2009/2010 CMO火星通信』火星觀測ノート (10)

最近のソリス・ラクス領域の變化

 CMO #382 (25 March 2011)

南 政


リス・ラクス(ソルの湖)は觀測の難しいところで、幸い大接近の頃は中央を通過してゆくが、小接近になると南の方に寄って甚だ見辛くなる。尤も小接近の頃は火星の高度が高いので斑點としては捉えやすく中途半端なときの方が辛いかも知れない。

 最近では2003年の大接近ではアウレア・ケルソのあたりの詳細が400×邊りでも詳細が見え、見事なものであったが、那覇で湧川哲雄氏の25cmで觀測された常間地ひとみさんのスケッチを元に略図を作ると朝方でも大體こう見えていた。然し、通常はこうは行かない。尤も火星觀測の本來は詳細に拘ることではないから、ソリス・ラクス周邊の捉え方をお座なりでなく一家言として把握するように努力しなければならない。一つは、ソリス・ラクスが年毎に一定ではなく、常に變化していることで、これを追求し、何らかの傾向などを把握しなければならない(或いはその意圖を持つ)ことであるが、いままで完全に成功しているとは言えない。

 變化そのものは例えば、アントニアディの本のp140からp141に掛けて1877年から1926年の期間で著しい變化を整理してあるのは有名な例だが、その後も整理をすればいろいろなものが出てくることは間違いない。上の場合でも1877年のスキアパレッリの圖はずば抜けて珍奇なのであるが、同じ年にトルヴローが遺している(3Sept1877)圖も似たようなもので、スキアパレッリに狂いがあるのではなくソリス・ラクスに狂いがあったのである(IWCMOS LECOMTEの圖から左に引用する)

 

 ここで、スキアパレッリの1879年の圖とアントニアディの圖を右に並べておく。パーシス(の西部)の濃化は1877年から1879年に觀測されていたようである。

 ソリス・ラクスの變化は主に黄雲によるという言われ方をするが、確かに場所が場所だけに可能性はあるが、なかなか現實には把握されていないし、他の可能性がないとは言えない。

 

 先にCMO#380Note(7)に於いて、2009/2010年に濃度變化が見られた地方について二三採り上げた。實際にはソリス・ラクス周邊もそれに入るであろうが、煩雜すぎて敬遠したのである。今回はソリス・ラクス周邊に限ってそれを試みようと思うのであるが、2009/2010年期にはφが北向きで、ソリス・ラクスは南に上がり遍形しているので、比較の爲に直接ccd像を引用せずに手書きで概略を示すことにした。ccd像はフラナガン(WFl)氏のものとピーチ(DPc)氏のものを採用したが、兩者とも一夜に數枚の畫像を齎すので、非常に參考になった。逆を言えば、各像は5分から10分違いなのであるが、氣流の關係で細かく見ると決してソリス・ラクス周邊も同じ畫像では無いのである。手書きにしたのはそれらを平均化したい爲でもあったが、根氣が無くてそれも成功していない。從って概略圖として比較して欲しい。

 

 2003年には十二月にソリス・ラクス周邊で黄雲現象があり、その後が氣になるところであるが、既に視直徑は小さくなり、比較は容易ではない。そこで根幹の圖として2005年の黄雲の出る前の像を採用することにした。黄雲は18Octに出ており、この時ソリス・ラクスに變化はないが、ここでは16Oct2005のフラナガン氏の圖を採用した。以下にピーチ氏の圖を採用する場合はR像を基本としたが、フラナガン氏はL像を使うので、LRGB像から模冩した。フラナガン氏のR像は色を取るために良像ではないことが多い。(尤も、ピーチの場合もRGB像を見ると必ずしもR像を反映していない。) なお、2005年の方が2003年より相對的に濃度が高いように思う。ソリス・ラクスの面積も大きい。

