CMO ずれずれ艸 (南天・文臺)

 その弐拾弐


南中老人瘋癲日誌




火星の出が早くなり、観測開始時刻が早まってくると、天文臺では何となくゆっくりする時がなく、矢張り朝方の観測の時の方がいいネ等とNj氏と言い合っている。昔からの習慣で、朝方の観測の時も夕方から博物館に入り、ドーム周りで談笑したりして、それからNj氏は就眠し、私は仕事をしながら火星の出を楽しみに待つというのが二人とも性に合ってきているわけである。(Mn)が体力不足ながら天文臺で可成りハードな観測を続けられるのはNj氏のお陰である。私は今時珍しい車ナシ族でNj氏の車がなければ先ず体力を温存出来ないであろう。その他色々世話になっているが、最近コーヒーをセッセとポットの入れて運んで貰っているのもその一つである。もともと私は大学院のとき腎炎で半年入院し、その後腎臓は欠損のまま保たせているが、高血圧症を誘発して今日に至っている。尤も服薬を長く続けているから、症状が出るといっても低血圧症状の方で、ズボラになるほか余り困らないのだが、然し最近は更に狭心症が出て、こちらは直接的だから堪らない。観測中はどういうわけか狭心痛に襲われたことはないが、曇って天文臺の準備室でこうしてワープロ等やっていると必ず出てくる。ニトロは貰っているが、これをやると頭痛が激しく、とても耐えられない。弱い貼り薬も貰っているが速効性が無い。從って、今唯一の特効薬はNj氏のコーヒー攻めであるというわけである。然し、私は胃が弱い、つまりコーヒーで狭心痛が治まる前に胃がやられてしまう。医者から胃薬も貰っているが、回数から言って直ぐ無くなってしまう。この辺まではNj氏には面倒をみて貰えない。Nj氏は一応元気である。昔、高血圧症と言っていたが、私が実際に血圧計で計ったところそんなことはなかった。今は慢性の睡眠不足に悩んでいるだけである。無口のNj氏が車を運転しながら饒舌なときは気を付けなくてはいけない。Nj氏の特技は(少なくとも私という目覚ましがいる時は)電灯の灯りがあっても直ちに寝付けることで、これは私には助かる。然し、折角の日曜日、家では寝付けなかったからとか言って、アルコールをぷんぷんさせながら現われると私が困ってしまう。

 今年(1990)の十月中旬の様に晴れが続くと、流石の私も朝方睡魔に襲われる。二度ほどNj氏を叩き起こして、代わりに目覚ましになって貰った事がある。こういう時はすざましい事が起こる。或る朝、観測を済ませて家の前まで車で送って貰い、さて降りましょうという段になって、読書用の眼鏡を天文臺に置き忘れて來たことに気付いた。Nj氏は快くもう一度天文臺に車を走らせてくれた。、無事眼鏡を取って來たが、これがないと仕事が出来ないのである。再び家の玄関前で別れ、さて、薬を飲みましょうと薬箱を探すが、無い。シマッタ、これも天文臺に忘れてきたと気付いたが、タクシーで行っても鍵はNj氏が持っている。私の大きな薬箱は命に直結していて、眼鏡の方が寧ろどうでもよいぐらいのものである。そこで、Nj氏が自宅に辿り着いた頃を見計らって、再度お願いすることにした。しかし、すると、まだ帰宅していないということで、チョット變だなと思ったが、折り返しを貰うことにし、待っていると暫らくしてがあり、事情を話すと、それは大変、と云って直ぐとんで來てくれ、再度山にお連れいただいた。博物館の準備室に薬箱は確かに鎮座していた。山を下り、家の前でもうナイよネといって最終的に別れたが、事実はそう簡単ではなかったらしい。先ず、に間があったとき、彼も単身天文臺に車を走らせていたらしい。彼は彼の老眼鏡を天文臺に置き忘れたのである。私が眼鏡を取りに階段を登っているとき、彼は博物館の玄関先で口笛でも吹いていたのではなかろうかと思うが、彼の老眼鏡も三階にひっそり鎮座していたらしく、これを、私を家に降ろしてから、気付いたらしいのである。一度で済んだかどうかについては余所様のことだからこれで止すが、車ぞ知る大変な朝であった。ただ、幸いなのはこの日は日曜であった。そうでなかったら、Nj氏は出勤でこんな往々復々は出来ないのである。以来、私は薬箱を二つにし、一つは家に置いている。眼鏡の方は半分にするわけにゆかず、昼間仕事の出来ない時がある。Nj氏も今日は立ったまま書類を読んだり、仕事をしたので腰が痛いと夜ボヤクときがある。繰り返すが彼は老眼である。と此処までは十一月に書いたが、これではNj氏が不公平だという事件が十二月(1990)に起きた。十二月前半は大津と福井で半々であったが、10日迄晴れ、些か参った。福井にいるときは毎夕私は 18時頃からNj氏とコーヒーポットの御出でをお待ちし、極めて迅速に彼の車に乗るのであるが、11日彼は会議が入り、遅くなりそうなので私の家にを入れると、誰も出ない。そうこうする内に彼も帰宅し、また南家にをする。然し誰も出ない。実は同時に、私の母親が同じように三国から福井へをしていたらしい。母親はその日の午前迄福井に居て、私の夕食の準備をして三国に出掛けたので、食事を済ませたかどうかをで確かめる為であったらしい。然し、何度しても私が出ないし、何時もの食事の時間にもNHKの天気予報の時間にも出ない。そこでNj氏と出掛けたかもしれぬと思い、Nj先生にすると、実はNj氏も連絡がつかない、という返事。さあ、そこで大騒ぎが始まったのである。お向かいにもが入る。電燈の気配も無く、真っ暗です。Nj先生、戸をドンドン叩いてくれませんか、といった具合である。理由は私の狭心症にある。誰もが動けなくなった私を想像したらしい。真相は、不思議なことに狭心症とは関係なく、ワープロのあと家の中で私は眠りこけていたのである。母親はタクシーで三国からやって來た。既に玄関でドンドンやっているNj氏と合流し、鍵を開けて入り、私の名前を大声で呼ぶ。私はやっとボケッとし、ナンデ三国に居る筈のオフクロの声がするんヤ、と考える。ナンカ事件でも起きたんケ、と思って時計を見るとナント 8時半、イケネェ火星が昇っちゃってイラァと思い、慌てて起きたというわけである。母親は安心したものの、今度は本人が狭心症を起こしそうな気配であった。コンコンと眠りこけて、他人様にご迷惑を掛けたのは大学院のときに前科があり、これでまだ二度目だが、最近は目敏と過ぎて困っていたので、油断したのであろう。山に向かう車のなかでNj氏は言ったものである:お宅の戸のガラスは頑丈だネ、あれだけ叩いても割れなかったものネ、と。ボケッとしたときは火星が出ていたのだが、山に着くと曇ってその日は欠測になった。日岐氏流に云うと一枚は損をした。しかし、実はコンコンともう一眠りしたくもあったのである。   

 


火星通信#098(10 December 1990)p84 所収「夜毎餘言・18


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