追悼:大澤俊彦氏 (1935-2001)
大澤俊彦サンヲ悼ム
長谷川 一郎 Ichiro HASEGAWA
大沢俊彦サンガ亡クナッタ コトヲ、南政次サンカラ 知ラセテイタダイタ。亡クナッタノハ、カナリ前デ、2001年三月頃ラシイ、トイウ。亡クナッタ事モ スグニ ハ 知ラサレズ、大沢サンノ一生ハ限リナク悲惨ダッタ ト云ウ強イ思イヲ 抱カナイワケニハ オレナイ。
思エバ、20年バカリ前ノ事デアッタカ、大沢サンガ 一度 拙宅 ニ 来ラレタコトガアル。同ジ奈良市内ニ住ンデイテ、佐伯恒夫サンノ オススメガアツテ 来テクレタ ノデ アッタ。特ニ コレトイッタ話ハ ナカッタノデアルガ、始カラ 終リマデ、煙草ヲ吸イ続ケテイタ コトガ 印象ニ残ツテイル。彼ハ 早クカラ 火星ヤ木星面ノ観測 ヲ シテイテ、佐伯サンハ 彼ノ観測 ヲ高ク評価シテイタ。ソシテ 彼モ熱心ニ 惑星面ノ観測ヲ シテイタ様デアル。
私ハ ソノ頃ノ 彼ノコトハヨク知ラナイ ノ デアルガ、神戸大学ノ物理学科ヲ卒業シテ、就職シテカラ、彼ノ 人生ノ ツマズキガ始ツタ ノ デハナイカ、ト思ウ。恐ラク 会社ノ勤メ ト、自分ノ天体観測 トノ 矛盾 ヲ強ク感ジナガラ、両方ノ バランス ヲ ウマクトル事ガ 出来ナカッタ ノデハナイカ、ト私ハ想像シテイル。断片的ニシカ 佐伯サンカラ話ヲ 聞イテイナカッタノデ、本当ノ コトハ ワカラナイガ、私ニハ ソノ様ニ思ヘタノデアッタ。
ソシテ、父上ヤ弟サンノ死ヤ 九州ヘノ転勤ト、入院、彼ニトッテハ 全ク不本意ト云ウ他ハナイ逆境ノ連続 デハ ナカッタカト思ワレル。シカシ、自分 ノ 才能 ト 生活設計ヲ調和サセル事ガ 出来ナカッタ ノハ ナゼカ? 彼ノ性格ガ 最大ノ原因デアッタ トシテモ、ソレハ本当ニ 気毒ナ事デアッタ。彼ハ、山本一清先生 ガ亡クナル 少シ前、シバラクノ間、山本天文台ニ 滞在シテイタ事ガアル。コノ時、野邑俊彦サン モイタ。野邑氏ハ OAAノ事務ヤ 山本先生 ノ オ手伝ヲシテイタノデアルガ、タマタマ二人ノ「俊彦」氏ガ一ツ屋根ノ下ニ居タノデアッタ。コノ頃ガ、大沢氏ニトッテ、最モ 充実シタ時デハナカッタカ、ト今ニスレバ思イ出サレルノデアル。
永イ病院生活ノ後ノ 死デアッタ。心カラ哀悼ノ気持ヲ 捧ゲタイ。
(31十二2001)
大沢俊彦氏を悼む
佐 藤 健
Takeshi SATO
火星課の南政次さんからの連絡によれば、私が惑星観測を始めた頃の憧れの人だった大沢俊彦さんがお亡くなりになった。大沢さんは長年にわたって福岡県の病院に入院しておられたが、昨年の三月からは火星課からの連絡も取れなくなり、その頃、既にお亡くなりになっていたのではないかとのことである。大沢さんは私より二~三歳年上だったから、享年65~66歳かと思う。
大沢さんは1940年代の終わり頃、中学1年の時、自作の口径8cm反射望遠鏡で惑星観測を開始した。1950年三月に田上天文台(現・山本天文台)で開催された火星観測者会議に出席しているが、参加者中最年少だった。
その後、口径15cm反射望遠鏡(シーソータイプ経緯台)を自作し、それで1952年二月、高校生の時に土星の北赤道縞(NEB)に三個の暗斑を発見し、それらは“Osawa's Spots”として、国際的に注目された。土星には稀にしか目立つ斑点が出現しないので、この惑星の自転周期を測定する絶好のチャンスになったのである。
大沢さんの火星、木星、土星の観測結果は、その当時のALPO(米国月惑星観測者協会)の会誌に毎号のように出ている。佐伯恒夫先生の観測と一緒に出ているが、大沢さんは佐伯先生の愛弟子だったので、初めのうちは佐伯先生がご自身の観測と共に送っておられたのではないだろうか。大沢さんの観測レベルは当時の米国の観測者の多くよりずっと上だったから、彼が少年と知った時、APLOの会員達も驚いたことだろう。
その後、大沢さんの望遠鏡は口径20cm反射経緯台、同口径赤道儀、32cm反射赤道儀と変わった。土星の観測もあるが、火星と木星を精力的に観測した。1950年代末から木星観測者も増えていったが、それまでは日本の観測者のほとんどは火星に集中していたので、木星観測では村山定男、薦田一吉両氏と共に大沢さんはパイオニアであった。
大沢さんは大学を卒業して就職され、何年後だったか入院されたが、病院の屋上に望遠鏡を据えて観測を続けておられた。しかし1994年のシューメーカー・レビー第9彗星の木星衝突に際して、望遠鏡が壊れたので誰か使わせてくれる人はいないかとの相談を受けた。それで滋賀県大津市の安達誠氏にお願いし、彼の家で観測して頂いた。また1997年の国際天文学連合(IAU)の京都総会に関連して開催された「木星会議」にも出てこられた。入院中であるが、旅行出来るぐらいだから病状はかなり良いと思ったのだが・・・。
最後に、大沢さんに個人的なお礼を申し上げます。
大沢さんから「君もALPOに観測記録を報告しなさい」と言われました。それで、私は「観測記録は現在形で書くべきでしょうか、過去形で書くべきでしょうか?」と質問しました。観測しながら書いたのだから現在形か、報告する時点では過去のことだから過去形か?こんなことが気になって報告出来ずにいたのです。それに対して、大沢さんは「どちらでもいいんじゃないですか。どうしても気になるんだったら、be動詞などは省略してしまったらどうですか」とアドバイスしてくれました。たとえば“The Great Red Spot
very dark”でよいわけです。これだったら、現在形か過去形かなどと心配することはありません。大沢さんのこの一言で、目から鱗が落ち、ALPOだけでなく、いくつもの国の天文家とコミュニケーション出来るようになりました。
大沢さんの御霊にお礼を申し上げると共に、謹んでご冥福をお祈りいたします。