips、27JanにはThomsonがTharsisの白く沈むところを見ている。
ASCURIS
LACUSが10Nov、31Jan、9Apr、14AprのMcEwenのスケッチにCeraunius運河の根元に暗い目の斑点として出ている。
MÆOTIS
PALUSは6Oct、7Oct、15AprのMcEwenスケッチ、21Dec(図参照)、17JanのPhillipsのスケッチに大きな暗い固まりが描かれ、これがMæotis
Pと見られる。
以上が本文である。最後に文字フォントを小さくしてMinor
Detailが書かれていて、Agathodæmon、Ceraunius、Chrysorrhoas、Nectar、Nilusの項目が見える。AgathodaemonとCerauniusの観測者にはMcEwen、Thomson、Phillips、Directorが登場する。どれも運河の幅について2°とか3°、4°というような記述がある。
なお、英文の方には出来るだけAntoniadiの英文を保存してあるので(" ")、観測記述の場合、参考になると思う。□