Ten Years Ago (219)
---- CMO #274 (
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/cmo274/index.htm
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/cmo275/index.htm
2003年七月から暫く、半月ごとの編集になっている。今回はCMO#274 (10 July 2003)とCMO#275 (25 July 2003)の二号の紹介となる。
CMO#274 (10 July 2003)では、観測レポートとLtEが採り上げられている。CMO 2003 Great Mars
Reportは九回目となり、16 June 2003 (λ=204°Ls)
から 30 June 2003 (λ=213°Ls)の半月の観測報告が纏められている。この期間の23 June に南(Mn)氏は梅雨明け直後の沖縄へ遠征観測で移動して、那覇市天久の九階建てのビルの屋上に観測場所を設定して観測に入った。風の影響があるものの晴天が続いて、26 June からは連続観測に入っていて、レポート末尾に訪沖した時の状況が記載されている。
この期間には、火星はみずがめ座を順行して、夜半過ぎからの観測対象であった。季節はλ=204°Lsからλ=213°Lsに進んで、視直径はδ=14.4"からδ=16.5"に大きくなった。中央緯度はφ=21°Sでほぼ一定していた。位相角はι=41°からι=37°になり欠けが少し小さくなった。
視直径も大きくなって、観測報告者数は半月で31名(189観測)を数えた。内訳は、国内から8名(81観測)、ヨーロッパ7名(30観測)、アメリカ11名(60観測)、アジア・オーストラリアから5名(18観測)であった。観測数の多いのは南氏の50 Drawingsを筆頭に、 阿久津富夫(Ak)、ジェフ・ビーシュ(JBs)、 シルヴィア・コヴォッリク(SKw)、呉 偉堅(ENg) ドン・パーカー (DPk)、クリストフ・ペリエ (CPl)などの諸氏が挙げられる。
レポートは、 各地点の現象別に注目点を取り上げているが、21 June (λ=207°Ls)に発生したシュルティス・マイヨル東岸のイシディス・プラニティア黄塵が特筆されている。他には、朝霧・夕霧と黄色い靄、アエリアの夕霧、イアピュギアの靄、ヘッラス内部の描写、 ソリス・ラクス周辺、オレステスの拡大、アルシア白雲、南極冠内部の陰影と周辺部、北極雲などの章を立てて詳説されている。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/274OAAj/index.htm
LtEは25 June から 9 Julyまでの、37名の諸氏からの来信が纏められていて、上記のCMO #274ページURLから辿ることが出来る。国内からは。阿久津富夫(栃木)、浅田 正(福岡)、伊舎堂弘(沖縄)、岩崎 徹(北九州)、熊森照明(大阪)、宮崎 勲(沖縄)、森田行雄(広島)、相馬 充 (国立天文台・東京)、梅田美由紀 (福井市自然史博物館・福井)、湧川哲雄(沖縄)、藪 保男(OAA,滋賀) の11名を数えた。
国外からはDon BATES (TX, the
USA), Jeffrey BEISH (FL, the USA), Bob
BUNGE (MD, the USA), Brian COLVILLE (Canada), Tom DOBBINS (OH, the USA), Martin
GASKELL (NE, the USA), Ed GRAFTON (TX, the USA), David GRAHAM (the UK), Carlos
HERNANDEZ (FL, the USA), Silvia KOWOLLIK (Germany), Paolo LAZZAROTTI (Italy),
Richard McKIM (the UK), Frank MELILLO (NY, the USA), Dave MOORE (AZ, the USA),
Eric NG (呉 偉堅, Hon Kong), Don
PARKER (FL, the USA), K C PAU (鮑 國全, Hon Kong), Christophe PELLIER (France), John
ROGERS (the UK), Richard SCHMUDE, Jr (GA, the USA), Bill SHEEHAN (MN, the USA),
Clay SHERROD (AR, the USA), Maurice VALIMBERTI (Australia), Erwin Van Der
VELDEN†(Australia), Sam WHITBY (VA, the USA), Ferruccio
