98/99 Mars CMO Note (11)

1998/99 Mars CMO Note
- 11-

from CMO #232


-- アスクラエウス雲の消長 --


 ◆アスクラエウス雲については、CMO #215 p2465 (10 Apr 1999號)に新しい概念として導入した。これは、アスクラエウス・モンスの裾野からオリュムプス・モンスにかけて谷間に棚引く雲/霧で、1997年の場合098゚Lsで甚だ顕著に見えたものである。そこで採り上げた聨續觀測は、31 Mar 1997 (098゚Ls)のものであった(Mn-464D〜Mn-473D)。尚、前日30 Mar 1997 (097゚Ls)ω=094゚WにHSTが詳細に亙る畫像を得ている(CMO #191 & #211參照)。

HST's images on 30 Mar 1997 (097゚Ls)ω=094゚W
◆アスクラエウス・モンスの西經がΩ=104゚W、オリュムプス・モンスがΩ=133゚Wであるから、アスクラエウス雲はΩ=120゚Wを中心に圓形に擴がっているとみて好いであろう。

◆1997年の衝は18 Marであったが、月末には位相角ι=11゚であったから、HST像のアスクラエウス白雲の地方時(LMT=Local Martian Time)は略次の様に計算出來る:Ω=120゚Wの正午(noon)線からの角度は120-94+11=37゚、これを時間にすると約37/15=2.5h、從ってΩ=120゚WのLMTは略9:30amだったということになる。上の31 Mar 1997のMn-471Dもほぼ同じLMTである。

◆尚、QUARRA (GQr)氏の8Apr1997(101゚Ls)ω=091゚Wの像にもアスクラエウス雲は顕著である(CMO #201 p2246參照)。

◆この谷間の雲は當然朝方に強く發生し、午後には弱體化し、アスクラエウス・モンスの夕方の山岳雲に代わるが、一定の期間その現象を日ごと繰り返す。1999年の觀測は1997年のデータを継ぐので、後半が觀測出來た訳である。

 ◆實は、このアスクラエウス白雲の顕著な姿は、1982年の18、19Apr(114゚Ls)に筆者(Mn)は足羽山の450×15cm屈折で觀察している。ιは15゚で、ω=092゚Wで9:10LMTだが、この時から暫くは顕著で、ω=132゚Wでお昼だが未だ見えている。(18 Apr 1982 ω=092゚Wの像はCMO #201 p2247に掲載。)
◆1984年の紀録では、衝前の三月末で126゚Lsだが、視直徑が充分でなく、觀測數も少なく、然程明白な觀測がない。次の五月初旬には視直徑は充分になった(δ=17.0")が、季節は既に143゚Lsで明確な白雲は見られなかった。
◆1999年も1984年に似て、この白雲の全盛の觀察には不利で、三月中旬に109゚Lsで當該箇所が日本から見えて來たが、未だ視直徑はδ=11.5"で充分でなく、天候の所爲で觀測が揮わなかった。四月の中旬、例えば14Apr1999(124゚Ls)ω=115゚W(Mn-399D)以下で、この白雲が觀測されている。1999年はこの白雲の動向の後半の觀測に適していたわけで、日本からは16May(140゚Ls)から再度この地方が見えたが、この點については後述する。

 ◆このNoteの目論見は、アスクラエウス白雲の消長を1999年の觀測で追跡することであるが、この點に就いては唐那・派克(DPk)氏の觀測が聨續しており、CCD像は小さい視直徑にも強いから、主にDPk氏の結果からその動向を見ようとするものである。
◆われわれの結果と併せて、結論から述べると、9:30LMT頃の動向は、095゚Ls〜120゚Ls邊りでアスクラエウス雲はピークを成すが、135゚Lsでは、未だ存在するものの、可成り弱くなっており、140゚Ls邊りで殆ど消失する、ということになる。


 ◆最初の像はDPk氏のアスクラエウス白雲を捉えた像を並べたもので、9:30LMTに近いものを選んである。ιのずれがあり、當然noon線が移動するから、ωは一定しない。
 1) 最初の像は1997年のDPk氏のもので(18 Apr 1997)、季節は106゚Lsである。31 Mar 1997 (098゚Ls)より後であるが、未だ白雲は恒常的に濃い。
 2) 次の27 Feb 1999(103゚Ls)ω=052゚Wの像は視直徑δ=10.2"で、鮮鋭度は無いが、季節は同じで濃く出ていると見られる(特にB光)。
 3) 3 Apr 1999 (119゚Ls)ω=071゚Wは9:50LMTの像だが、未だ濃く出ている。
 4) 次いで、5 May 1999 (134゚Ls)ω=091゚W (9:30LMT)では可成り淡くなっている。DPk氏の7 May 1999 (135゚Ls)の觀測では、8:00LMTに相当するω=072゚Wでは未だ可成り濃いが、急速に弱くなる。
 5) もう一回り後の10 June 1999(152゚Ls)では9:30LMTでは最早見られない。

 ◆我が方からは16 May 1999 (140゚Ls) ω=108゚Wからこの領域が觀測可能となっているが、最早濃いアスクラエウス白雲は見られていない。從って、140゚Lsが限界であろう。#230 p2715掲載の21 May 1999 (142゚Ls、ι=21゚)のω=081゚WでのMnのスケッチは8:00LMTのものであるが、朝雲は消失して見えない。p2717掲載のDPk氏のCCD像はもう一回り後の14 June 1999 (154゚Ls、ι=37゚)ω=081゚Wで、更に早く7:00LMTだが、B光にも引っ掛からない。

 ◆もう一つのファイルは11:00LMT頃のDPk氏の像を選んだものである。30 Mar 1999 (117゚Ls)には未だ11:30LMTではアスクラエウス白雲は濃いが、3 May 1999 (133゚Ls)の11:00LMT過ぎでは、問題の白雲は弱く、谷間から離れて、アスクラエウス・モンス側とオリュムプス・モンス裾野に分裂していて、山岳系の雲が發生しかかっている(アスクラエウス・モンスは既に午後に入っている)。尚、30 Mar(117゚Ls)でもω=109゚W には既にΩ=120゚Wは午後だが(ι=20゚)、DPk氏のカラー像では谷は最早赤味を帯びている。

 ◆以上で、9:30amLMTを中心に、アスクラエウス白雲の季節的な變化をみた。オリュムプス・モンスの夜明けの前から、アスクラエウス・モンスの後方の谷に低く白雲/白霧が立ちこめ、可成りの午前中強く存在するが、140゚Ls邊りから、早朝は兎も角、9:30LMTには擴散してしまうようになる。ピークは095゚Ls〜120゚Ls邊りであろう。
 それ以前の例としては、1997年の矢張りDPk氏の像の内、13 Mar 1997 (090゚Ls、ι=04゚)ω=078゚Wは興味深い。この時Ω=120゚Wは、9:30LMTである。判定は難しいが、縁にある白斑はオリュムプス・モンスに関わっていて、アスクラエウス白雲はその前方だと思われる。すると然程白斑は顕著ではない。從ってピークはこの後だと思われる。更に初期の例としては30 Dec 1996 (058゚Ls)に撮られたHSTの像(ω=045゚W)がある。角度は厳しいが、アスクラエウス白雲は見付からない、と思われる。

 ◆この例は、山岳や高地に發生する雲とは異なる機構のもとに稍低空に發生する雲/霧であって、氣象の觀點から山岳系雲とは違った興味深い例である。

(南)