或OAA火星課OBの最新『夜毎餘言』-その IV
南 政 次
CMO/ISMO #411 (25 June 2013)
IV-1.
猫アレルギー?: 前回III-2bで
「のど」の様子がおかしく、咳き込む時があるので耳鼻咽喉科を受診したと書いたが、五月末になって家内から『朝日新聞』に猫アレルギーの話が出ていて、これではないかと指摘があった。私は當時眼の所爲で新聞は見ていなかったのだが、話に據ると猫はアレルギーの原因になるから人間の寝室には入れないのが常識ということで、私も吃驚した。ウチには猫が三匹居て、その内二匹の老猫姉妹は最近は私の部屋に入って來ないが、一番大きい若い長毛の雄猫が私の部屋に巣くっているのである。私の部屋は大きな机とベッドがあるきりだが、彼の寝床は二つもあり、兩方とも私の枕元に近い。窓際の彼の寝床は私の枕より高い處にあって、セルフ・グルーミングに伴う埃や舞う毛はまともに落ちて來るので、これは撤去した。もう一つの寝床は私の机の下にあり、流石、今はここで我慢しているようだ。彼を追い出すことも考えたが、先ず不可能であることは最初から明白で、ここは和室で、出入り口は襖だから、彼は自分の太い足で襖を器用に開けて入って來るからである。これは小型の老猫姉妹には出來ない藝當で、自然彼女たちは閉め出された儘である。尤も、大きい猫も開けた襖を閉めてくれないのは暖房・冷房の季節には難だが、何とか遣り繰りしている。私は夜が遅いので、彼がトイレに往くときに起きていることもあり、そのときは襖を開けてやり、締めて待って居ると、外で氣配がするので開けると入って來て寝床に蹲る。
然し、本當に猫アレルギーなら困るので、次の診察の時、申し出て血液檢査をして貰った。一週間待って八王子へ回された結果が出たが、総て數値が零に近く、アレルギーは無いという診斷であった。檢査報告書にはネコのフケ、とかゴキブリとかコナヒョウヒダニ、ハウスダスト等の項目が並ぶが、皆數値が0.10未滿となっている。然し、まだ咳き込みは時たまあるし、最近は錠剤を飲み込むとき引っ掛かりがあるので、「のど」は正常ではない氣がする。時には猫毛が口から入っていることは確かであるから、空氣清淨機を近くで作動させている。
以前、私が洋室に寝ていたときは、姉妹猫も若く、好く入って來ていた。當時は姉妹も元氣で、ドアノブに飛びついて、ハンドル型だったから、取っ手にぶら下がって開けて入って來ることが出來た。布團に入って來たことも覺えている。その時は私には何の症状も出なかった。幼い時の姉妹は部屋外での運動も活發で、いま廊下側の柱は爪傷だらけだが、實際上部まで驅け上がって欄間に達するのは見事でもあったが、いまはそういう藝當は出來ない。但し、柱の爪痕は殘ったままで折角の母親吟味の柱も臺無しになっている。昔は、膝の上によく乗ってきたが、爪傷を殘すので、ワーファリンを飲むようになってから、こちらが血だけになるのを恐れて追い拂って乗らせないようにしている。今は家内の方に行っている。家内は朝方、玄關でブラッシングをするので、大きい雄猫が家内の部屋の前に蹲ってご登場を待っている様子を、朝方私が寝附く前に見ることがある。姉妹の一方は玄關で待って居る。もう一方は見掛けない。この老猫たちは廿年近く居ると思う。未だ弱った姿は見せないが、壽命の盡きるのはそう遠くはない、と覺悟している。尤も、私の方が早いかも知れないが。
實はグリという灰色の猫がもう一匹居たのだが、2004年に急死した。賢い猫で、可愛い雌猫であったが、話は長くなるので別の機會に。
