◆駄洒落ではないが、三国(ほかでもない私が住処のある福井県坂井郡)の町立三国病院で最近(1991/1992年)吉川英治文庫の『三国志』八巻を読んだ。内容はご存じの通り、これは講談小説みたいなものだが、ただ、名称、熟語は言うに及ばず、全体漢語を駆使しているから、文章に独特の脈動感があることは確かである。例を第八巻に求めれば、諸葛孔明の祁山で「戦端に先立って」魏の「白髯(はくぜん)の」王朗が進み出て『孔明、わが一言を聞け』と諸葛亮に舌戦を挑み、弁舌で蜀の軍勢をも嗟嘆させるが、応えて亮が「高く天にまで澄んだ」声で朗々と論駁するところでは、『・・・朝廟あやうき間、獻帝諸方に流浪のうちも、いまだ国を匡し、奸を除き、真に宸禁を安め奉れりという功も聞かず、偏に時流を窺い、権者に媚び、賢しげの理論を立てて歪曲の文を作り、賊子が唱えて大権を偸(ぬす)むの具に供す。それを売って栄爵を購い、それに依って華殿美食の生を、今日七十六歳の高齢まで保ち来たれる一怪物。正にそれは汝王朗ではないか。・・・・・ 』といった調子である。面白いのは『汝これ諂諛(てんゆ、諂も諛もへつらう)の老臣』と罵倒され、更に最後に『退(すさ)れっ、老賊』と一喝されると、王朗は「血激し、愧入り」うーむと呻くと、「馬からまろび落ちて」息絶えてしまうのである。舌戦でかくの如きが起こるかどうか知らないが、何と無く漢語調はそれらしく思わせてしまう。◆漢語音読が入ると、必然的に“ン”が多くなり、言葉や文章に弾みが出てくる。“みくに”では何と無く“たおやめ”風だが、“サンゴク”となるとスケールが違ってくるのである。上にやや引用を長くしたのは、“ン”の多用を看てもらうためである。
◆もともと、看、刊、瞰、勘などは、音に違いこそあれ、日中両方で[kan]であるし、無氣音の[gan] の干、竿、甘、感、肝、敢、幹、等も[カン]である。更に、[han] の漢、寒、汗、憾、旱、凾、翰なども日本語では[カン]となっている。 [kuan]の寛、款や、[guan]の官、関、棺、冠、観、館、管、灌、貫、慣など[クワン]として[カン]であり、更に[xian シィエン]の陥、閑、[jian チィエン] の姦(奸)、緘、監、簡、間などもカンとなって、日本語には斯くのごとく甚だカンが多い。尤も同じ[xian]の獻、賢、顕、縣、嫌などは[ケン]であるし、先、線、仙、鮮などは[セン]、更に現、限などは[ゲン]であり、[jian]の兼、肩、見、件、建、鍵、検は[ケン]の方に、煎、尖、践、餞などは[セン]の方に、漸は[ゼン]、減は[ゲン]の方に入っているが、いずれもンで終わっていることにはかわりがない。◆シンも同様であろう。[xin] のシンは辛、新、薪、心、芯、信などであるが、有氣音の[qinチン]の親、秦、侵、寝(但し、同じ[qin]の欽、勤、琴、禽等は[キン]となる)、無氣音の[jinチン] の津、進、晋、浸なども[シン]に入る(同じく[jin] の禁、襟、今、金、筋、緊、謹、饉、僅、近などは[キン]になり、尽は[ジン]である)。深、申、身、娠、神、紳、蜃、慎、審などのシンは[shen]から来ている(腎、甚も[shen]) 。真、針、診、震、振などは無氣音の[zhen]である(zhはズとは違い、巻舌音の無氣音で、ウェード式ではts)(珍、沈 鎮、陣なども同じ[zhen])。また、臣、辰、晨 は有氣音の[chen](陳さんの[chen]と同じ)。◆同様に有氣音の[tan] は痰、探、炭、坦、毯、嘆 などが、[タン]だが、談、壇、弾くほうの弾などは[ダン]、曇、貪は[ドン]である。一方、無氣音の[danタン] は単、耽、丹、胆、淡、旦、担、誕、蛋などが[タン]、疸、弾丸の方の弾は[ダン](尚、“ただし”の但は[dan]で“但是”[danshi]が“ただし”になったという説がある。)この様に[n]で終わる字を探ると同じことが出てくる。
