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(1) 2001年火星観測: 主な現象
2001年の火星観測は大シルチス(Syrtis Major)の ブルークリアリング(blue clearing)の検証、南極冠の大きさと後退速度の 測定、赤道地方を取り巻く雲帯の末期の状態、北極雲の発生から安定する までの状態の追跡を目的として行われました。(赤道雲帯については 中串孝志氏の記事を参照して下さい)。 観測結果として、2001年の火星は例年と比較して異常気象であったといえます。 それは次の点から推測されます。(1) 異常に早い時期に大黄雲が発生しました。 過去の記録によりますと大黄雲は南半球の仲春以降に発生していますが、2001年 では早春に発生しました(火星から見た太陽黄経 Ls=185)。 2週間ほどで火星のほぼ全域が黄雲でおおわれ、明暗模様の見えない状態が 2ヶ月間続きました。 (2) 南極冠は小さめでありました。晩冬に南極冠を確認でき(Ls=173)、その時の 極冠の縁は南緯60度付近にありました。 例年ですと南緯55度付近にありますから、南極冠はやや小さかったといえます。 南極冠はLs=190頃までほぼ同じ大きさを保っていました。 その後は大黄雲のために見えなくなってしまい、貴重な観測好機を失って しまいました。 (3) 北極雲は例年通り北半球の晩夏に発生しましたが、不安定な状態が 長く続きました。通常は秋分頃から安定するのですが、2001年ではLs=200頃 から安定し本来の北極雲になりました。 2001年の観測のメインテーマは大シルチスのブルークリアリングでした。 ブルークリアリングの主な原因として1982年の飛騨天文台の観測から、低緯度帯の 雲の影響と衝効果とが提案されています。衝効果は地面の反射の仕方による もので、位相角が小さくなる衝付近で地面の明るさが急に増加し、衝でピークに なる現象です。 火星では可視光線の全波長で衝効果がみられます。 しかも明るい地域の方が暗い地域よりも衝効果が大きくなっています。 即ち、衝付近では明暗のコントラストが大きくなり、大シルチスなどの 暗い模様が見えやすくなります。 通常、青色光では火星地面の反射能は何処でもほぼ一様で、明暗模様は 目立たないのですが、衝付近ではそれが目立つようになります。 過去の記録によりますと、毎回衝付近でブルークリアリングが見られるとは 限りません。 観測年あるいは火星の季節によっては衝効果を打ち消すような作用がおこるの かもしれません。 2001年では火星北半球の秋分直前に衝となりました。 この時期は火星大気中のダストが最も少なく且つ雲も少なくなりますから、 衝効果の検証には適していました。 下の図は青色光で撮影した火星で、いずれも大シルチスがほぼ 中央子午線(CM)付近にきています。 左側の写真は衝1ヶ月前の位相角(A)が大きい時(28度)に撮影されたもの、 中央の写真は衝直後(A=3)に、また右側の写真は衝から1ヶ月半後(A=34)に 撮影されたものです。 ブルークリアリングが衝効果のみで起こるのでしたら、位相角が大きい 時には大シルチスは見えないはずですが、左側の写真には大シルチスが 見えています。 これは赤道地方の雲帯が残っていて、その影響によるものと思われます。 右側の写真では大シルチスを認識することができません。 中央の写真では大シルチスをはじめ地面の暗い模様を同定することができます。 2001年の衝付近では観測日ごとにブルークリアリングを確認できましたから、 衝効果はブルークリアリングの一因であるといえます。
(赤羽 徳英 記)
(2) 火星北半球夏季に発生する低緯度氷晶雲帯の衰退期の振る舞いについての研究
惑星気候学および気象学的に見て、 火星の北半球夏季に最も特徴的な現象は、低緯度帯を覆う雲の帯 (低緯度氷晶雲帯)です。 火星と地球の会合周期は約2年2ヶ月なので、 火星観測も1年おきに行われますが、 私たちは、この低緯度氷晶雲帯をテーマにした観測を 1997年、1999年、並びに2001年に、 飛騨天文台65cm屈折望遠鏡、 アリゾナ大学附属Steward天文台Mt.Bigelow基地の61インチ反射望遠鏡、 同じくMt.Lemmon基地の60インチ反射望遠鏡を用いて行い、 雲帯の盛衰の様子を研究してきました。 今回報告する研究成果は、未だかつて大々的に扱われたことのない、 この低緯度氷晶雲帯の衰退期の様子を明らかにしたものです。 私たちは、 2001年の北半球秋分付近 (Ls=174度、Lsは季節を表す火心太陽黄経で、Ls=0度が北半球春分、90度 が夏至) に於ける氷晶雲の光学的厚さの日変化を独自の解析手法により導き、 その値として 0.1 ( 4400) を得ました(図1)。 このような季節 (北半球秋分付近) に於いてこの厚さの雲帯が存在することは稀であり、 私たちは、 このあと起こった惑星規模の大砂嵐と何らかの関係があるのではないかと 指摘しました。 この雲帯は、低緯度に於ける大気大循環 (ハドレー循環) の様子を体現していると言われています。 そこで、雲帯の緯度方向の存在範囲と季節 (特に消失の時期) との関係を調べたところ、 その範囲は、 南限についてはやや規模の増大も見られるものの、 少なくともその最小規模、および北限については、 消失の直前まで、おおむね季節には無関係でした(図2)。 このことから、北半球夏季に於ける、低緯度のハドレー循環は、 秋季という遷移期を迎える直前までその規模を変えないという結論を得ました。
衰退期の様子をより具体的に調べるために、 1999年の観測データを詳細に検討したところ、 雲帯は、最盛期を過ぎ衰退期に入っていく頃 (時期はLs100-110度 --> 、 即ち夏至を過ぎた頃) に、 低緯度帯を半周する程度の大規模な雲のバンドと、 いくつかの中規模な雲の塊に分裂してしまうことがわかりました(図3)。 私たちは、この「雲帯の分裂」が、 赤道をまたいで存在するハドレー循環の局在化を示唆しているのではないか、 と結論づけました。
(中串 孝志 記)
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