IV-2. 眼のこと: 殘念ながら右眼は回復しない。而も井大で貰ったアイファガンという點眼液は新製品らしいが、副作用があって、ものが見えにくくなる、眼が霞むことがあるというのだから、役に立つのかどうか疑問で、更に目眩が現れることがあるというのだが、これは本當らしく、この目薬を使って、車で運んで貰うとひどい「ふらつき」が
出る。例えば、三國から福井市南端のハーモニーホールまで行って、車の助手席から降りて、目眩に襲われ、長く立ち往生したことがある。それでデイサービスなどの日は朝の點眼を中止している。パーキンソンによる「ふらつき」と目薬によるものとの區別が未だつかない。
左眼は矢張り視力が弱っていたのだが、先年井大眼科で、水晶體を人工のものに交換したとき、元の水晶體の入っていた天然の袋を殘した様で、その袋に黴が生えて見難くなっていたらしく、それをレーザーで掃除してのち、グンと視力が向上した。いまでは新聞も左眼で讀めるし、テレヴィも好く見える。ただ、懸案の「ゆがみ」は良くならず、眞圓が「おむすび」型に見えるのは變わらない。テレヴィの會津の細面の美人の顔など更に面長になって、時には花王石鹸の三日月を思い出す。
モニターで火星像が大きい場合は問題が輕減するが、小さくなると苦勞する。いまでは以前より左眼をよく使っているので、快復に向かって欲しいと期待するのみである。
IV-3.
エルガーのチェロ協奏曲: 先にギターの村治佳織様(という風に敬語を使わないとファンが怒り出すと近内令一さんに警告を受けている)が最近NHK-FMで、氣の強そうな佳織姫が矢張りチェロの音色にはギターでは敵わないところがあるという意味の發言をされて私は感心したのだが、同時にジャクリーヌ・デュ・プレのLP盤が聴けるようになって以來、チェロにまた注目するようになった。先に宮田大氏のチェロをハーモニーホール・フクイ(HHF)で聴いているのだが、曲の所爲か印象が全くない。然し、そのHHFで六月の初旬、エルガーのチェロ協奏曲をやるというので出掛けてみた(先にも書いたように、出掛けることは今の私には簡單ではない。この日も到着したのは好いが、車から出ると目眩が來て容易に歩けなかった)。演奏は「福井交響楽団」で、これはその第24回かの定期演奏會だったようである。私はチェロ奏者の眞正面二十メートル邊りに陣取った。奏者は荒井結子という矢張り福井出身のチェリストで、『笠松泰洋の作曲家日記』の五月11日號「豊永美恵、荒井結子、大宅さおりコンサート」
http://blogs.yahoo.co.jp/synlogue/37066404.html
には「チェロの荒井さんは、明後日からウクライナのキエフに飛び、そこでコンチェルトを二つ演奏してくるそうです。今や、東京が本拠地でなくても、全国で、世界で仕事ができる時代なのだなあ、とつくづく思いました」とあるので、五月13日にはウクライナへ行き、二度も演奏し、月末には福井へ戻って來たということだから、忙しくも疲れる日程だと思うのだが、ご本人は颯爽としたボーイッシュな感じで舞臺に登場された。私の前の席の白髪の老婦人は、お身内かどうか諸手を擧げて登場を歡迎する様子が見ていて傑作であった。
扨て、エルガーのチェロの生の音は最初の導入部から私はいくらか感激した。エルガーの協奏曲は最初のチェロの一音一音から矢張り美事なものだと思っているが、チェロの生の音は何であれ確かに素晴らしいと思った。
樂團も頑張っていた。コントラバスが五臺許り並んでいるのには驚いた。但し、演奏が終わってから何時ものブラヴォーが聞こえなかったし、大抵の演奏會にはお見えになる笠松さんのご兩親のお姿は無かったようで、福井交響楽団のファンは地元でも未だ限られているのでしょうな。最近では笠松さんのご母堂は東京都交響楽団のチャイコフスキーの際にはひどく感激されていた。笠松家とは家内が小さいときからの知り合いで、私も時々ご挨拶させていただく。
