或OAA火星課OBの最新『夜毎餘言』-その V
南 政 次
CMO/ISMO #412 (25 July 2013)
V-1.
もう七月: はや今年も半年が過ぎた。私は未だ眼が快復しないので、火星はゆっくり來て欲しいと願っている。冬の氣温のこともあるから、衝過ぎからと思っているが、他のメンバーには年末前から觀測を開始して欲しいと願っている。村上氏や西田氏には、そろそろForthcoming
Marsを書くよう依頼している。
ちょっと嫌な暑さが續くが、私は七月の初め頃から、體調の所爲かヴォルテージが下がった儘で、無爲を貪った。やっと巻頭エッセイも含めて#412のレイアウトが昨日出來て、少し氣が樂になった。昔のように想いのまま速く書けないので、今後のことを考えると前途多難である。然し、最後の底力は出ると思う。
雄猫の寝床は冷房の眞下になる爲、猫が嫌って、隣の部屋の床の間の上に自分で寝場所を移動している。實は私の部屋の押し入れの襖は、昨年私が何度も倒れ込んだ際ぶつかって、シンが折れたりして、無茶苦茶になっていたのだが、その儘になっていた。然し、次第に開け閉めが難儀になってきたので、襖一本修理に出した。その間、猫の押し入れの中への進入が憚れたが、彼自身で住居を移したので助かった。修繕した襖は新品に見える。時々、この猫は夜中に何か食べたくなるらしく部屋に入って來て鳴くが、一度、私も元氣が無かったから、無視したら、隣の床の間の寝床に歸って行った様である。後で見に行ったら、寝床の上で向こうを向いて眠っていた。
幸い、三國はゲリラ豪雨も無いようだし、福井より氣温は數度低いのだが、それでも昨夜から今日は蒸し暑く、過ごし難い。
V-2. 暫く独り暮らし:
家内は七年前に、股關節の手術を受けたのだが、その部分の様子が最近おかしくなり、再手術の爲今週末から入院となった。前回はまだ私も元氣で、見舞いや外食など出來たのだが(病院から天文臺へ行った記憶もある)、今回は車運轉差し留めを命じられていて、私は家から一歩も出られない以上、宅食配達というものを頼むことになった。問題は土・日の配達がないことで、土日は東尋坊近くの新しいケアハウスに週末一泊お願いすることになった。多分一ヶ月は續く。家内はケアハウスとの打ち合わせ等でたいへんな様子だが、私はCMO#412の編集中他のことには氣が廻らなかったから、これから指示を受けることになる。入浴の後は洗濯してくれるらしいが、シャツからパンツまで、私の名前が油性ペンで大きく書き込んである。まるでボケが始まった患者みたいである。パソコンは無線ランが入るらしいから、通信は出來ると思うが、2009年のパリ以來使っていないから、最初は戸惑うでしょうな。それに夜更かしなど嚴禁でしょうね。
V-3. 眼のことなど: 左眼は長く使わなかった所爲で、機能が衰えていて、右眼がダウンした途端、新聞も讀めなかったのだが、左眼を使わざるを得なくなってから、不思議だが、文庫本なども左だけで讀めるようになった。縦行は一應、眞っ直ぐにみえる。ただ、圖形は未だ歪になる。右眼も七月10日に福井大學醫學部病院の眼科のレーザーで掃除をして貰った結果、明るくなり、少し働くので、却って兩眼併用では左右のスケールや影像が違い、困ることがあり、右眼を瞑って見ることが多くなった。外でやるとウィンクしていると間違えられそうだが、外に出ることは殆ど無いし、女性の看護士さん達には前もって言い譯しておこうと思っている。右眼の快復は黄斑自體に梗塞があるから覺束ないから、これからは左眼の機能回復を願うのみである。然し、障子の棧など圖形の歪みはなかなか戻らない。左眼の場合、1986年から氣附いている。圓山天文臺の屋上の手摺りの線と圓山大飯店の屋根の並びに食い違いの見えることから判ったが、それ以來だから年季が入っている。ということで、文庫本の縦行が眞っ直ぐに見えるようになったのは寧ろ驚きでもある。
V-4. 戸田弥生デビュー20周年:七月14日にヴァイオリニスト戸田彌生さんのデビュー廿周年紀年の何回目かの演奏會がHHFで行われたので、いつものように同じ車の助手席のお荷物になって出掛けた。既に10日の眼科診斷で例の強い點眼液は、眼壓が下がったということで中止になり、以後使っていない爲か、降りるとき目眩は起きなかった。
20年前というと1993年だから、彼女がエリーザベト王妃國際コンクールで優勝したときにデビューしたということであろうか。1968年福井生まれで、福井の小學校6年生の時、全日本學生音樂コンクール全國大會小學生の部で第1位を受賞して以來、特に桐朋女子高校3年の時には日本音樂コンクールで優勝している等、華々しい様に見える。2005年まで1694年製ストラディヴァリウスを使っていたようだが、貸與期限が切れ、その後1740年製のピエトロ・グァルネリの貸與を受けている由。この日のメインの演奏はベートーベンのヴァイオリン協奏曲ニ長調で、バックは豊中の日本センチュリー交響樂團であった。私どもの席は可成り後方であったが、最初のティンパニーのトントントントンが氣持ち好く響いて來た。戸田さんのヴァイオリンの音は澁く終始した。家内の話によると、彼女の持ち味らしく、少し陰影があるのが特徴ということであった。
それにしても、我ながら眼が不自由というのは難儀で、影像としては戸田さんをうまく摑めなかった。
歸りも無事で、未だ明るかったから、一旦家に寄り、それから三國の浜邊で「さいとうかおり」さんのイヴェントがあると聯絡を受けていたので出掛けてみた。浜邊の何處か判らず、結局、短くもない浜邊の水際の砂の上を何年かぶりで南から北まで歩くことになった。砂濱は東西方向が昔より狹くなった氣がする。そのうち暗くなった。斎藤さんはいつものように大きなキャンバスにアクリル繪具で子供達に描かせていたが、私も挨拶した後、少し繪に悪戯をして失禮した。その後、雨も來たらしいが、花火の音が瀧谷寺(たきだんじ)を越えて我家まで聞こえて來た。斎藤さん企畵のキャンバス繪はFacebookに載っている。
尚、YouTubeでベートーベンのヴァイオリン協奏曲ニ長調は幾つもあるが、ジョシュア・ベルの演奏を引用する。
http://www.youtube.com/watch?v=B1QMwqDlDLA
バックはコントラバス一臺、第一ヴァイオリン五人の小編成で指揮者も居ない。サントリー・ホールでの公演であるが、カメラワークも好く、ちゃんと最初はティンパニーを映し出している。ベルのカデンツァはどれも壓巻。ベルはこれまでストラディヴァリウスを三臺取り替えているようだ。このYouTubeにはヘッドフォーンで聴けと指示がある。(この曲は小澤征爾指揮のサントリー・ホールものもあるが、最初など指揮者ばかり冩して、ティンパニーすら幽かである。)
(24 July
2013)