○・・・・・・蔡さんは前月28日に帰ってきたのに、十月7日になってやっと私にfaxをくれました。上海の天文台のことについてはすでに交渉結果を南さんにお知らせしたとのことですが、蛇足ながら蔡さんから私へのfaxの一部分を抜き書きしましょう。「40cmはまだ使用している 故障はない 眼視と写真両用の双筒式、宿泊費と食費は不用、招待所に泊るとき一日300元だが100元にしてくれる由」
私は1942年の春から終戦まで上海自然科学研究所の地球物理学科で助手のような仕事をさせてもらっていました。実験の手伝いだとか、データの整理だとか、印刷の校正、写真の現像焼き付け、英文タイピストの代わりなどをやっていました。当時のタイプライターは、キーを押すのでなく叩くのでした。私はブラインドタッチで叩けました。今では指が関節退化で、まっすぐでなくなったので、キーボードを見ながら打っています。またそのころ私は天文学少年を脱皮して、数学青年になりかけていましたが、独学では数学は難しすぎました。中学時代に、数学の力で海王星が発見されたことを本で読んだのが、数学好きになった原因です。
フランス人が創立した上海の天文台というのは、当時徐家匯天文台と言っていましたが、私は見に行ったことがありません。
私がNetscapeでCMOを開いてみると、南さんがおっしゃったような右(左?)半分に目次が現れるということはありません。画面全体が本文です。しかし南さんのおっしゃったことは、頭にいれておくことにしましょう。
蔡さんから東京行きを誘われています。今のところ私は東京へ行く用事は何もありません。しかし秋の十月天気のよい東京をぶらぶら歩くのはわるくないと思いますので、考慮中です。