--- CMO #228 (25 February 2000) pp2683~2694 ---

 巻頭のCMO Mars Reportは21回目を数え、2000年一月後半から2000年二月前半までの観測報告が纏められている。当時の火星は観測末期で、日没時に捉えて数観測出来るという状況で、視直径も5秒角を下回った。季節はλ=283°Ls〜302°Lsで、南半球には黄雲の発生する可能性があり監視が続けられたが、この期間の観測では異常は認められなかった。報告者数は8名となった。

   次いで、1998/99 Mars CMO Note (4) で取り上げているのは、「1998/99年の観測頻度分布図の試み」 "Distributions of the observation rates of Ak, Id, Iw, Mk, Mn, Nj and DPk in 1998/99" で、タイトルに含まれる七人の、今接近における一ヶ月ごとの観測数を視直径δとδ2の変化のグラフに重ねて示している。

 LtEは、D PARKER (USA), S WHITBY (USA), D KLASSEN (USA), TAN W-L (Singapore), B COLVILLE (Canada)の外国の諸氏と、国内の、常間地(神奈川)、伊舎堂(沖縄)、森田(広島)、日岐(長野)の方々から寄せられた。巻末には、村上の「藤沢便り」が取り上げられている。

 TYA(54)は、CMO#084(25Feb1990)が紹介されている。廿年前の朝方の火星は「いて座」にあり、少し離角が出来て、午前三時には地平線から顔を出すようになっていたが、観測報告はMn氏からのものだけだった。1988CMO観測ノートとして、#10「火星観測における分光特性について」白尾元理氏、#11「十月上旬のM Acidalium上の白雲について」南政次氏の二篇がある。また、浅田正による暦表(May〜August 1990)も掲載されていた。


村上 昌己 (Mk)