◆しかしながら、漢語の音読では、半分くらい“ン”が消えているのであって、逆に言えば、もとの中國語では“ン”で終わる言葉は更に多く、弁舌でも更に激しい弾みがあったろうし、あろうと思われることである。たとえば、「夜毎餘言」(p568)の“紅星”を我々は“こうせい”とでも呼ぼうが、これは[hong-xing]なのであって、ホンシンとなろう。私は中國語のプラクティスをやったことがないので、口幅ったいことになるが、教科書によると、[ng]で終わる場合はンの発音のあと舌の後部を上顎に付けて鼻から息を抜くが(奥鼻音)、 [n] の場合は舌を上の歯の裏に付けて息の流れを止める(前鼻音)そうで、同じ[ン]でも音が違うらしいのである。ところで、われわれの音読は多く漢音といわれるもので、隋唐以後、宋以前に長安への遣唐使や留学僧達によって齎らされたらしいが、このンの違いを見事に日本語に持ち込んでいるのである。
◆簡単に言えば、[n] の方はンとし、[ng]の方は“長音”にすると工夫をしたようである。厳密に言えば、現在の北京語も中原の言語とは謂え、日本が交渉した唐時代からは今では変化しているであろうから、一方は[ng]になり、他方は長音化したと言うべきかもしれないが、区別は温存されたのである。[xing シン]と発音される漢字には“星”の他、興、形、行、反省の省、醒、幸、性、姓等があるが、これらは全て、[こう]、[けい]、[せい]である。(此のうち、[ぎょう]、[しょう(しやう)]などと発音されるのもあるが、これらは後で触れる呉音である。惑星に相当する“行星”はシンシン[xing-xing]である。尤も、行は第二声、星は第一声であるが、ここでは四声は度外視する。もう一つの“恒星”は[heng-xing] である。)
◆逆に、[せい]になるのは[xing]の[...ng] だけではありえないし、当然[...ng] からだけでもない。先ず、有氣音の[chengチェン] から成、誠、盛。無氣音の[zhengチェン] から正、征、整、政など。有氣音の[qingチン] から青、清、晴、請など(軽、傾、情なども[qing])、また無氣音の[jingチン]から精、井、静など(京、鯨、驚、経、景、鏡、敬、径等も[jing])。また、[sheng] から声、生、盛、聖、先程の省などがある。また、当然[せい]となるのは[...ng]からだけではないのであって、斉や凄、棲などは有氣音の[qiチ]からきているし、誓や逝、勢は[shi]から、制は [zhi]から、西は[xi]からなどである。◆肝心なところを例示で要約すれば、金、安、心のように[ン]で終わっていることが明らかな文字は[ng]発音でないし、(実際には金は無氣音の[jinチン])、一方、カントンやシャンハイのシャンはそれぞれ広東、上と書くから、[ng]発音だという等である(広東は北京綴りでは[guang-dang]、[g] は 既に述べた様に無氣音の[コ]で、有氣音の[k] に対する)。
◆扨て、懸案の[チョー]であるが、長は有氣音の[chang] (長いの長)か無氣音の[zhang](長兄の長)で、腸は前者、張、脹は後者。([chang] の場、唱や [zhang]の彰、丈は別の音になる。) 一方、町や庁、聴などは[ting]である。これらは[ちやう]となるらしい。一方、寵は[chong] 、 懲は[cheng] 、徴は[zheng] だろうが、これらは[ちょう]となっている。[てう]の方の[チョー]は[tiao]、[diao]、[chao]、[zhao]などの族から来ている様だ(調和の調、眺、跳等は[tiao]、調子の調、銚子の銚は[diao]、超、潮、嘲、朝廷 の朝などは[chao]、兆、朝夕の朝などは[zhao])が、鳥は[niao]の[てう]である。[てふ]は蝶、諜、喋の[die] 、帖などの[tie]であろう。尚、銀杏[yin-xing]を[ぎんなん]ないし[いてふ]とするのか判らない。いずれ当字だが、[てふ]をテフと言っていたのなら、もともとイテフであったのかもしれない。
