Ten Years Ago (211)
---- CMO #266 (
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/cmo266/index.htm
今 |
号から "CMO 2003 Great Mars Report" と題された2003年の観測レポートが始まっている。第一回目は2002年十月後半・十一月前半の観測が纏められている。福井での初観測は十月下旬から始まっていて、十一月始めには筆者も福井を訪ねて観測を開始している。この期間には、季節λは082°Lsから095°Lsに進み火星北半球の夏至を挟んだ期間だった。まだ視直径δは4秒角未満であり、傾きφは大きく北向きだったが、小さくなった北極冠は捉えられなかった。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/2003repo/01/01j.html
次いで2001 Mars CMO Note (12)として 「モンス・アルゲンテウス (白銀の山)」 が南氏により草されている。24 Oct 2001 (λ=258°Ls) にパーカー氏(DPk)が捉えた画像に写っている南極冠周囲の三角形の白斑に注目して考察を進めている。伊達英太郎氏が1939年に観測したスケッチの模写も佐伯著の本から引用して、パーカー氏の画像がこれを彷彿とさせるとしている。
モンス・アルゲンテウスは1924/25年にアントニアジの命名によるものでΩ=030°W, 70°Sあたりに中心があるという明斑である。当時の観測ではλ=197°Lsからλ=247°Lsの季節の範囲で観測されていたようで、この季節に見られる降雪か降霜ではないかとしている。今回は季節が少し遅れて観測されていることとなり、2001年黄雲の影響はどうだったかとしているが、資料不足で結論は出なかった。そこで近年のこの季節の観測を取り上げて調査を進めたが、明白に同定できる観測はなかった。
λ=200°Lsあたりの季節では南極冠の雪線は60°S付近にあり、モンス・アルゲンテウスは南極冠の中にあることとなり、分離して見えることはないであろうとの考えで、パーカー氏の画像に網掛けをしてみたところ、三角形の白斑は40°S付近まで下がっていて、アルギュレの一部であることは明白であった。南氏の1986年のスケッチ(λ=181°Ls)に現れているようにアルギュレの一部で北に下がった逆三角形のところが季節的に明るく見えるときがあるという結論である。次の機会には注意して観測したいポイントである。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/266Note12/indexj.html
最終ページになっているが "Great 2003 Mars Coming (4)”として「2003年の火星の見掛けの大きさと経緯度、位相の変化 (その1)」があり、西田昭徳氏作図のグリッド図で2003年三月までの初期の火星面の様子が紹介されている。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/coming2003/04j.html
LtEには外国からはClay SHERROD (AR, the USA), Frank J MELILLO (NY,
the USA), Bill SHEEHAN (MN, the USA), Brian COLVILLE (CANADA), Dave MOORE (AZ,
the USA), Sam WHITBY (VA, the USA),
David STRAUSS (MI, the USA), Ed GRAFTON
(TX, the USA), Damian PEACH (the UK), 国内からは尾代孝哉(和歌山)、伊舎堂弘(沖縄)、宮崎勲(沖縄)、佐藤利夫(東京)、森田行雄(広島)などの各氏から寄せられたものがある。
コラム記事は、TYA#087と「新・歳時記村 (6)」があり、後者の筆者による「北陸時雨・親不知」は、2004年の穴水でのカンファレンスの下見をかねて北陸を訪問したときの様子を記録している。親不知のローヱルも見たという壁書「砥如矢如」の見学行を中心に記述がある。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/mura6/mura_6.htm
TYA#087には日岐敏明氏により、20年前のCMO#123 (10Nov1992)とCMO#124 (25Nov1992)の内容が紹介されている。CMO#123は、前号で扱われた3 Oct 1992の伊舎堂弘(Id)氏によるガンゲス付近の黄塵の観測に関して、1992/93 CMO Note (1)「一時的なガンゲスの濃化とニロケラスの淡化」と題して、遅れて届いたビデオ画像なども参照して、あらためて考察している。他は来信が紹介されている。CMO#124には巻頭にBAAのMcKIM氏による1990年接近報告の紹介が載せられている。CMO観測レポートには20年前の様子が採り上げられている。当時の火星は夜半のふたご座にあり、季節はλ=350°Lsあたりとなっていた。視直径δは11秒角を越えて十分な大きさとなり、国内の観測者は九名に達して、シーイングは悪いものの、多くの観測が寄せられていた。他には、夜毎餘言(31)「火星街道と京福電鉄三国線各駅停車」などが来信とともに収録されている。
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmohk/266tya87.html
村上 昌己 (Mk)
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