気炮

 国友一貫斎は、家督を譲るころから最晩年にかけて、さまざまな発明を行っております。これは、太平の世がつづいた江戸時代を通じて、家業の火縄銃生産が次第に衰退しつつあったことに関係があります。鉄砲鍛冶があらたな産業を起こしひきつづいて国友村が繁栄してゆけるように、新たな商品開発をめざし、情報を仕入れ、いろいろ試行錯誤を繰り返した努力のたまものであります。また伝え聞く西欧列強の武器が火縄銃ではなく、新しいものに変わりつつあったことも意識して、期するところがあったのでしょう。

 一貫斎は、蘭学者山田大円の声がかりで将軍家のオランダ製空気銃を文政元年(1818)に修理しました。分解修理の際に、徹底的にその機構を調査研究したのはいうまでもないことで、翌年には国産初の空気銃(彼は「気炮」と名づけました)を完成させています。その後、諸候から請われるままに気炮の実演を行い、製作納入しました。平戸の松浦史料博物館には一貫斎の納品の手紙とともに、完全な一式が伝わっています。


冨田良雄 2009年10月20日(河村聡人 2022年5月12日改訂)

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