Ten Years Ago (216)
---- CMO #271 (
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/cmo271/index.htm
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の期六回目の観測レポートには2003年三月16日から四月15日までの諸氏の観測がまとめられている。この期間に季節はλ=153°Lsからλ=169°Lsに移り、視直径はδ=6.7"から大接近に向けて8.3"まで一回り大きくなった。傾きはφ=6°Sから13°Sと大きくなった。位相角はι=39°から42°へと増加し、少し欠けが大きくなった。なお、3月6日には視赤緯が-23.5°となって、南に最低になった。以後、少しずつ上っていたわけである。
観測報告者は国内から五名(伊舎堂 弘、森田 行雄、南 政 次(Mn)、中 島 孝、村上 昌己(Mk)の各氏)、欧州二名(フラッサチ氏、ペリエ氏)、米国一名(ドン・パーカー氏)、オセアニア一名(ヴァィンバーティ(MVl)氏)であった。福井のMnはこの間38葉のスケッチを取った。他には森田(Mo)氏、パーカー(DPk)氏の活躍が目立ち、Mo氏はccd像を15組、DPk氏は12組のccd像を得ている。クルストフ・ペリエ(CPl)氏のCMOへの参加はこの時がお初であった。当時は18cm反射であった。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/271OAAj/index.htm
2001 Mars CMO Note
(#18)は"Airborne Dust
on 4 July 2001" 「2001年七月4日の火星大域黄雲」で、重要な観測として暗斑の出てくる様子をMo氏の連続像がかなり追っており、西田昭徳(Ns)氏の像に像には最も顕著になった頃を撮し出ている。濃くなっている部分が不思議なのである。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/271Note18.htm
"Great 2003 Mars
Coming (11)"は"When the
Apparent Diameter Exceeds 25 Seconds of Arc" 「視直径が25秒角を越えるとき」で、Ns氏により記された。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/271Coming11j.htm
LtT:国内からは 岡野邦彦(東京)、牧野彌一(富山)、日岐敏明(長野)、森田行雄(広島)、梅田美由紀(福井市自然史博物館)、岩崎 徹(北九州)、伊舎堂弘(沖縄)、松本直弥(長崎)。宮崎 勲(沖縄)、長 兼弘(石川)、渡部潤一(国立天文台)の各氏、国外からは Bill SHEEHAN (MN, the USA), Don PARKER (FL, the USA), 劉愷悧(Kaili LIU) (臺灣), Christophe PELLIER
(France), Frank MELILLO (NY, the USA), Damian PEACH (the UK), Tim PARKER (NASA,
the USA), Dave MOORE (AZ, the USA)の各氏から届いている。劉愷悧氏は『臺北星空』の編集委員である(現在も)。
日岐敏明(Hk)氏によるTYA#92は今から20年前のCMO #132 (25 April 1993)の紹介で、季節はλ=053°Lsからλ=066°Lsを推移したが、視直径は最終的に7秒角まで落ちた。しかし、国内ではHk氏も含めて五名の觀測者がまだ頑張っている。
尚、この號(#132)には福井市自然史博物館と足羽山天文台の沿革や1956年、1969年の観望会の様子などが軽く触れられていて、珍しい回顧である。以下のURLを再読願いたい(Mnの『夜毎餘言』に基づく)。#132の第一面には足羽山の福井市自然史博物館と天文台の遠景写真が出ている。なお、1952年建立の福井市自然史博物館(最初は福井市郷土博物館)と天文台はその前の広場とともに「福井復興博覧会」の第二会場になったところで(第一会場は今の福井大学本部内)、1945年の福井空襲と1948年の福井震災(M7.1)からの復興を記念するモニュメントであったわけである。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn3/271tya92.htm
村上 昌己 (Mk) & 南 政 次(Mn)
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