♂・・・・・・・・今回は観測報告を次のように拝受した。
AKUTSU, Tomio 阿久津 富夫 (Ak) 栃木・烏山 Karasuyama, Tochigi, Japan 8 CCD Images (21, 29 Nov; 3, 7, 8, 9, 11, 14 Dec) 32cm speculum, Lynxx PC ASADA, Hideto 淺田 秀人 (Aa) 京都 Kyoto, Japan 6 CCD Images (16, 24, 28 Nov; 2, 11, 15 Dec) 31cm speculum, Mutoh CV-04 CAVE, Thomas R トマス・ケーヴ (TCv) カリフォルニア CA, USA 3 Drawings (23 Oct; 9, 10 Nov) 400, 550, 660×32cm speculum HIKI, Toshiaki 日岐 敏明 (Hk) 箕輪、長野 Minowa, Nagano, Japan 16 Drawings (28 Nov; 2, 3, 6, 7, 11, 〜15) 360×16cm speculum ISHADOH, Hiroshi 伊舎堂 弘 (Id) 那覇 Naha, Okinawa, Japan 4 Drawings (24, 26, 28 Nov; 8 Dec) 530×31cm speculum MINAMI, Masatsugu 南 政 次 (Mn) 福井/大津+ Fukui/Otsu+, Japan 55 Drawings (16, 23, 25 Nov; 2, 3, 11+,12+, 13+, 14, 15 Dec) 340,400×20cm refractor*/320×20cm speculum+ MURAKAMI, Masami 村上 昌己 (Mk) 藤澤 Fujisawa, Japan 12 Drawings (24, 25, 29 Nov; 1, 2, 3, 8, 9, 11 Dec) 370, 270×15cm speculum NAKAJIMA, Takashi 中 島 孝 (Nj) 福井 Fukui, Japan 13 Drawings (16, 23 Nov; 15 Dec) 340, 400×20cm refractor* NARITA, Hiroshi 成 田 廣 (Nr) 川崎 Kawasaki, Japan 1 Colour Photo (26 Nov) f/270×20cm refractor 14 Drawings (15,21,22,24,25,27,29 Nov; 1〜3, 8〜11,14 Dec) 400×20cm refractor WARELL, Johan ヨハン・ヴァレッル (JWr) ウップサラ Uppsala, Sweden 2 Drawings (3, 11 Nov) 330, 400×16cm refractor *福井市自然史博物館天文臺 Fukui City Observatory
♂・・・・・・・・ 29 NovのHSTは速報(#181p1935)の通り18hGMTから四十分ほど火星に向けて活動したはずで、Mk氏からAk、My、Ns氏及びMnにe-mailで、Hg、Hk、Id、Mo氏には Faxで、Is氏とNr氏には電話でそれぞれNewsが特別に送られたが、現在情報を得ている限りでは同時間成功されたのは、Ak氏(LCM=163゚ W)とMk氏(LCM=165゚ W)だけである。Mk氏は17:20GMTから19:30GMTまで四回スケッチを試みられているが、LCM=143゚ W、155゚ W、174゚ Wの観測はシーイング不好の 爲、破棄されている。Id氏も待機、しかし、シーイング不良のため不可。Ak氏の観測記録はLtE参照。(Nr氏はLCM=194゚ Wで遅れている。)
♂・・・・・・・・16 Novにはシュルティス・マイヨルが中央から夕方に見えており、一ヶ月後の15 Decの早い時間にはシュルティス・マイヨルの片鱗が捉えられていたから、略火星面全体が眺められた譯である。西矩に近くなり観測時間に幅が出てきたと言うことであろう。シュルティス・マイヨルの夜明けは 23、25 Novに眺められた。Nj氏の印象も筆者のも次の通りである:
LMC=230゚ W邊りから捉えられるが、可成り遅くまでシュルティス・マイヨル自体は淡いものである。色まで判然としなかったが、多分青みを帯びていて、その北の明確で濃いウトピアや南の海に比して淡い。#181, p1952の唐那・派克氏の写真では濃く同等に出ているのは赤色光のためであると思われる。25 Nov LCM=247゚ W、257゚ Wでは実際に青色系に見えた。
[締め切り後、Id氏、Aa氏の24 Novの報告を受けたが、Id: LCM=245゚ Wで、シュルティス・マイヨルは霞む、しかし、Aa氏の LCM=228゚ WのR光ではシュルティス・マイヨルが朝縁に捉えられている。]
北極冠はこの期間確固としていて、取り巻く暗帯も顕著である。尚、1993年には、このころエリュシウムに森田現象が得られた譯だが、今回は039゚ Lsの観測は無く、又日本からエリュシウムは見えていないはずで、25 Nov (043゚ Ls)には南中に出会ったが、形が分かる程度で然程明るくはなかった。少なくとも後遺症はなかったようである。
