CMO ずれずれ艸 (南天・文臺)

 その弐拾


腹巻きのすすめ


★ハラマキなどオジン臭くて、最近の若い人達には馴染みがないであろうが、私は愛用している。★1986年臺灣初渡航・滞在の時、心ある先輩たちから、生水は飲まないようにとキツク言い渡された。いつか林清涼先生が、私の前に出された紙パック入りのジュースをサッと取り上げ、大丈夫だとは思うけど、あなたには免疫がないから当分は飲まないように、と言われてエッと思った事がある。日本經驗のある林先生は正しかったようで、その後禁を破っては七転八倒することになる。★お腹を壊したときの為に、特に外国に在る時は例の「露軍を征服する丸」を手離さない様にというのが、外国旅行の先輩・中島孝氏の御託宣で、忠実な私は昔からそれに従っているが、寝込むときは腹巻が欲しくなる。1986年には腹巻を持参せず、蔡先生に、臺北にハラマキ売っていませんか?と訊ねたが、そんなものない(あるわけがない)、というお返事であった。そこで、日本から腹巻一銚取り寄せることになった。★昨年は万端整えて出掛けた為に、随分とお腹は平穏であった。気を使った所為もあるかもしれぬし、免疫が出来たのかもしれないが、ハラマキの効果も大きかったと思っている。実際に困ったのは一度きりで、これは尾代孝哉氏に教えて貰った臺中風のナントカ麺を再度食べに行って、今度の団子は中まで熱が通っていないんじゃないかと思いながら食べて、帰ってからヤラレタときであった。この時は、よくしたもので、尾代君から貰った彼自家製の "梅肉エキス" がよく効いた。

 ★臺北は兎に角暑くて、汗はよく掻くから、結局ジュースにもお世話にならざるを得なかった。他に寶硬力(ホ゜カリスエット)とか水瓶座(アクエリアス)なぞは、特に前者は冷蔵庫にいつも入れて置いて、よく飲んだ。罐のデザイン等日本製と似ている所為もある。果物は豊富だからジュースは 100%果汁のものが何種類もある。然し、味は一般にキツイので次第に好みは、何種類かのオレンジジュースに落ち着くようになった。★ある時、公営スーパーに "Ceres"という銘柄のジュースが鳴り物入りで並び出した。これは進口品(輸入品)で、しかも南アフリカのパックであったから、気にはなったが、デザインも洒落ているし、第一名前が気に入ったので何度か買った。オレンジジュースの飲み分けである。そんな訳で一時オレンジジュース漬になった。或る日、例の灼熱の208路線に乗って天文臺に着き、開襟シャツを脱ぐと、背中が黄色くなっている。さては座席の背凭れが汚れていて、こちらの汗水で汚れが付着したのだと思ったが、何日かして、今度はランニングシャツの肩がいかれるという事が起こり、これはジュースの所為かと納得した。そこで、大津にオレンジジュースを呑み過ぎると汗が黄色くなるものかどうか調べて欲しいと書いたところ、家内から、可能性より何よりも南アのものは買わないようにというお達しが来た。當時中華民國は南ア連邦と外交関係を保つ数少ない國であった。誰かが、爪弾きにされている國同士だから、と自嘲気味に言っていたが、蔡章獻さんに臺灣は南アと友好関係にあるんですネ、と茶化したら、南アは白人の國ですよ、という妙な答えが返って来た。アパルトヘイトのことなど訊くまでもないと思って、そのままになったが、報道等もされないのかも知れない。

 ★寶硬力も、PKから、あれはNaが入って居るので健康に良くない、と言われてから忠実に止すようにした。結局、最後まで愛飲したのは、果汁性のフレーバーの入った牛乳で、特に光泉牛乳製のものであった。これは1986年当時からの好物で何とも美味しい。私はパラノ人間なので1986年のときは徳惠街に近い「福利」(だったかな? フロリダのこと)というパン屋で買うのは何時もこの牛乳であった。パックも手ごろなのがあるし、大瓶もある。昨年は宿舎近くの公営スーパー(超級市場)で大瓶を買いだめしていたが、あるとき「光泉」印が一斉に消え失せ、同じ種類だが他のブランドのが入ったことがある。然し、他のものでは味が違って私には駄目なのである。どないしょうかと思ったが、どうしたわけか一週間程して再び「光泉」印が並び出して安心した。何があったのでしょうね。私は普通でも冷たい牛乳は駄目で、用心しないと「光泉」印も××丸のお世話になることが多いのだが、これだけは終始愛飲した。★腹巻はお腹に良いだけでなく腰にも良いのではないかと思う。愛用する前は、時どき腰に痛みを持つ事があったが、幸い、19861988年のハードワーク中にそういう経験は一度もなかった。因果関係の証明は難しいが、ギックリ腰で觀測が出来ません等という報告が來ると、腹巻はどうですかと言いたくなる。佐伯恒夫先生も腰を痛められてから腹巻を着用し、その後具合が宜いとおっしゃっていたように思う。腹の方は一時的だが、腰は長くなるので観測の観点からは腰の方が大事であろう。但し本質的な腰痛は腹巻の限りでない。★ハラマキはオジン臭いだけでなく、何となくアウトロウのユニフォームみたいで、寅さんだけでなく、じゃりン子チエのパパがハラマキ無しではイトも簡単にノされてしまうのをみると、矢張り何ともマンガなのだが、カッコいい觀測法など多分あるまいと思う。

 ★八月に「朝日新聞」のコラムで妙な記事を見た。(ここに無断転載する)。50年前(従って私の生まれた1939 )のものだが、これをみると当時腹巻は流行っていたということであろうか。多分、軍部が嫌がったからだろうが、翼賛的な医者も居たものだと思う。大學病院と聞いて呆れらアね。ウチの祖母などはもっと知恵があってお腹を壊した時は、二つ折りの腹巻の背中の方に懐炉を入れてくれたし、なによりも旅行するときは巾着の代わりに使えと教えてくれた。臺北ではパスポートも聖徳太子ならぬ蒋介石も腹巻になったのである。この場合分厚ければ分厚いほど宜いのだが、自然薄くなるのは致し方ない。

 

◇(但し、私は日露戦争然とした××丸の使用はあまり薦めない。曾てロンドンで山陰の醫大生という見知らぬ旅行者に出逢い、彼が腹を壊していてシンドそうで、しかもこれから大陸に渡ると言っていたので、早く治した方が良かろうと、中島孝流に下宿に常備の××丸を薦めたが、彼は要らないと答え、そんなもの服むから日本人には直腸癌が多いんだ、と吐き捨てる様に言った。私は三粒やそこいらで突然癌になろうとは思わないし、下痢のまま旅行するなんてご苦労なこった、と思ったが、何せ向こうは近代醫學者の卵だから、意見は尊重するのである。)

    

南 政 Masatsugu MINAMI


火星通信#078 (25 Octber 1989) p642 所収 夜毎餘言XIII


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