話は逸れるが、福井出身の笠松泰洋さんとか、指揮の小松長生氏、映畫監督の伊藤俊也さんは、東京大學卒で、皆、美學藝術科ではないかと思う。小松氏はこの三國の先の梶浦か崎浦の出身だが、中學校は福井市だったようで、高校は東京藝術大学付属高校に合格したらしいが、藝大側の忠告で、藤島高校→東大に進んだとされる。伊藤俊也さんは福井の光陽中學の二年先輩で、當時は紅顔の美少年であった。私が入學したときの生徒會長で辯舌も爽やかだった。俊也氏のことは幼少期を知る母親から聞いていたので、最初の生徒會の中央委員會(?)では緊張したのを覺えている。伊藤さんの高校はNj氏と同じく乾徳高校であった。伯父の藤田良雄博士は東大の天文學者(分光學)で、私は機會あるごとに藤田博士の講演は聴いている。足羽山のドームの中でもお會いしている。私の高校時代に恩賜賞を受けられた筈である。俊也さんの映畫では『はないちもんめ』が印象深い。『誘拐報道』は好く覺えないが、萩原健一が日本海の荒海に面すると思われる公衆電話を使っている場面をヘリコプターで廻りながら撮影されたアイデアは壓巻であったと思う。藤田良雄博士は今年(2013年)一月に104歳で他界された(心不全)。藤田博士は三國で生を受けたのだが、直ぐに福井へ移られた所爲か、三國では歷史資料館にも全く知られていないようだ。
話を戻して、先月紹介の私所持のジャクリーヌ・デュ・プレのLPは矢張り溝が潰れかかっているようで、聴くほどに餘り音が宜しくない、と思うようになった。YouTubeには
http://www.youtube.com/watch?v=681NvqpO2eU
に23歳の時のジャクリーヌのエルガーのチェロ協奏曲(バレンボイム指揮)が入って居るが、矢張りこれも録音が上等とは言えないと思う。但し、チェロの獨特な力強い彈き方などは映像で充分堪能できる。一方、
http://www.youtube.com/watch?v=RM9DPfp7-Ck&list=PL50nxrYKdWjwhohhBjbLvJuKSAbdcqt-A
の馬友友のエルガーのチェロ協奏曲はしゃくり方が最初から絶妙な上、音源が遙かに好いと思う。1997年だから當然ディジタル録音であろう。これもバレンボイムの指揮である。全曲が入って居るYouTubeがあったはずであるが、今日は見つけられず、上はコマーシャルが入るが、放っておくと一應全曲が入る。ヨー・ヨー・マのここで使っているチェロはデュ・プレが使っていたものが贈られたものであろうと思う。もしそうなら、ストラディバリの制作になるチェロの中でも指折りの銘器の1713年製“ダヴィドフ”と稱されるチェロである。ダニエル・バレンボイムには一入であろう。
アナログ録音とディジタル録音の差は確かにあるようで、パブロ・カザルスのバッハのチェロ組曲はCD二枚組に納められているのがウチにあるが、1930年代後半の録音で今や矢張り音には不滿が殘る。對照的に、昨年(2012年)の暮れにパリの或る教會で、ティモテ・マルセル(Timothée MARCEL, 1986~)というフランスの若いチェリストが演奏をやった際に、それを聴いた知人がマルセルのバッハのチェロ組曲
の1番と3番、4番の三組曲だけのCDの一枚物を買って來てくれたのだが、この新しい盤の録音は流石に優れていて、チェロの音が素晴らしい。
尚、ヨー・ヨー・マ演奏ではバッハのチェロ組曲は次で全曲聴くことができる。
http://www.youtube.com/watch?v=KHzfD6XLK7Q
(23
June 2013)