この言葉ははまるで「野次喜多道中」から抜き取ったみたいです。十返舎一九の原文は読んでいませんが、五右衛門風呂の話があるところを見ると、江戸時代の旅篭ではすでに風呂がたいせつなサービスであったことがわかります。また江戸時代湯女という色っぽい女性があったことも、いつのまにか私の頭の中のハードディスクに記入されてあります。ついでですが、「十返舎一九」と「五右衛門風呂」とは、IME98で一発で出てきました。私が一太郎、ATOKでなく、Word、IMEを使っているのは、わざわざ選んだわけでなく、台湾のT-ZONEで売っていたからです。一太郎も今では台湾T-ZONEにあります。
頭の中のハードディスクによると、ヨーロッパ人に入浴の習慣が芽生えたのは、かなり近世のことで、時代をはっきり言うほどの自信はありませんが、早くて19世紀初めではないかとおもいます。二次大戦前のヨーロッパ人が書いた日本風俗の書に「日本人の風俗で、特別に言及しなければならないのは、毎日風呂にはいる習慣である」とありました。私は中学生時代その本を日本語訳で読みましたが、書名も著者も覚えていません。
オードリー・ヘップバーン主演の映画『マイ・フェア・レディー』では、金持ちの言語学者が市場で貧しい花売り娘(ヘップバーン)を拾って、屋敷につれて帰り、先ずは風呂に入れて着替えさせよと侍女たちに命じたところ、花売り娘は、とんでもないと必死に抵抗する場面があります。時代は19世紀後半に設定されているようです。
ここで思い出しましたが、ピエール・ロティ作の小説『お菊さん』にも「風呂は日本人が毎日かならず行う滑稽な行事で・・・云々」とありました。時期は明治初年ですから、これまた19世紀後半となります。フランス軍艦が長崎に長期停泊中、士官のロティが、お菊さんを現地妻として囲う話しです。この小説が後に改作されて『マダム・バタフライ』のストーリーになったのだそうです。廿世紀になると、入浴の習慣が欧米人にも漸次普及しましたが、アメリカ人のほうがヨーロッパ人より早かったらしいのです。要するに私の頭には、いつのまにか、中世のヨーロッパ人には風呂の習慣がなかったという観念ができています。間違いなら訂正します。