ZANOTTI (Italy)の26名にのぼった。
CMO#275 (25 July 2003)には、レポート、LtE、TYAが採り上げられている。CMO 2003 Great Mars
Report は十回目となり、1 July (λ=213°Ls)
から 15 July 2003 (λ=222°Ls)までの七月前半の報告を取り扱っている。沖縄は晴天が続いてMn氏にはこの期間の欠測日がなかった。タイミング良く発生した黄雲の追跡観測があり、観測数は105 Drawings に達している。
この期間も、火星はみずがめ座にあって、明け方には南中するようになっていた。季節はλ=213°Lsからλ=222°Lsまで進み、視直径はδ=16.7"からδ=19.2"とかなり大きくなって観測最盛期となった。中央緯度はφ=21°Sを引き続き保っていて、位相角はι=37°からι=32°に丸みが増した。南極冠は縮小して雪線は60°Sと70°Sの間にきていた。19秒角を越える接近は少なく、前回2001年と次回2005年までで、その後は2018年の接近まで待たねばならないとしている。
観測報告者は44名(361観測)と増加して、内訳は、国内から10名(153観測)、ヨーロッパ14名(81観測)、北アメリカ15名(92観測)、アジア・オーストラリアから5名(35観測)であった。
Mn氏の観測数が群を抜いているが、JBs, SKw, 熊森照明(Km), ENg, DPk, CPl, クレイ・シュッロド(CSr), 湧川哲雄(Wk)の各氏から二桁の観測報告が寄せられている。日本本土ではまだ梅雨が明けていなかった。
レポートには、始めに「黄雲」と題して4 July (λ=215°Ls)に発生したノアキス黄雲を日を追って追跡した様子が取り上げられている。前号のおさらいで21 June (λ=207°Ls)にシュルティス・マイヨル東岸に見られた黄塵やイアピュギアの靄の六月末までの様子をまずおさえて、七月にはいってからは、イヤピュギアの南部に黄塵の集中がアメリカ側で観測されていること、東洋側で捉えられたアキッリス・ポンスには黄色い筋があり、ニロケラス東に明るい黄塵が拡がっていることなどに注意して、CMO-Webのファサードに下記Director's Note (DN) が発信された。
4 Julyになってアメリカ側では朝方のイアピュギアで黄塵らしいものがヘッラスの方に張り出し西の方にも発展しているらしいという話が伝わっている。その数時間後の沖縄では伊舎堂(Id)氏とMn氏がデウカリオニス・レギオに境界の明確な黄雲があり、その根っこはマレ・セルペンティス辺りにあり、シヌス・サバエウスを美事に切断している様子を捉え、これは観測開始から直ぐに判明したらしい。大事な点は、この黄雲は、シヌス・サバエウスの西側半分が濃い茶系統であったことから、そのあたりに高気圧があり、その東側から吹き出した風が砂塵を巻き上げたことは確かで、低気圧部に黄雲が出來ていたわけであろう。4 Julyの段階では未だ黄雲が新しいことが見て取れたようだ。この黄雲の発生は直ちにDNで発信された。同じ沖縄の宮崎(My)氏も同時に気付かれていたとのことである。こうした黄雲は朝に発生し、その後あまり変化しないので、火星の午後側で捉えることも意味があると言える。黄雲領域が夕縁に隠れて、沖縄の最終観測前には纏めのレポートをCMO 2003 News #1として、MkがCMOメーリングリストで発信した(下記Director's Notices で参照できる)。沖縄と藤沢はemailで結ばれていた。
5 Julyからは、アメリカ側で観測されているイヤピュギア東側の黄塵は輪郭が依然はっきりしないものの、ヘッラス北東部の方に張り出していたかもしれない(アメリカの像は強調されすぎである)。7 Julyにはほぼ拡散したが、ノアキス方面との連結は強くなっていた。ノアキス黄雲はヘッラス上空にまで拡がって大きな雲海となり、その中のヘッレスポントゥスのあたりは日替わりの奇妙な陰影模様を見せていた。8 Julyになると水平方向への拡がりはなく黄雲の再生能力は弱まって見えた。マレ・セルペンティスあたりが幅広く濃化しているのが観測され、他の暗色模様も復活していた。9 Julyにはノアキスに黄塵の固まりがところどころに残っているようであったが、その後拡散した。火星面は上空に拡がった黄雲で透明さがなくなり、画像がシヌス・サバエウスも含めて全体が汚くなってきたと報告された。Mn氏のωを揃えた3 Julyから10 Julyまでの連日の観測は以下のURLで見ることができる。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/Mn_July03Cloud.jpg
