★この意味で、訂正旁々追加しなければならないのは、火口に懸かる雲でもないのに拘らず、モンスという呼稱を使ったことがあることである。#188p2049での"朝方のアスクラエウス・モンス"がその例である。31Mar1997ω=058゚Wで見えたものが“アスクラエウス・モンスと思われた”とあるが、この明部は#191(May1997)や#211で引用した30Mar1997のHSTの青色光像によれば、アスクラエウス・モンスの西に流れる低い雲で、寧ろ丁度アスクラエウス・モンスとオリュムプス・モンスとの端境にあると思われるものである。この日(31Mar1997、098゚Ls、δ=14.0"、φ=24゚N、ι=11゚)の筆者の觀測は次のようであった。
LCM Seeing
Mn-464D ω=000゚W very poor
Mn-465D ω=019゚W moderate
Mn-466D ω=029゚W very poor
Mn-467D ω=048゚W very poor
Mn-468D ω=058゚W moderate
Mn-469D ω=068゚W very poor
Mn-470D ω=078゚W moderate
Mn-471D ω=092゚W moderate
Mn-472D ω=102゚W moderate
Mn-473D ω=112゚W good
ここで、LCMが不規則なのは、雲に遮られているからである。この中から、#188で觸れたMn-468DとMn-470D、Mn-471D、Mn473Dを引用する。
ωの點からはMn-471DがHST像に近いものである。朝方から入ってくる白斑をω=058゚Wの時點からアスクラエウス・モンスと見たわけであるが、これは先程述べたように、アスクラエウス・モンスの西側に低く棚引く霧か霜の類であろうから、以後“アスクラエウス雲”と稱えることにする。ω=058゚Wの段階で可成り顕著なものである。既に#201に引用した27Marのスケッチ(Mn-441D)がω=054゚Wであるから、ω=058゚Wでアスクラエウス・モンスの火口を捉えることも可能であったかもしれないが、この時は白斑に氣を奪われたということであろう。
★實は前日がHST合であることは豫め知っていた。從って前日も觀測し、ω=091゚Wのスケッチも行なっているのであるが、雲が横切っていてシーイングは優れなかった。但し、白斑は検出している(27Marもω=064゚Wでは輕く捉えている)。
★30Mar1997のHSTの像で、アスクラエウス・モンスの雲の無い火口が地方時でどの程度であるかは今後の比較の爲に重要である。ω=094゚Wとし、衝後ι=11゚から、アスクラエウス・モンスをΩ=104゚Wとして、正午前(104-94+11)/15=1.4であるから、午前10時半ぐらいになる。一方、別項で述べたように最新(30Mar1999、偶然丁度二年後)の唐那・派克(DPk)氏の影像から、オリュムプス・モンスが午前10時40分では山頂に雲が出ているので、極めて微妙なところである。但し、季節は097゚Lsから117゚Lsに進んでいる他、アスクラエウス・モンスとオリュムプス・モンスに違いがあるかもしれない。この點は今後の課題である。
★實はもう一つ呼稱の問題がある。#188p2050/51で觸れた様な“赤黒い”濃紅領域の顕著な部分にルナエ・ラクス後方の“暗部”がある(例えば#211 p2396のSWb氏のスケッチで云えば、テムペの南西に濃く描かれている)のだが、これの呼稱である。古典的な火星圖と比較すると、アスクラエウス・ラクスに相當するだろうが、アスクラエウス・ラクスはアスクラエウス・モンスに昇格しているという考え方(實はこれまで『火星通信』ではその立場であった)を採ると、マレオティス・ラクスとすべきかという考え方もあって、例えば、#190p2082等ではマレオティス・ラクスとしていたのもその理由に拠る。
★然し、アスクラエウス・モンスが寧ろ名附け間違いで、アスクラエウス・ラクスという名稱は温存できるとも考えられるのである。そこで、これからは積極的にアスクラエウス・ラクスという呼稱を用いることにする。