Ten Years Ago (187)
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#241 (
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/cmo241/index2.htm
冒 |
頭の観測レポートは今期五回目となり、16Feb2001 (λ=118°Ls) から15Mar2001 (λ=131°Ls)の報告報告が纏められている。期間中に視直径はδ=8.8"にまで大きくなり、傾きはφ=9゜Nから4°Nと浅くなった。位相角はι=38°で大きく欠けていた。位相角はここが極大で、以後は丸みが増して行った。季節は15Marでλ=131°Lsに達して、前回1999年接近の後半をたどるというところだった。期間末には日の出時には南中するようになって、観測時間もやや長く取れるようになってきた。観測報告者は、国内から8名、外国から5名の13名に増えて、寄せられた観測は147点であった
二月中旬は日本の天候がよく、森田氏(Mo)の捉えた夕方のChryse-Xantheの明るさが注目され、検討・追跡された。北極冠は傾きが小さくなったこともあり見え難くなってきたが、対して南極雲は南端の明るさとして捉えられている。三月入ってアメリカではパーカー氏(DPk)が1Mar(λ=124°Ls)に夕方にかけて明るくなるElysiumを追った。Syrtis MjやHellasの出現の様子なども捉えて教育的なシリーズとなった。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmons/DPk01Mar01.htm
2Marからは、日本からもHellasが夕縁から見えるようになってきて南極雲との関係で注目されている。西田氏(Ns)は13Mar(λ=130°Ls)に足羽山でCCDカメラの試写を行い、ω=248°Wの像が紹介されている。
他の記事は、FORTHCOMING 2001 MARS (9)、「2001年火星の見かけの変化(下)」として、今接近の後半の2001年7月始め1July2001(λ=188°Ls, φ=06N°, δ=20.5", ι=15°)から2001年いっぱい1Jan2002(λ=301°Ls, φ=26S°, δ=6.3", ι=39°)の火星面の見え方が月ごとに示されている。南極冠偏芯、南半球黄雲の季節も含まれており、観測時の注意を喚起している。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/coming2001/0109/09j.html
また、1998/99 Mars CMO Note (19) 「1999年の南極雲 (補遺)」が巻末に短く掲載された。
CMO#237の1998/99 Mars CMO Note (15) 「1999年の南極雲」
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/99Note15j/index.htm
で取り上げた、南極雲初期の動向の再検査である。南極雲検出の閾値としていたλ=140°Lsであるが、1999年には傾きが大きく(φ=10°Nから21°N)、南極域はほとんど捉えられていなかった事もあり、再検討が必要ではないかとの考えであった。9Apr(λ=122°Ls)にタウマシア・フェリックスThaumasia Foelixあたりに見られたものを芽として、Hellasの南に分離して南端に南極雲が認められた21Apr(λ=127°Ls)ころが境と考えられるのではないかと結論している。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/99Note19j/index.htm
LtEは、Sam WHITBY (VA, USA), David R KLASSEN (NJ, USA), Don PARKER (Fl, USA),
Myron E WASIUTA (VA, USA), Carlos E HERNANDEZ (Fl, USA) Damian PEACH (UK), Frank J MELILLO (NY, USA) の外国の各氏から、国内からは、伊舎堂弘(沖縄)、石橋力(神奈川)、森田行雄(広島)、比嘉保信(沖縄)、阿久津富夫(栃木)から寄せられ、また他に愛犬Jjの死を伝える常間地ひとみ(神奈川)さんの多くのお便りが含まれている。
TYA(67)は、CMO#103 (25 Mar 1991)からで、当時の火星は「おうし座」で東矩を迎え観測終盤に入っていた。視直径も三月上旬にδ=7"を下回ってしまったが、赤緯の高いこともあり宵の空に沈みのこり、遅くまで観測できた。季節はλ=032°Ls
(15 Mar 1991)となり北極域に関心があるところだが、傾きが南向きで観測は適わなかった。観測レポートは1991年二月後半と三月前半のものが纏められていて、国内外から四名の報告が記録されていた。この期間の火星面には大きな異常はなく、全員が北端に北極冠の明るさを観測している。期間外の観測として、パーカー氏(DPk)とケーヴ氏(Thomas CAVE)(未だご存命)からの報告があった。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/TYA67.htm
村上 昌己 (Mk)
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