注意するのは、黄雲は昼間の間は台風のように変化するものではなく、いったん朝方に発生するとその形を保つもののようである。夜には沈下するのだが、ポテンシアルを保つ黄雲はもう一度朝方で再発生する。ただし、その形はかなり変わる。変わったまま、昼を通過し、夜にはまた沈下すると考えられる。この繰り返しが今回も見られたが、さすが最後には弱くなり、拡散し、消失する。今回は2001年のように大黄雲には至らなかったが、Id氏などはこの黄雲の光景を長時間追いながら愉しんだようである。
なお、DNは次のように英語で書かれた。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomk/DN1.html
Director's
Note
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/2003ds/dr1.html
Director's
Notices
次いで、CMO #275の報告は、各注目点の詳説となり、マレ・セルペンティスの拡大、南極冠内部のリマ・アウストラリス、ノウゥス・モンス、アルゲンテウス・モンス、パルワ・デプレッシオなどの様子、4 July に見られた南極冠からの吹き出し、 アルシアの白雲とオリュムプス・モンスの陰側がB光で黒い点に写っていたこと、 ソリス・ラクス周辺、アルギュレ、マレ・キムメリウム周辺、マレ・シレヌム周辺、内部の構造が見え始めたエリュシウムと濃い斑点のトリウィウム・カロンティスなどが採り上げられている。詳しくは次を見られたい。
http://www.hida.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/275OAAj/index.htm
LtEには、10 July から24 July までの下記44名の皆さんからの来信が紹介されている。国内からは阿久津、浅田、伊舎堂、岩崎、熊森、森田、岡野邦彦(東京)、湧川各氏の8名より、
外国からはBarry ADCOCK
(Australia), Paolo BALDONI (Italy), Don BATES, Jeff BEISH, Nicolas BIVER
(France), Bob BUNGE, Jamie COOPER (the UK), Daniel CRUSSAIRE (France), Tom
DOBBINS, Mario FRASSATI (Italy), Camilo FUMEGA (Spain), Ed GRAFTON, Alan HEATH
(the UK), Carlos HERNANDEZ, Harold HILL (the UK), Silvia KOWOLLIK, Paolo
LAZZAROTTI, Frank MELILLO, David MOORE, Eric NG, Don PARKER , Damian PEACH (the
UK), Christophe PELLIER, Eric ROEL (Mexico), John ROGERS, Jesús SANCHEZ
(Spain), Stefan SEIP (Germany), Bill SHEEHAN, Clay SHERROD, Elisabeth SIEGEL
(Denmark), TAN Wei-Leong (陳 韋龍, Singapore),
Maurice VALIMBERTI, Erwin Van Der VELDEN†, Johan WARELL (LPL, AZ, the USA), Sam WHITBY, Ferruccio ZANOTTIの各氏36名の多数にのぼった。
TYA#95は20年前のCMO#135 (25 July 1993)が日岐敏明氏の筆により紹介されている。火星は既に観測期を過ぎていて、観測レポートにはMn氏の最終観測11June(λ=091°Ls)と森田(Mo)氏の最終報告などが取り上げられている。この期にはMn氏838枚のスケッチを残した。Mo氏は全体でカラー写真128枚、白黒写真133枚の報告であった。本文はLtE中心でMo氏、筆者(Mk)、岩崎徹(Iw)氏、頼武揚(W.-Y. LAI)氏らの来信があった。「夜毎餘言・XXXVI」は「眠割」と題してMn氏が御母堂の看病にあたられた際の夜間看護の状況と、その後に長時間の睡眠が取れなくなって、分割睡眠になってしまったことが書かれている。御母堂は1991年の年末に脳梗塞で倒れられ、2007年の終わりに亡くなられた。
http://www.hida.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/275tya95.htm
村上 昌己 (Mk)
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