Ten Years Ago (197)

 

---- CMO #251 (25 September 2001) pp3123~3142  ----

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn2/cmo251/index.htm

 


測レポートは15回目となり、2001年八月後半から九月前半までの報告がまとめられている。火星は遠ざかりつつあり、黄雲の活動も落ち着き、視直径も低下して、今回から一ヶ月毎の発行に戻った。この期間火星は、夕方の南の空で「へびつかい座」から「いて座」に赤緯を落としていった。季節λは南半球の初夏にあたる215°Lsから234°Lsにすすんで、本来なら南極冠縮小の季節に入っている頃であった。視直径δ15.1"から12.0"と落ちた。位相角ι40°から45°とさらに増して、欠けは大きくなった。中央緯度φ5°Nから2°Sへと南向きに移っていった。

 

 観測報告は国内10163観測、外国843観測で報告数は減少している。石橋氏(Is)の追加報告が含まれる。まず黄雲の様子が取りあげられ、依然として両極以外は全面黄雲に覆われているが、八月後半には黄雲が薄くなってきたとの観測が寄せられているとしている。

 各地域別に考察があり、ソリス・ラクス、アウロラエ・シヌス付近では、二本の明帯が明るさの変化はあるものの未だ明らかで、暗色模様はまったく同定できていない。ソリス・ラクス南方にはかなりの暗部が観測されている。

 シヌス・メリディアニ、シヌス・サバエウスあたりでは、ノアキスは薄暗く、デプレッシオネス・ヘッレスポンチカエは薄暗く惚けている。シヌス・サバエウスの西半分は回復していなく、シヌス・メリディアニも見えていない。この付近で一番濃度があるのはマレ・セルペンティスあたりだった。ノアキス南部も濃度が出ている。

 シュルティス・マイヨル付近はシヌス・サバエウスの付け根、マレ・テュッレヌムと共に濃度があるようになって、肉眼でも感じられるようになっていた。

 マレ・キムメリウムは常態に戻りつつあったが、マレ・シレヌムでは変化が見られ、1986年以来の淡化していた西端部が比較的濃度を持っているが、東側は回復していなかった。

 エリシウムあたりはプレグラやアエテリアの暗斑は見えず、プロポンティスIもおぼろげに見えているだけであった。

 オリュムプス・モンスは暗点として見えており黄雲の高度が推測できるとしている。午後になってからがより明瞭に見えてくる。タルシス三山も同様に暗点として捉えられている。

 パーカー氏の6 Sept 2001の良像に捉えられているクラリタス・フオッサエの北端やティトニウス・ラクスの暗点は、凹型の地形や傾斜地で、もともと暗部として捉えられているところであり、位相角が大きくなり濃い影ができてIR光では透けるようになってくる程度に黄雲が希薄化してきているのではとしている。

 南極冠周辺については、やや詳しい記述がある。朝方に明るく見えていた朝霧/朝霜は薄くなりながらも八月末まで認められていた。南極冠は傾きが南向きになった八月下旬から徐々に南端にはっきり捉えられる様になってきた。傾きはさらに南に向くことであり、季節的にも南極冠の偏芯がはじまり、ノウュス・モンスの検出が課題になるときで、南極冠の観測に注意を促している。

 

 LtEには、外国からDon PARKER (FL, the USA),  Ed GRAFTON (TX, the USA),  Dave MOORE (AZ, the USA), Nicolas BIVER (the Netherlands),  Brian COLVILLE (Canada),  Daniel M TROIANI (IL, the USA), Frank J MELILLO (NY, the USA), Richard W SCHMUDE Jr (GA, the USA), Sam WHITBY (VA, the USA), Tom DOBBINS (OH, the USA), Martin GASKELL (NE, the USA)の各氏。日本からは、熊森照明(大阪)、伊舎堂弘(沖縄)、日岐敏明(長野)、阿久津富夫(栃木)、森田行雄(広島)、石橋力(神奈川)の各氏から寄せられた来信が掲載された。筆者の藤澤便りも巻末にある。

 

 十回目となった「アンタレス研究所訪問」は、常間地(Ts)さんによる「1781年の火星」である。ウイリアム・ハーシェルの天王星発見と火星観測にまつわる話である。1781313日にハーシェルによって天王星が発見された。ハーシェルは火星観測も興味があり、1777年以降欠かさずに観測しており、極冠の変化、自転軸の角度、自転周期の決定などの仕事をしている。シーハン氏によると、天王星発見の日にも火星を見ていたようである。

 メーウスの接近表によると、1781年は視直径δ=23.71"に達する大接近の年であり、次善の205年の会合周期を合わせると1781+205=1986となり、1986年の接近が近似した接近であった。常間地さんは、この1986年の暦をもとに1781年の火星の様子を推測している。この年の火星の赤緯は低く、イギリスでは南中高度は低く観測は困難だったろうとしている。天王星の発見は午後10時半頃であり、火星は朝方の空で両星はかなり離れていたわけだが、奇しくも205年後の1986313日には天王星と火星が21'にまで接近していたという。また。1986+15=2001で、2001年も似た様な接近であった。この年にはやぎ座で11月に火星と天王星は接近した。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/Ant010.htm

 なお、この項は最近英文エッセイとして採り上げられ、火星と天王星のどちらが先に觀測されたか論じられている。どうも天王星を発見した後火星を観測したようである。次項和文参照:

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/377/CMO377_Ts.htm

 

 20年前の火星は11月の合に向かって太陽に接近中で、TYA(73)にはCMO#109 (25 September 1991)の内容が取りあげられている。「ときどき- Something Old- (3)」として、「佐伯恒夫氏による1960年代の北極冠」が掲載された。ドルフュス氏やケープン氏などの北極冠縮小の論文の紹介がある。北極冠縮小曲線図では、論文に取りあげられた北極冠縮小データと、佐伯氏単独の観測を基にした1960年代の北極冠縮小の比較がされている。同じ時期でありながら標準に比べてケープン氏と佐伯氏の大きさは反対である。

1990/91年使用の新望遠鏡」には、阿久津氏と伊舎堂氏の口径アップで新設した反射望遠鏡が写真で紹介されている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/251/tya073.html

 

コラム記事にはDirector's Reports#08#09 CMO Noticeとして取りあげられた。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/ds2001/ds/d_repo.html

 

                                                                                                  村上 昌己 (Mk)

 


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