Ten Years Ago (200)
----CMO #254 (25 December 2001) pp3183~3206----
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn2/cmo254/index.htm
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頭書の観測レポートは18回目を数え、2001年十一月後半と十二月前半の観測報告がまとめられている。この期間には、火星は夕空の「やぎ座」で順行を続け、天王星を追い抜いて行った。日暮れも早くなり夕方からの観測は回数を稼げた。視直径はδ=8.0"から6.8"と小さくなったが、黄雲も沈静化し暗色模様が顕在化して観測にメリハリがでているとある。季節はλ=273°Lsから291°Lsまで進み、中央緯度はφ=19°Sから25°Sと大きく南に傾き、欠けはι=44°から42°と大きいものの、大接近の頃と季節的にも同様の姿となっていた。
観測報告者は国内から8名・239観測、外国から5名・42観測を数え。国内では南(Mn)氏と常間地(Ts)氏、外国ではパーカー(DPk)氏の活躍が目立った。
この期間の欠測日は12月5日の1日だけで、レポートは日付を追って述べられている。まず11月後半の日本とオーストラリアからの観測では、ヘッラスが朝方に見える経度から、マレ・シレヌムが午前側に見えるまでの様子が取り上げられている。ヘッラスはやや明るく、続く大陸も明るく見えている。暗色模様はよく見えていて、詳細はとらえられないもののマレ・テュッレヌム、マレ・キムメリウム、マレ・シレヌムの様子がある。アエテリアの暗斑などもとらえられているが、傾きが大きく北半球の情報は少ない。同時期のアメリカ側からの様子はDPk氏の連日の観測から描写されている。ソリス・ラクス領域から始まり、マレ・セルペンティス付近までが入っている。視直径が小さくなっている割には細部がとらえられている。変化が残るソリス・ラクス領域は詳しい解説がある。また、マレ・セルペンティスからマレ・エリュトゥラエウムへ延びる直線的な暗帯が明確であった。
12月前半の観測は日本からはソリス・ラクス領域が見えるところから始まり、DPk氏の画像にあるソリス・ラクス北方に見られた暗斑を捉えている。熊森(Km)氏の撮影ではアルギュレあたりの明部を捉える。アメリカ側での観測では痩せたシュルティス・マイヨルが視野に入ってきている。マレ・エリュトゥラエウムへ延びる直線的な暗帯はマレ・イオニウムから発しているのが確認できた。ヘッラスは明るいが内部にゼア・ラクスが見えている。マレ・テュッレヌム、マレ・キムメリウムの暗帯も濃く見えてヘスペリアが明るく分割している。エリダニア・アウソニアあたりの大陸も明るく捉えられていて、その南にはマレ・クロニウムが濃く見えている。南極冠は小さく丸く明るく捉えられていた。
LtEには、Don PARKER (FL, the USA), Ed GRAFTON (TX, the
USA), Jeffery BEISH (FL, the USA),
Sam WHITBY (VA, the USA), Dave MOORE (AZ, the USA), Bill SHEEHAN (MN, the USA), Randy TATUM (VA, the USA), David GRAY
(Durham, the UK), Elisabeth SIEGEL (Malling, Denmark), Frank J MELILLO (NY, the
USA), Brian COLVILLE (Canada), Wei-Leong TAN (Singapore)の外国の各氏より、国内からは、堀川邦明(神奈川)、熊森照明(大阪)、森田行雄(広島)、伊舎堂弘(沖縄)、阿久津富夫(栃木)、松本直弥(長崎)の各氏よりのお便りが紹介されている。
他には西田昭徳氏によるForthcoming 201 Mars(14) 「2001/2年の火星観測暦表(その6)」 "Ephemeris for the 2001 Mars. VI " が掲載された。2002年1月から2月末までの暦を取り扱っている。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn2/01Coming14j.htm
コラム記事の、連載13回目「アンタレス研究所訪問」は、クリスマスの月らしく、常間地(Ts)さんによる「ベツレヘムの星」と題された一文が取り上げられた。イエス誕生の時にダヴィデの街の上に輝いたといわれるベツレヘムの星の古今東西の天文的解釈を紹介している。現代ではクリスマスツリーの上に象徴的に飾られている星である。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/Ant013.htm
また、TYA(76)はCMO#112 (25 December 1991)からである。20年前の火星は十一月の「合」あと、朝方の空に移っていたが、太陽との離角は小さく、まだ観測は再開されていなかった。この号には、ALPOの1990年発生黄雲のレポート、BAAの1988年の観測報告、ドイツでの開催が決まったMEPCO'92の案内など、外国からの情報が掲載されている。前号に続いてDon PARKER氏からのLynxx CCD Cameraによる惑星画像も紹介されている。また、来日された蔡章献先生と南政次氏との再会の記事と、かわされた会話から圓山天文台と台湾の様子も伝えられている。ほかには、「夜毎餘言」XXIVがあり「Sousekiは俺のことかと漱石」と題された、日本語のアルファベット表記の問題点の考察がある。
なお、この号(#112)は廿年前南政次氏のご母堂の入院された三国病院で編集された最初の『火星通信』であった(ご母堂はその後16年闘病され、亡くなった)。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn1/Zure12.htm
「夜毎餘言」XXIV
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmo/254/tya076.html
TYA#076
巻末には「一點點・一天天」"(Dust….) Too Early" ←Spring … too Longが南政次氏により草されている。2001年の黄雲が観測態勢のそろわないうちに到来したことを嘆かれていて、『火星通信』創設の目的と動機も披瀝されている。ぜひ再読をお勧めする。黄雲現象など火星の現象の追跡には、火星の自転による制約からグローバルなネットワークが不可欠である。日本・アジア・ヨーロッパ・アメリカと経度を追っての観測地で、連続した観測結果が出るように連携を作らなければならないが、その態勢が整っていなかったのである。CCD画像撮影・インターネット時代になっても、なかなかその溝は埋められていない。
村上 昌己 (Mk)
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