  2005年の場合、黄塵は18Octに發生して居るがソリス・ラクス本體の東側に起こった爲、タウマシア・フェリックスを含めて餘り後遺症が無く、寧ろ東側のマレ・エリュトゥラエウムの方に影響が出たようである。但し、2003年に比べ、ネクトルの方がやや濃化しているように見えるが、2003年に顕著であったソリス・ラクスの東西を横切る運河状のものは見えている。

  2007年の場合、MROによって21June=262°Ls)にエオス邊りに黄塵の發生が檢知され(CMO#335參照)23Juneにはアルギュレに共鳴、24June=264°Ls)以降は地上からも觀測され、而もノアキスに轉移していた爲、可成り大きな黄雲になった。然し、ソリス・ラクスの方には共鳴していないように思う。ソリス・ラクスの東側に出たのは、例えば7July=272°Ls)のタイラー(DTy)氏の觀測の後のことと思われ(CMO#334)8July=272°Ls) にはキングスレイ(BKn)氏がω=064°WDPc氏がω=066°W ~072°W)、ボスマン(RBs)氏がω=068°W、アルディッチ(DAr)氏がω=071°W~083°Wで捉えているが、9July=273°Ls)でのDPc氏の ω=065°W~071°Wでは著しくなっている。またパーカー(DPk)氏の17July=278°Ls)ω=070°W19July=273°Ls)ω=049°W055°Wでも持續しているように見える。但し、ここでもδ=6.8"で詳細は分からない。問題はその影響であろう。      

  ここで2007/2008年用として採用した概略圖はDPc氏の7Dec2007=359°Ls)8DecのものとWFl氏の14Jan2008=017°Ls)のものである。明らかにソリス・ラクス本體に2005年とは違った變化が顕れていて、全體が小さくなっている。どちらかと言えば、ソリス・ラクスは2005年まで東西に核を持ち、角(つの)が二つ南方に出ているように見えていたが、西側の方が淡化し、底邊が三角形のように見える(アントニアディの圖で參照すればフルゴリス・デプレッシオが淡化し、ヘリイ・デプレッシオが殘った形)WFl氏のRでは三角形の濃度が比較的弱い。尚、アウレア・ケルソからカプリ・コルヌに抜けが出來ているように見える。大まかに言えば、ソリス・ラクス周邊の變化が近年の最大の變化である。

 尚、兩者は同じ接近にでも餘り經っていないが、嚴然と違うところが南東外側に見られるほか、細かな違いも見られる。春分を挾んで何か起こったのかも知れないが、それは現在のところ明確には把握できていない。多分、マレ・エリュトゥラエウムの濃化と同調して白雲が作用した可能性もある。25Dec=008°Ls)の比嘉(Hg)氏の像にはそれらしいものが顕れ、26Decの熊森(Km)氏や森田(Mo)氏の像にも顕れているようである。特に5Jan=013°Ls)のブルース(IBr)氏の像にはハッキリして來ている。

 もう一つ見落としてはいけない事實は、位相角ιが兩者で反對で相對的には30°ぐらいの違いがあり、影が兩者で違うということが影響しているところもあるかも知れないと言うことで、これはどの部分にも當て嵌まる。

 

 2009/2010年は不作で好い畫像が見附からない上に南へ移動しているために甚だ比較が困難であるが、23Jan2010=042°Ls)26/27Jan=043°Ls)DPc氏の像から概略圖を作り、スケールを合わせたものである。矢張り未だ本體は回復して居らず、西側は淡化したままのように思える。但し、アンブロシア・ラクスの邊りは濃化しているかも知れない(アムブロシア領域の暗化は1954年に見えた)。ネクタルとアガトダエモンの方は戸締まりが好くなって、タウマシア・フェリックスを囲む暗線の領域はハッキリしている。

 尚、上の各圖において位置關係は揃えるようにしたが、斑點などはシーイングの具合によって一定しないので、その邊りは密ではない。


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