水無河と水の無い海
雲 |
仙普賢岳の災害は、遠くに居ては、現実のその凄さはよく分からないと思うが、その突発性の異常さだけでなく、一過性でなく長く続くから大変である。最初、チョロチョロ噴煙が出ている頃、峰に祠がTVで見えていたが、あの祠どうなったでしょうね、等と訊くのは失礼というものであろうが、気に掛かった。報道では“水無川”というのがよく出てくる。水流の代わりに、火砕流だから、というのも失礼だが、普段雨が降らなければ干上がっていたからであろう。満々と何時も水を湛える川もあれば、一方で流れの途絶える川もよく見かける。
名前としては、こちらの阪急沿線に“水無瀬(みなせ)”という処がある。私は水無瀬川を同定したことはないが、その南に後鳥羽上皇の離宮があった由である。“水無瀬川”は固有名詞という譯では無く、一般に水の無い川か、砂の下を水の流れている様な川の一般名であったらしい。水の無い川としては、天の銀河もそうで、“水無河(みなしがは)”が異称である。
天の水無河なら、火星の表面に仰山在る。もともと水もなく川らしくもないところが“運河”とされたりしたが、もともと水の流れがあったのに、現在では干上がっている“水無河”もある。殆ど後者は名無し河であろうが、前者でも水無瀬川の名のもった運河があった。1903年にアントニアディ命名の(然し今は使われていない)カラドルスCharadrus という運河がそれで、場所は(Ω=120°W,
Φ=23°N) 邊りにあったらしい。もともと、カラは喜悦、ドロソスは露とか水で、カラドラは山間(やまあい)の急流、ということになるらしいが、転意があって流水で地面が抉(ゑぐ)られて、流水が地下に吸収されて海に達しない水無し川の川床ということになるらしい。パウサニアスの第10巻(岩波文庫『ギリシア案内記』(下)馬場恵二譯
p304)には次の様な記述がある。「カラドラは20スタディオン離れた高くて険しい岩山の上にあり、そこの住民は水の便が悪くて欠乏している。彼らの飲料水はカラドロス川だが、その川までは3スタディオンも下りて行かねばならない。その川はケフィソス川に注ぐのだが同市の名称の方はカラドロス川に因んで付けられたと私には思える。」実は第2巻にも「....そこから先に進んでカラドロスという冬にしか流れを見ない水無し川を越えると、そこがオイノエ」(同p116)
というのがあり、前者はフォキス地方に在るのに対し、後者はアルゴリス湾に注ぐイナコス川の支流で、別の川らしい。丁度水無というのが、割りと広く使われるようにカラドロスが使われたということであろう。後者は現在ではクセリアス川と呼称されるようである。なお、ケフィソス川はケピッススCephissusとして、スキアパレルリの1886年以来(Ω=220°W,
Φ=66°N) に使われ、アントニアディ圖にも出ているし、イナコスInachos も(Ω=205°W,
Φ=15°S) に使われたことがある。
話題を広げて、海と言えば四方を海に囲まれた我が国では水を湛えた大海原と相場が決まっているが、ご存知火星表面の海
Mareは水無し海である。マレ・アキダリウム等は低地であるから、その昔、地中から水蒸気が吹き出し、表面で冷やされて水が溜まっていた頃は文字通り海であったであろうことは想像に難くない。然し、現在では海水は表面には無い。
一方、海と言っても、古来中国では必ずしも水を湛えた海原だけを指していた譯ではない様である。四海とは四方世界のことだが、賢い中国人が中原四方は海に囲まれているなどと信じていたとは思えない。実際、沙漠の様に広々としたところも海と言うことがあったらしい。とすれば、火星の水無瀬Mareが
Mare であっても、心の広い中国人は赦す、と言えそうである。
盛唐の詩人李白は道教の世界に憧憬を保ち、月や峨眉山に特別の感情を持っていたから、「峨眉山月歌」というのを複数作詩しているが、二十五歳の頃の有名な作でなく、晩年の五十九歳乃至六十歳の時詠んだものとされる七言古詩に次がある:
峨眉山月歌 送蜀僧晏入中京
我在巴東三峡時
西看明月憶峨眉
月出峨眉照滄海
與人萬里長相随
私には些か難解なのであるが、中京は長安(洛陽)、巴東は四川のこと、三峡は四川省と湖北省の間にある長江のいまや有名な渓谷、従って、我れ四川の三峡に在ったとき、西に明月を見ると、峨眉山を想ったものだ、月は、峨眉を出でて、滄海を照らし、云々ということになるが、ここでの滄海は青海原ではありえない。何故なら峨眉山は奥深い四川省にあって、この邊りはその昔、『三國志』の劉備玄徳の後の根拠地になったところで、近くには文字通りの蒼海はない。従って、ここで言う滄海は当然西に広がる広野を指す譯である。特に、李白は出自が西域であると言われることから、その方がまたより深みを増すであろう。
地球上にも位置を変える湖もあり、雲塊に覆われる湖もある。それらしい名を火星面に見付けたいものだが、然し、Areograph の時代は、火星の気象や変動に無関心であったから、マァ無理であろう。だから、逆にカラドロスの様なものは復活し、例えば千五百年の周期を持つロブ・ノールの様な彷徨える湖(ヘディンの発見したもの)や霧の摩周湖の様なものがギリシャに存在すれば、是非採用したいのにと思う。
尚、上の李白の詩は、蜀僧晏に呼び掛けて「ひとたび高名を振いて帝都に滿たば、帰るとき還ためでよ蛾眉の月を」まで更に次のように続く:
黄鶴樓前月華白
此中忽見峨眉客
峨眉山月還送君
風吹西到長安陌
長安大道横九天
峨眉山月照泰川
黄金獅子乗高座
白玉塵尾談重玄
我似浮雲滯呉越
君逢聖主遊丹闕
一振高名滿帝都
歸時還弄峨眉月
『火星通信』#125(10 December 1992) p1130 所収「夜毎餘言・32」