◆斯くの如く見てくると、区別はしてくれたものの、種類の少ない長音族に矢鱈音読が落ちて来て、日本語では発音が平板化していることは否めない。先の孔明でも有氣音の[kong-mingコンミン] であるし、王朗も[wang-langワンラン] で矢張り跳ねている。日本人は識字能力は高くなったが、音感の方はこうして鈍っていった譯であろう。◆ どうして、長音化を選んだのかは私の能力の越えるところであるが、推測するに仮えば次の様なことであったのではあるまいかかと思う。今でもABCデーという人がいるが、二種類居て、一つはディーと発音出来ない人のグループ、もう一つは、ビィーとディーは似ているので、混乱の無いように、厚意でデーと発音してくれる人たちのグループである。私は[n]と[ng]の区別も簡単でないので、当時の第二のグループの親切な人たちが、日本人向きに[ng]の方をデー式に長音化してくれたのでないか、という推測である。であれば、平板化は当然のことである。
◆臺北では三人ばかり張さんを知っていたが、何れも CHANGと綴っていた。[ちょう(ちゃう)]さんだからngで終わっているのである。但し、出だしは無氣音なので、北京では名前でも ZHANGと綴っている。臺灣では発音記号は注音符號という(多分胡適による)假名を使っていて、われわれには複雑であった(張麗霞氏が注音符號の本とテープ、それに教科書二三プレゼントしてくれたが、私の身には付かなかった。原因はこの符號である)。一方、大陸ではローマ字化を1958年頃決めたようであるが、金「澤」のT氏によれば、実によく出来ているそうである。臺灣ではローマ字化する場合昔のウェード式によることが多いのではないかと思う。ウェード式がヘボン式なら、北京式は日本式に似ている。つまり、後者は英語読みではなく、ルールを先ず知らねばならないのである。身近な例では、CMO p984の蔡章獻(TSAI CHANG
HSIEN)氏の名刺であるが、北京式なら CAI Zhang
Xian(ツァイ・ヂァン・シィエン)となろう。可笑しな具合だが、後者にも無氣音、有氣音は出ていて、任意性がないようである。xiaは昔hsiaと綴っていたので、略すると、H が出てくるが、獻を想像しにくい。Xも似た様なものかも知れないが、[x] は日本語の[シ]と大体同じらしいの分かりやすいと言えないことはない。[zh]については上に述べた。章(しやう)の[zhang] も張(ちやう)の[zhang] も第一声の由だから、音で区別する場合は日本化も馬鹿にならない。◆臺北をTaipeiとするのウェード式。“北”は無氣音なので新しくはTaibeiとなる。[b] は無氣音の[ポ]で、濁りは無く、鳩ぽっぽ の[ポ]に近いらしい。[ト]の t と d の違いや[チ]の q と j の違い、[コ]の g(無氣音)、k (有氣音)の違いについては引用済みだが、無氣音の[guang] のクゥアンは広の他、光(こう、くわう)がある。北京をBeijing とするのは、矢張り京も無氣音だからである。京(呉音:きやう、漢音:けい)が[jing]であることは上に例示に入っているが、無氣音の[チン]で、北京は[ペイチン]であろうと思われる。然し最近、加藤周一氏が中國語を識った上で、張さんをヂャンさんと書いていたことから考えても、今後 Beijingも[ベイジン]となるのかも知れない。西洋人は余程の人でないかぎり英語読みするであろう。