編 集 後 記


十一月には、月初めにOAAの東京年次総会があり、福井の西田氏が来京して、火星課の活動についてお話しをしてくださることとなり、講演が2日に計画されていた。出渋る私に換わって講演をお願いしていて、私も東京の年会には出席するつもりでいたが、あいにくの雨降りの天気となり出発をためらってしまい、西田氏と会う機会を失って申し訳ないことをしてしまった。

蓼科では十月末から合宿中で、天気の変化は早く晴天が期待できるときがあり、去りゆく紫禁山・アトラス彗星(C/2023 A3)に別れを告げに蓼科へ行くこととなった。

彗星は既に六等級となり双眼鏡では都会では捉えることが出来なくなっていたが、蓼科の暗い空では予報位置にどうにか双眼鏡でも捉えられて撮影することも出来た。三泊四日の二晩観測することが出来た。そんな時間の無駄遣いもあって、今月も火星観測レポートの完成が大幅に遅れてしまった。

 


 

蓼科でも季節の進みは遅れ気味で、紅葉になってはいたが、カラマツはまだ黄色くなく、空の色も湿気を含んで秋の透明感がなかった。下界に戻っても平年より気温の高い日が続いていたが、この数日は寒気の南下で、寒さが訪れてコタツを用意することとなった。近所のイチョウもまだ青葉だが、ドウダンツツジはすっかり紅葉している。小菊の花や皇帝ダリアの花も咲き、近所の柑橘類は色づいて、秋の様子になってきた。

 

十月28日に太陽をかすめて通過する予報が出ていたクロイツ群のアトラス彗星(C/2024 S1)は、接近日にはSOHO衛星のLASCOカメラに捉えられていたが、最接近前に消滅してしまったのがLASCOカメラで確認できて、残念なことであった。第二の「関・池谷彗星」になって朝方の空に明るく見えるとも思われていたので期待はずれでもあった。

二つの彗星の出現で、九月から十一月にかけては、久しぶりに慌ただしい日々となった。思うように、体が動かなくなったこともあり、すべてのことが遅れてしまっているのは残念なことである。火星の観測も、まだスタートできていない。

二十年前の機材での撮影だが、蓼科で写すことが出来た彗星の画像をご覧いただく。尾の長さは一度程度、光度は六等級にまで暗くなっている。

 

 

十一月22日記

火星課長 村上昌己 


日本語版ファサードに戻る / 『火星通信』シリーズ3 の頁に戻る