十二月にはいると、前接近Id氏が17 Jan 1995 (047゚ Ls)にリマ・ボレアリスを観測した時機(#155, p1555)になったのであるが、流石視直徑が小さく明確な北極冠といえども視野で定まらず、微細観測は無理であった。然し、変化は季節的に起こっているものと考えられる。上旬はプロポンティスTの邊りの影を追うのが精一杯で、3 DecLCM=155゚ Wでやや明るいエリュシウムが朝端に現れたかというところであった。表日本は晴天が続き、観測が捗ったようだが、Hk氏は6 Dec (048゚ Ls) LCM=127゚ W(脱落!)でアルバを注視するが明白ではなかった由である。カンドル-オピルの現象(LtE)については、同じくMk氏からe-mailやFaxで観測を呼びかけて、Hk氏は 7 DecにLCM=097゚ W、108゚ W、118゚ Wと追ったが、特別明るくはなく、夕端に来て目立つ程度であったようである。英國での観測の状況はよく判らないが、この視直徑での黄雲の観測には難が付きまとう。Mk氏も意識して観測に入っているが、コメント無し。但し、ハワイのマウナケアの 近赤外線画像 を参照されたい。
十二月中旬の圧巻は、夕靄が丁度クリュセが午後から夕端に来るに連れて、次第に濃度が増して夜毎同じ様に輪郭も明確になっていったことである。11〜13 Decでの纏めによると、シヌス・サバエウスの午後(LCM=006゚ W)からその北に夕靄が出始め、テュミアマタ、クリュセへと流れ、LCM=036゚ W邊りではクサンテまで連なるが、その後夕端に押し込められるようにLCM=065゚ W邊りで確固とした白斑を夕端に見せる様になる。勿論LCM=084゚ Wまで追えた。14 Decの福井は朝方濃霧が強くなり、このハイライトは逸した。Mk氏は已に8 Dec LCM=066゚ Wでこの白斑に注目し、翌9 Dec LCM=056゚ W、LCM=066゚ Wで確認している。好いタイミングである。一方、Hk氏も 11 Dec LCM=082゚ Wで夕端のクリュセ-クサンテを白いと観ているようだが、12 Dec LCM=063゚ W、14 Dec LCM=054゚ W、062゚ Wで観測していて、14 Decの前者では特に明瞭としている。
[Note: D・グレイ氏の便りに依れば(LtE)、氏は十一月末にクリュセの白斑を観測しているようである。42cmドール・カーカム使用]
カンドル-オピルはこの頃も見えたのであるが、いずれの観測にも掛かっていない。
暗色模様は後半マレ・アキダリウムが出てきたので、付随する模様が賑やかになった。ソリス・ラクスも見える。アウロラエ・シヌスも濃い。然し、Hk氏のガンゲスは濃く過ぎないか。早くプリントゴッコにしなさい。15 Dec福井ではマレ・アキダリウムの夜明けから南中まで観測出來た。クリュセの朝方の靄も見えるが、然程強くはない。福井では視直徑も大きくなったこともあり、15 Decからターレット式のフィルターを使用し始めた。但し、フィルターは火星の本来の色を損ねるので、(欧米の観測指導者に反して)通常フィルターはお奨めしないが、橙色などで暗色模様のコントラストが着くことは事実である。
尚、こうしてアルバの観測時期は日本からは逸した。Mk氏も狙ったようだが、曇られている。但し、テムペは好く視野に入り、特別明るいことはない。この点はHk氏、Mnともに注意している。
[Aa氏の11 Decの像にはテムペに明るい部分がある。]
Ak氏のCCD撮像は期待するところである。北極冠は既に 29 Novや3 Decなどにも明瞭である。模様は、マレ・アキダリウムが出てきた頃から、見えている(9、14 Dec等)。但し、クリュセ夕雲を輪郭好く撮れたものは、見あたらないが、僅かに 11 Dec LCM=067゚ W (Int)等に出ていようか。(他に、FDの方の並べ方はこれで好いのですが、報告用紙は体裁が悪く、日毎ではなく、四十分間隔で追えるように按配して下さい。のべつ撮るのは結構ですが、報告は時間を空けて選んで下さい。火星の方は然程急変しませんし、急変が撮れるとも思いませんから。)
[Aa氏の 11Dec LCM=064゚ WのB460によるCCDでも辛うじて見える。]
要約すると、
1)シュルティス・マイヨルは朝方では肉眼には淡く、青色系であった。
2)1993年のエリュシウムでの森田現象は今回は見られなかった(少なくとも043゚ Lsで)。
3)1995年伊舎堂弘氏(Id)よって検出されたリマ・ボレアリスの季節になったが、視直徑が十分でなかった。
4)夕方のアルバはHk氏の早めの観測(6 Dec 048゚ Ls)以外日本からは不都合な位置にあって効果のある観測が出來なかった。
5)クリュセの靄の夕溜まりがよく観察できた。
6)英國からのカンドル-オピルの黄雲(?)は日本からは観測されていない。
7)最後に本文では触れなかったが、終始南端は白く薄く輝いていた、ヘッラスやアルギュレの処は勿論のこと、ノアキスやアウソニアの処でも等しく見られた。これは1994年の結果などと比べると、1994年の場合はもっと複雜で、やや違っているのであるがDeが上がっているために周邊効果が出ているのかも知れない。然し、兎に角薄いながらも大氣的なものが存在するようである。
♂・・・・・・・・ケーヴさんのスケッチはそれぞれ日付順にLCM=142゚ W、LCM=266゚ W、LCM=274゚ Wで、十一月のは034゚ Lsである。後者二者では赤フィルターを使っていて、シュルティス・マイヨルは濃く朝方のヘッラスは濃い。リビュアも明るい様だ。ウトピア(ネペンテス?)は観測間違えでしょう。
ヴァレッル氏は3 NovにLCM=191゚ W、28 Nov にLCM=303゚ Wで観測している。後者はシュルティス・マイヨルがひどく夕端寄りである。この日は−5℃だった由。
♂・・・・・・・・福井は十一月30日が初雪でそのまま積もり、十二月初旬は天文台の周りの屋上は長靴が必要であった。中旬には消えたが、これから西高東低が強まれば、登山も含めて難儀である。火星は獅子座のお尻の処まで降りてきて、大津の狭いヴェランダからも眺められることが判り、三連夜観測できた。もう下に降ろさなくても好いわけで、この点は楽チンである。
『火星通信』は二月から月二回發行の予定である。従って一月は15日と31日が観測締め切りとなる。