そういえば、蔡琴の歌でブーザイと聞こえるところがある。不在かと思うが、どちらも無氣音であるので、実際にこういうこともあるのか知らんと思う。逆に、私はタクシーで「左に曲がって下さい」というとき、「左転」のつもりでツゥオチュアンと言って通じていたが、左転は[zuo-zhuan]で両方とも無氣音というのは後で知ったことである。◆ 圓山天文臺の図書室でいつか或る外来者と張麗霞小姐等で「仁愛路」をローマ字でどう綴るか喧しい論争があった。私は言葉は判らないから、勝手な判断をするだけだが、要は仁の始めの音は r か j であるかというものであったと憶えている。北京式では仁は人と同じく[ren]であって、レンらしくみえるが、舌先を上顎に決してくっつけないから 日本語のレでは決してない妙な音である。実はウェード式では[ri]は[jih] 、[ren]は[jên]であるから r でも j でもないというところであろう。[ri]は日本の「日」に対する發音記号で、注音符號も日に近い形をしている。人も日の字もタイトルに含んでいる有名な新聞に『人民日報』がある。これはタイトルに下に、Renmin Ribaoと入っている。北京だから当然である。◆次は私の個人的な体験で、私の耳が悪いとしか言い様がないが、nとr(l)も似通っていて曖昧だと思うのである。査証持ちの外国人が出入りしなければならないヤな警察は「寧夏路」というところにあるので、寧夏路はその警察の代名詞になっていたが、私はこれを長い間リンシャールーと呼んでいたし、耳にしていたのである。寧は[ねい]だからnで始まる筈(実際は[ning])と気が付いたのは後のことで、リンで通して不都合がなかった。一つにはバファリン(Bufferin)という私の常備の頭痛薬が「百服寧」となっていて、看板等で屡々見ていたものだから、疑いもしなかったのであろう。百はパイだが、無氣音で[bai]、服は[fu]だから、バイフーリンと呼んでいたが、買えたから不思議である。あちらでは粒売りしてくれる。百服林とせず、寧を採ったのは百個服んで安らかに、ということかもしれないが、少しはリンに近いからかもと思う(アスピリンは阿斯匹林、阿士必林)。
◆人も仁もマンダリンでは [ren]だが、ご存じの様に呉音では[にん]、漢音では[じん]であって、この「聞き方」の違いの片鱗はまだ残っているのかもしれない。呉音というのは六朝(りくちょう)時代の呉の地方から(多分朝鮮を経て)我国に入ったもので、その後日本は一時文化鎖国をしたために、多く仏教語として定着した。(更にその後遣唐使が始まるが、これも廃止され、これが別種の文化鎖国となり、漢音が残る。のべつに文化侵略があると最新のものだけが残るのに対し、日本式鎖国は文化遺産を残す。) 「日月星辰」を[にちぐわつしやうしん]と讀むのは呉音讀みであるが、日にも[に]が引っ掛かっている。[xing]の[せい]がもともと[しやう]であるのは、寧ろ[ちやう]などと合うので、長音化というのは新しい発明ではなく、新しいのは細分化だったのかもしれない。もう一つの[xing]の行(漢音[こう(かう)])も呉音では[ぎやう]で、行者、行水などに残っている通りである。更に行には[あん]という読み方があって、行脚、行燈に残るが、これは唐音で、宋、元、清の頃に伝えられているらしい。行は先述の様に[xing]であるが、[hang]という読み方もあり、これが[あん]と同根かも知れない。[hang]は行列とか、職業を表すらしいが、銀行は[yin-hang]である。[ぎ]が[yi]になることは、義でお馴染みだが、[ぎんあん]とならなかったのは、時間的にずれたこちらの事情らしい。反省の省も[xing]であったが、 省は[shengション] もあり(浙江省など)、これは[しやう]の方だとすると呉音である。