Ten Years Ago (186)

 

---- CMO #240 (25 February 2001) pp2907~2930  ----

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/cmo240/index.htm

 


頭の観測レポートは今期四回目となり、16Jan2001 (λ=104°Ls) から15Feb2001 (λ=118°Ls)までの報告報告が纏められている。報告者は阿久津富夫(Ak)氏が今季初観測を報告してきて、国内六名・外国四名からとなっていた。この期間の火星は「てんびん座」から「さそり座」へと赤緯を下げていたが、二月13日に「西矩」となり高度は低いながらも南中時の観測が可能になっていた。視直径δも期間末にはδ=7.0"まで増えていたが、中央緯度φは、φ=09°Nと傾きは浅くなり、北極域の観測時期であったが条件は厳しくなってきていた。

 注目の北極冠は眼視観測では小さく捉えられているが、DPk氏などのCCD画像では輪郭がはっきりせず、フィルターワークに関しての言及もある。また、ヘッラスは白く明るく輝くようになり、エリュシウムも夕方で明るくみえた。視直径の増加に伴い主な暗色模様も捉えられている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/01Repo04/index.htm (English)

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/01Repo04j/index.htm

次いで、1998/99 Mars CMO Note (18) として「1999年四月16(125°Ls) の黄塵」 "Dust streak on 16 Apr 1999 (125°Ls)"(Mn) が草された。1999年接近の衝直前の標記の期日にMargaritifer SM Erythraeumの間に観測された黄塵に関しての考察である。天候・シーイングなどの要因で前後の日の同定は無く、単発の観測であった。この地域での黄塵は他には1922年六月10(λ=187°Ls) と、1984年四月13(λ=132°Ls)A DOLLFUS氏がPic-du-Midiで観測した例があり、季節的にも近い後者の画像を引用している。南半球は冬の盛りであり、南極冠融解期の黄雲とは違う現象に分類できる可能性が大きかったが、2001年にはλ=184°Lsで大黄雲が発生することになる。直前の2001年三月・四月の観測期にも、このλの範囲が含まれており、注意を喚起している。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/99Note18j/index.htm

 

FORTHCOMING 2001 MARSは二編掲載されていて、

その7として、「南極冠は何時偏芯するか」 "Deviation of the spc from the pole"

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/01Coming07.htm  (English)

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/01Coming07j.htm

その8として、「2001年の火星観測暦表(その3)」で 2001年四月・五月の暦表が取り上げられている(西田昭徳氏)

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/01Coming08j.htm

 

 前者は、λ=230°Lsからλ=240°Lsの期間に、南極冠の融解が経度的に不均一になり、早く融解しているところが現れ、南極冠が偏芯していくことをP B JAMES達が纏めたVikingの観測結果やG E FISCHBACHER達が纏めたローヱル天文台での1905年から1956年までの写真から得られた平均的な南極冠の縮小で出示している。また岩崎恭輔氏達(花山天文台)1986年の南極冠の観測結果も示されている。2001年にλ=230°Lsに達するのは9月上旬であり、この期間の南極冠の観測の重要性を呼びかけている(実際には2001年大黄雲のために、この問題は忘れられた)。また、Novus Mons (ミッチェル山)の分離時期 (λ=250°Lsころ) についても言及している。勿論、CMO#029 (25 March 1987)の表紙に出た南氏の1986年のスパイラル図ではλ=210°Lsで偏芯は起こっていない。

なお、和文のこの項は本文とは別に「枕」があって、南氏を見間違えると将来とんでもないことを言われることを示している。もと種は圓山天文臺当時の話であり、十数年前の話なので、よくも南氏は我慢していたものだと思うが、南氏は怖い人だということである。とにかく、この項の辛口はチョット骨が折れるが必読である。もう一度引用すると

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/01Coming07j.htm

である。

南氏は10年前には元気であったということでもあるが、いまも辛口には自信はあるようである。

 

これ等の現象を取り上げたCMOのバックナンバーも以下のように採り上げられるので今後の参考とされたい。

CMO#007 p0047 「ヴァイキングの捉えた南極冠の様相(2) ミッチェル山に関して

CMO#008 p0057 「ヴァイキングの捉えた南極冠の様相(3) 南極冠の偏芯に関して 

CMO#018 p0146 MARS REPORT 1986年九月後半」 南極冠の偏芯に関して

CMO#029 p0225 " The South-Polar Cap Boundaries Observed in 1986. I "  南極冠の偏芯に関して

CMO#040 p0335 " The South-Polar Cap Boundaries Observed in 1986. II "  南極冠の偏芯に関して

CMO#111 p0963 1988CMO観測ノート(16) Novus Monsの分離について」 

CMO#115 p10041988CMO観測ノート(17) 南極冠内部の濃淡について」 

など。

 

LtEは、Myron E WASIUTA (VA, USA),  Frank J MELILLO (NY, USA),  Brian COLVILLE (Canada), Don PARKER (Fl, USA), Sum WHITBY (VA, USA), Damian PEACH (UK), Carlos E HERNANDEZ (Fl, USA) の外国の各氏からと、国内からは、常間地ひとみ(神奈川)、森田行雄(広島)、伊舎堂弘(沖縄)、比嘉保信(沖縄)、阿久津富夫(栃木)の皆さんから寄せられたものが収録されている。

 

TYA(66)は、CMO#102 (25 Feb 1991) の記事からで、20年前の火星は、遠ざかりつつあり二月末にはおうし座で「東矩」間近になっていた。『火星通信』も月一回の発行にもどった。

火星面の季節は二月15日にλ=020°Lsとなり、視直径も10秒角を下回ったが、まだ南中高度は高く、夕方からの観測回数は十分あり、一月後半・二月前半の観測報告は9(131 観測)であった。メリッロ氏(FMl)の報告にはSolis Lの南に小規模な明部を捉えてダストクラウドかとしていたが、日本から見えるようになった一月末の観測には引っかからなかった。

その他の記事には、「夜毎餘言・XX(ワープロ-wa-kuroh)」などが掲載されている。

 http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/TYA66.htm  (Japanese)

 

                               村上 昌己 (Mk)

 


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