Ten Years Ago (194)

 

---- CMO #248 (25 July 2001) pp3067~3090  ----

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/248/cmo248.html

 


ップページは七月20日から22日まで沖縄で「第九回CMO惑星観測者懇談会」が開催された時の報告で、沖縄の伊舎堂弘氏、比嘉保信氏、涌川哲雄氏のお世話で、参加者は、在沖中の南政次(Mn)氏を始めとして到着順に、西田昭徳氏(Ns福井)、常間地ひとみさん(Ts神奈川)、日岐敏明氏(Hk 長野)、森田行雄氏(Mo 広島)、筆者(Mk神奈川)の九名であった。涌川氏の40cm反射の前の集合写真と西田氏撮影の火星画像が掲載されている。

 20日は歓迎夕食会のあと東風平(こちんだ)の涌川氏のお宅で数台の望遠鏡をつかってCMO「夏の学校」が開かれ、それぞれの観測を行った。21日には、午前は摩文仁の丘を訪れ「平和の礎」を見学して、午後からは那覇に戻って懇談会を持った。話題は全球的に発展した今回の黄雲とエドムの閃光現象が中心であった。夕方からは那覇の伊舎堂氏宅と涌川氏宅に別れての観測となり、本土に比べ高度のある火星が堪能できた。拡がった黄雲で暗色模様はほとんど見えなかったが、北極雲の周辺部や南半球朝縁の明るさなどがよく見えていた。夜半過ぎからは伊舎堂氏宅の屋上でパーティとなり、別島に赴任されていた宮崎勲(My)氏も参加された。22日は予定を作らず、懇談する者・買い物に行く者と、各々に時間を過ごし、午後には解散となり、それぞれ沖縄を離れた。

 下記のWebPageには、詳しい記事と画像がある。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/ws/09/ws9j.html

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/ws/09/ws9_photo.html

 

紙面は次いで七月上旬の観測報告がまとめられたレポートで、今期十二回目となった。この期間に季節λ=188°Lsからλ=196°Lsへ進み、南極冠は縮小が進み、北極域は北極雲で覆われる季節になったが、全球的に発展した黄雲の影響で、火星の季節変化は狂いが出ていることと考えられた。最接近を過ぎて視直径δは期間末にはδ=19.2"に落ちた。本来なら詳細の見えている視直径だが、濃い黄雲で今期はそれも適わなかった。傾きφ6.1°Nから7.3°Nと少し北向きになり、位相角ι15°から26°へと欠けが出始めた。観測報告者は、日本から15名・292観測、外国からは18名・96 観測であった。

 

 今号も黄雲の発展の様子が日毎にまとめられている。本土は梅雨が明けず観測が続かなかった。Mn氏は計画通りに8日には沖縄へ移動して、一ヶ月の遠征観測の態勢に入った。

 七月1日は本土も晴天となり沖縄の観測と合わせて多数の観測があった。この日にはすでに黄雲は全球的に拡がり、北半球のエリュシウム・アエテリアの暗斑付近も影響が出てきた。エリュシウム内部には暗線が走り、アエテリアの暗斑は縦長に変形した。南半球でもマレ・キムメリウムは黄雲に覆われ、東方のマレ・シレヌム南方のパエトンティスには黄雲溜まりが残って動きがあった。シンガポールのタン(WTn)氏の画像からはシュルティス・マイヨルは北端を残すのみとなり、シヌス・サバエウスにも影響が出ているように見えた。その西側の様子はヨーロッパからの観測が必要なところであった。この日にはDirector's ReportsDR#06が発信されている。

 翌2日は、良い晴れ間の出た足羽山でMn氏と中島孝(Nj)氏は、明るい黄色に完全にくるまれた火星を観測して、全球的に黄雲に支配されているに違いない状況を確認している。肉眼で見る火星は黄色く輝く球面そのもので、ものの見事に綺麗であったと表現している。エリュシウム内の縞の変化・アエテリアの暗斑南側の光班などは、前日と違う様子なったことを観測している。この日にもDR#07が発信され、外国の諸氏に黄雲が潜在的に全球的になっていることを知らせて、観測を呼びかけている。

  3日には南半球のパエトンティスあたりの共鳴黄塵の動きは活発でこの付近が明るくなり、マレ・キムメリウムを横断している明帯が復活した。対してマレ・キムメリウム西端部が大きく濃化したのがこの日の特長である。エリュシウム・アエテリアの暗斑付近の様子も活発であった。

 4日には、朝方新しいコアが出たらしく、東側に至ってから、オーストラリアのヴァリムベルティ(MVl)氏がダエダリアに鋭い輝きのある明斑を撮した。またソリス・ラクスの北に共鳴明斑の発生があるのを捉えている。日本からの観測でも福井の観測でダエダリアの明斑は捉えられている。他にも昨日同様にマレ・キムメリウム西端部に大きな暗斑が観測されている。Mo氏は七月1日から4日まで経度ωを揃えた撮像に成功して黄雲の発展時の貴重な資料が得られた。まとめた画像が英文部に大きく引用されている(今号#387にも10年ぶりで掲載)。福井の観測後にDR#08が発信された。

 5日には、沖縄など日本各地は曇天で観測がない。アメリカからの報告では、グラフトン(EGf)氏がソリス・ラクスの西と北に黄塵光班の出ているのを撮している。これは前日MVl氏の観測したものの再現である。パーカー(DPk)氏の画像はより東を撮しており、アウロラエ・シヌスなどの淡化を捉えている。