マンダリンにも呉音があるということか。話が分からない例としては、稱(称)がある。普通、竿ばかりや、目方を量る、称号などのときは[cheng] で、呉音漢音ともに[しょう]であるが、叶う、適合する等は[chen]である由。然し、[ちん]とか[しん]とかの読みをしらないので、これは入ってこなかったものか。一方、木は[もく]が呉音で、[ぼく]が漢音だが、讀(読)は[どく]が呉音で、[とく]と[とう]が漢音である。北京語にも讀の後者の区別はあって、[du]と[dou] の二つがあり、[dou]は文章中の一時息を切るところだそうだから、丁度[くとうてん(句讀点)]の讀に相当する譯で、自然である。◆よく解らないのは、[du]と[とく]の関係である。こういうのは木[mu]、讀[du]に限らず仰山あって、特[te]、曲[qu]、服[fu]、石[shi]、駅[yi]、寂[ji]など限りが無いが、いずれもマンダリンには無いのに、[く]ないし[き]が食っ附いて來ることである。(寂寞的は[せきばくてき]か[じゃくまくてき]だろうが、北京語では[ji-mo-de]で、夫々の妙な語尾がない。余談:蔡琴に「Jimodefeng(風)」という歌がある。)1986年の滞在の時、中研院の呉院長が何かの座談で、彼は外省人だが、日本読みの話になって、「福」は福建省か浙江省のどこそこで(実はこちらが正確に憶えていないだけで、院長は特定されていた)、“フク”と発音するところがあるとおっしゃっていた。この邊りは昔の呉音の発祥地である。また、臺北の国際空港、中正國際機場の中正は蒋介石のことだが、英語の綴りでは、石の部分は sekか shekになっていたように思う。彼は浙江省の出身で、北の読み方とは違えていたのかも知れない。いずれにしても[く]ないし[き]の語尾は、輸入の際の発明でなく、そのような発音があったと考えるのが自然だろう。とすれば、後年[ng]で終わるようになった[ン]も、当時は鼻から抜ける長音であったのかもしれない。
◆外国語を日本読みに移すのは、何も漢字だけに限らない。明治維新前後には西洋語で皆非常に苦労したし、よく読んだらしい。しかし、何時の頃からか音の制限を行なっているようである。特に、英語などが敵國語になってからは駄目になったのではないか。勿論、仮名文字は本来外国語の音の transcriptionに多く向いていない。英語でもwordとかbirdなどの曖昧母音はどうしようもない。それこそ、ーで長音化で区別するのが落ちである。然し、あまり問題ないところで今以て、パーテー券とおっしゃる代議士先生や、ジュデー・オングとおっしゃる年代も居ることは不思議である。敵性語の鎖国期間はあったとしても、その後 洪水の様に英語は流れ込んでいるし、その勢いは流行漢語以上であろう。勿論われわれも、ヴァイオリンでなく、バイオリンで十分納得させられているし、今更、ヴィェットナム等と書かず、ベトナムで十分だ、という考えもあるが、対象の浸透度に依ろう。Buildingは古い建物になるとビルヂングとなっているが、diをディと書いて、ビルディングと言うことぐらい最近の若者には苦でないのである。中島氏によると、PTAは暫らくピーテーエーであったが、何時の頃からか誰もがピーティーエーと言っているそうである。かくして、古い語法は払拭されつつある。然し、フィと訓練すれば音が出せるところを、フ・イと工夫した文部省(昔だったら遣唐使を決めたり、廃止したりするところ)のお役人はなかなかのものである。アントニアヂ氏もそろそろアントニアディ氏にすべきと思うが、なにせクローズした世界のことだから、呉音の様に文化遺産として残るかもしれない。
CMO/OAA南 政 次
『火星通信』#115 (25 March 1992) 『夜毎餘言』XXVI