ガリレオと望遠鏡


(Wikipediaより)

 望遠鏡の発明については諸説あります。当時西洋列強の植民地経営とおおきく関係して、まさにスペイン、ポルトガルなどの旧大国からオランダ、イギリスなどの新興産業国へとその権限が移行する時期にあたりました。海戦の軍事機密として望遠鏡の発明は、秘密にされた形跡があります。そのような状況のなかで、すくなくとも公式に発明特許を申請したのがオランダの眼鏡師でしたリッペルヘイです。彼は一風変わった依頼人の注文をうけて凸レンズ、凹レンズのセットを製作しましたが、その意図をみぬいて自分でも実験的に屈折望遠鏡を完成させ、1608年オランダ政府に特許を申請しました。その書類が残されております。16世紀後期のオランダはベネチアに継いでレンズ生産が盛んになったところです。哲学者のスピノザも生活の糧を得るためにレンズ研磨を職としていました。

 望遠鏡発明のうわさはすぐにヨーロッパ中に広がり、それを伝え聞いたガリレオ・ガリレイはすぐさま自分でも屈折望遠鏡を製作し、1609年秋には天体観測を始めています。翌1610年にかけて木星の衛星系を発見、太陽系のスケールダウン模型だと気づきました。また太陽黒点の観察、月面観察、天の川の観察などを行い、次第に自分の宇宙観を強固なものにし、『星界からの報告』を同年出版しました。ガリレオは数多くのガリレオ式望遠鏡を製作し、領主メディチ家をはじめ多くの有名人士に贈っています。ケプラーもガリレオから望遠鏡を贈られています。


ガリレオの屈折望遠鏡模型(学研『大人の科学』付録模型、事務局長製作)、 1610年6月26日の太陽黒点スケッチ、月面スケッチ(岩波文庫『星界からの報告』より 引用)

冨田良雄 2009年10月14日(河村聡人 2022年5月11日改訂)

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