 6日には、ソリス・ラクス近傍の黄塵は大きな変化を見せ、タウマジアからアウロラエ・シヌスへ流れる明るい筋と、それに並行してソリス・ラクスの西側を東北方向に伸びる明るい二本の筋が、DPk氏により捉えられている。我が国からの観測では、Id氏が夕方のオリュムプス・モンスが暗点になって見えているという重要な観測をした。既に大気構造が毀れてきたわけである。Hg氏のビデオ画像にもタルシス三山を含め山頂が暗点になっているのが認められている。これは黄雲が山裾に拡がり、残された山頂部分がコントラストで暗く見えている状況で、黄雲の活動が一段階すすんだことを表し、ソリス・ラクス周辺の活動に呼応しているとしている。

 7日にはDPk氏がソリス・ラクスの東側の明帯がやや太くなっているのを撮している。ムーア(DMr)氏は明るい二本の筋を正面で捉えている。この二本の筋は1973年黄雲の発生後の1016日の様子を彷彿させるとしている。地形と黄雲の層の高度によるものと考えられた。

 8日にはDPk氏の眼視観測があり、ソリス・ラクスの東側の明帯がクリュセ-クサンテに延び込み、マレ・アキダリウムにも達しているのが報告されている。浅田正(As)氏の画像にはマレ・シレヌム南方のパエトンティスの明るさを捉えている。この日Mn氏は沖縄県那覇に移動した。

 9日〜15日の様子はまとめられている。黄雲の東への進展として9日にはアメリカからの観測でシヌス・メリディアニの消失が報告された。マレ・エリュトゥラエウムも東岸を残すだけとなり、11日にはノアキスの暗部も消滅しマレ・エリュトゥラエウム東岸に奇妙な暗部が残った。13日のDPk氏の画像には北端が残るシュルティス・マイヨルが捉えられているが、南半球は平常の姿ではなく焼け跡のようだとしている。ただデプレッシオネス・ヘッレスポンティカエが現れ始めているのが新鮮とのコメントがある。15日にはDMr氏の撮像でマレ・エリュトゥラエウムからシヌス・サバエウス東側にノアキスを横切る暗帯の出現を撮し出した。このように次から次に共鳴コアを発生させて活動はこの期間に全体に拡がり火星面を一変させた。

 我が国側からの観測として、10日のAk氏の画像には暗斑に見えるオリュムプス・モンス、タルシス三山とその南の暗部が捉えられている。この別の暗部は1973年の黄雲時にも現れていたようである。前日と12日、15日のタン(WTn)氏や13日のKm氏の画像にも出ている。期間末になってソリス・ラクス領域が見える様になっていた。10日にはDR#09が、12日にはDR#10が発信された。

 この期間にオーストラリアの観測があり、アメリカと我が国との観測が繋がるようになり、シンガポールの観測があとを引き継いで途切れのない観測が出来るようになってきた。しかし、ヨーロッパからは南中高度の低いためもあってか、観測報告が振るわなかった。

  Director's Reports (DR)

  http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/ds2001/ds/d_repo.html

 

 黄雲の段階としてこれまでの今回の黄雲の様子がまとめられている。偏東風によって西側へ拡散していく南半球夏の黄雲と違い、春先に起きた今回の黄雲は西進せず、浮遊黄塵が朝方局所的な擾乱を起こし、黄雲が拡がっている別な場所で共鳴して擾乱が起きるという現象が連鎖して続いていくという状況であった。黄雲の光学的深度か浅いときには、赤外光での撮影では暗色模様は透けて写ってしまうため、黄雲の拡がりの判断は暗色模様の消失でなく、色彩の変化で捉えるべきだとしている。Mn氏は上記のように七月1日の段階で、黄雲は本質的に全球的に拡がっていたと判断している。また、活動的になってきた北極雲の活動、南極冠の様子なども興味があるが、紙数の関係で後日にまとめる事とするとしている。

 LtEには、Don PARKER (FL, USA), Alan HEATH (UK), Ed GRAFTON (TX, USA), TAN Wei-Leong (Singapore), Robert SCHULZ (Austria), Sam WHITBY (VA, USA), Martin GASKELL (NE, USA), Tom DOBBINS (OH, USA), Bill SHEEHAN (MN, USA), Frank J MELILLO (NY, USA), Nélson FALSARELLA (Brasil), Don BATES (TX, USA), John H BARNETT (VA, USA), Dave MOORE (AZ, USA), Nicolas BIVER (the Netherlands), Randy TATUM (VG, USA),  Maurice VALIMBERTI (Australia), Richard W SCHMUDE Jr (GA, USA)の外国の諸氏と、 熊森照明(大阪)、阿久津富夫(栃木)、日岐敏明(長野)、森田行雄(広島)、湧川哲雄(沖縄)、伊舎堂弘(沖縄)の国内の諸氏からの来信が記録されている。

 コラム記事では前号に引き続きDirector's Reports #04#06が引用されている。また、常間地ひとみさん筆の「アンタレス研究所訪問」は、「安謝にて」というタイトルで懇談会のあと居残って七月末まで那覇市安謝で観測生活をしたときの沖縄模様をつづっている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn1/Ant005_8.htm

 

 TYA#071 20年前のCMO#107(25July1991)が取りあげられている。この時の火星は観測シーズンがすでに終わっていて夕方の「しし座」にあり、太陽との離角を小さくしていた。七月の夕空には水星・金星・火星・木星の四惑星が接近して見えていた。観測レポートのページには、外国から寄せられた追加報告がいくつか取りあげられている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/248/tya071.html

                                       村上 昌己 (Mk)

 


日本語版ファサードに戻る / 『火星通信』シリーズ3 の頁に戻る