◆20Apr1997邊りでエリュシウム南部から朝方西方にかけて濃い朝霧のburstが二つ玉の形で見られたことについて、#190 p2082 (英文はp2084)で、特に比嘉(Hg)氏の觀測を中心に報告したが、Hg氏の觀測は充實しているのでここではそれをやや詳しく解説・補足したい。 ◆Hg氏の画像に現われた朝雲の様子は、特に西側の喰み出し雲が實に印象深いものであって、Mk氏もHg氏からFDで報告を受け、再三その印象を筆者宛のemailで述べている。 ◆最もこの二つ玉の朝霧が顕著に現われているのは、20Apr11:55GMTω=210゜W邊りの數点(12:03GMTω=212゜W、12:12GMTω=214゜W等)であるが、動画の方に11:20GMTω=202゜Wの画像があり、まだ朝方は不鮮明で、然し既にエリュシウム上は白く、アエテリアの暗斑の南まで流れているという状態である(Hg氏のその後のお便りによると、20Aprの觀測は11:19〜12:24GMTであった)。11:55 GMTω=210゜Wのプリントはカラー像だけでなく、赤色像、青色像が分離されていて、特に青色像に二つ玉は顕著である。従って白色雲であることは間違いない。尚、20Aprで季節は107゜Ls、視直徑δ=12.5"、位相角ι=25゜であった。
◆一方、Hg氏は前後の19Aprと21Aprを撮影しているので、ある程度比較が可能である。19Aprには12:20GMTω=225゜Wの像がある。エリュシウムは既に午後側に移っていて、明るいが喰み出しの部分は明確ではない。ただ、シュルティス・マイヨルは西端から顔を出し掛かっているが、この邊りには朝霧が見えている(Hg氏のその後の聨絡で12:48GMTω=232゜Wの画像を頂いた。この時の撮影時間帯は12:46〜13:21GMTの由)。エリュシウムに續く雲海はシュルティス・マイヨルの朝雲と同質であろうが、朝方可成り長く持続するものの、正午に近づくにつれてエリュシウム上の雲より薄れたものであろうが(ω=232゜Wではシュルティス・マイヨル上と聨携しているが、エリュシウムは獨立して明るい)、20Aprにburstした可能性がある。
◆Hg氏の21Aprの像は動画で報告を受けたのが最初である。既に、#190p2082で述べたように、1)11:40GMTω=193゜W、2)ω=202゜W、3)ω=212゜W、4)ω=222゜W、5)ω=232゜W、6)14:40GMTω=241゜Wと續く。
◆#190に既報のように、阿久津富夫(Ak)氏は19Aprにa)ω=213゜W、22Aprにはb)ω=183゜W、c)ω=202゜W、d)ω=218゜W、e)ω=236゜W(#190p2082の報告とωが少しずれるのは今回はB光の時刻を採っているからである)などに撮像していて、R光などは何れも良像であるが、B光は稍質が落ち、a)では朧気ながら二つ玉は見えるかという状態。c)とd)においては確認できるが、Hg氏との20Aprのイメージとの比較は難しい。然し、Ak氏の像はHg氏の外している時間帯を狙っていて貴重である。 ◆一方眼視では同じ沖縄の伊舎堂弘(Id)氏が19、20、21Aprと觀測している。19Aprはω=223゜Wで朝霧が大きい。20Aprはω=240゜W、250゜Wで稍時間的に遅い。21Aprはω=212゜Wとω=222゜Wの觀測だが、朝霧は大きいもののエリュシウム・モンスの核が描かれていて、エリュシウムとの聨関がない。
◆Mk氏からの聨絡によると、MarsWatchのウェブサイトに唐那・派克(DPk)氏の7Apr(101゜Ls)ω=208゜Wの像があり、エリュシウムは白く、朝方は朝霧で惚けているようである。一方、日本からの觀察では五月の下旬に似たような光景が持續されて見えていた。例えば、筆者の觀測では28May (125゜Ls)ω=190゜W、ω=200゜W、ω=210゜W、ω=219゜W、ω=229゜W、ω=239゜Wなど。また、1995年の紀録を繙くと、筆者の觀測では31Apr1995(078゜Ls)ω=215゜Wや4Apr1995(080゜Ls)ω=217゜W(δ=10.1")等に出ている。 ◆從って、時期的には可成りの幅のある現象かと思われるが、残念ながら、前後の海外の觀測は(MarsWatchも含めて)情報として得ていないので幅を決めることは出來ない。然し、今までの映像やスケッチを見る限り、20 Apr(107゜Ls)は特別鮮烈であった、つまり一つのピークであった可能性があると言えると思う。 (Mn南)
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