Ten Years Ago (206)

 

---- CMO #261 (25 June 2002) pp3351~3378 ----

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn1/cmo261/index.htm


測期は最終となり視直径は四秒角を切っていたが、森田氏(Mo)が五月後半に観測を続行していて、観測レポートは24回目となった。また、マッキム氏(RMk)May 2001~ February 2002 の追加観測報告があり紹介されている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/01Repo24j.htm   

ついで2001 Mars CMO Note(7) "Dissipation of the 2001 Dust Cloud Compared with Previous Cases" 2001年大域黄雲の衰退時期 (1956, 1971, 1973年黄雲)」が掲載され、2001年黄雲の衰退時期を推測して、以前に観測された大域黄雲と比較している。始めに衰退期の資料の多い1971b黄雲から取り上げて、今回のものと比べている。表題にある1956, 1973年の他にも1977年のものも取り上げられている。今回は黄雲が覆っている期間のみを比較していて、それぞれの季節や強度の違いは度外視しているとのことであり、衰退の時期にもバラツキがみられている。地上からの観測で衰退期の目安となるのは、水蒸気の働きによる白雲活動の復活であるとしている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/261Note7j.htm 

 

LtEには、外国からはJeffery BEISH (FL, the USA), 蔡章獻 (Taiwan), Richard McKIM (the UK), Tom DOBBINS (OH, the USA), Damian PEACH (the UK), Bill SHEEHAN (MN, the USA), Clay SHERROD (AR, the USA), Alan W HEATH (the UK)、国内からは阿久津富夫(栃木)、森田行雄(広島)、堀川邦明(神奈川)、日岐敏明(長野)、伊舎堂弘(沖縄)、岩崎徹(福岡)、松本直弥(長崎)、木村精二(東京)、熊森照明(大阪)、岡野邦彦(東京)の諸氏からのものが掲載されている。

 帰国したビーシュ氏からは沢山のメールが寄せられた。また、シーハン氏からも長いメールが寄せられていて、2004年の穴水での集会開催の計画が話し合われている。さらに、ピーチ氏からはホームページ開設のお知らせなど、ヒース氏からは五月はじめにあった夕空での五大惑星の接近の様子が伝えられている。松本直弥氏からはテニアン島に遠征して観測した金環食の様子と画像が寄せられている。

 

「アンタレス研究所訪問」は常間地さんの筆で20回目を数えた。今回は「隈」と題して、隈取りの話題からはじまる歌舞伎の化粧や所作などの話である。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/Ant020.htm

 

TYA#082CMO#118(25 June 1992)号の紹介で、筆者がこの回から日岐敏明氏に替わった。まずは、ようやく観測可能になった朝方の火星の様子が取り上げられている。CMO#118巻頭にはマッキム氏による1992/93年接近の案内があり、次いで「1990 OAA Mars Section Note(6)」は「観測頻度分布図の試み」である。「夜毎餘言」は本居宣長の「うい山ふみ」のなかの言葉を火星観測の姿勢に結びつけたものである。この号には「編集室便り」があり、ご母堂入院中の三国病院での編集作業の様子が記されている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/261tya82.htm

筆者の新コラム「新・歳時記村」が始まり、白い夏椿の花を取り上げ、20年間暮らした藤沢の地を離れることとなった頃の心境が記されている。

http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~cmo/cmomn0/mura_1.htm

 

             

                                            村上 昌己 (Mk)


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