常間地 ひとみ

CMO/ISMO #425 (25 August 2014)


 

 201481720時成田発デルタ航空にてホノルルへ。ほぼ4ヶ月間事前研修を積んだ高校生17名教員6名の「ハワイ島理科研修旅行」。メインテーマは火山と天文台訪問。

 

日付変更線を跨いでホノルル空港に到着したのはハワイ時間17日の朝8時。パールハーバーからビショップ博物館などを急いで見物し、ハワイアン航空でハワイ島へ移動した。滞在先はヒロという大変静かな街で、夕方5時を回る とコンビニエンスストアすらclosedになってしまう。到着したのはすでに夜7時近くだったので人通りさえほとんど見られず、賑やかなのはコーキーガエルの甲高い鳴き声ばかり。ホテルはヒロ湾に面しており、真向いにマウナケア山が見える。初日の朝は麓に虹を見たが、三日目の朝は見事に晴れ上がり山頂の天文台ドームをはっきりとみることができた。ここまでの二日間はキラウエア火山国立公園に入り、HVO(ハワイ火山観測所)を訪れ前所長ドナルド・スワンソン博士から講義を受けたり、ハレマウマウ火口周辺からチェーンクレーターズロードに沿ってトレイルするフィールドワークが続いたが、いよいよマウナケアのすばるを目指すというその日の朝に山頂を見られたのは嬉しかった(ヒロは雨の多い街として有名)。ホテル側も気を利かせて朝食のテーブルをマウナケアが一番よくみられる場所にセットしてくれた。

 

ヒロの街からマウナケアまで所要時間は約1時間半。途中、国立天文台ハワイ観測所ヒロ山麓施設に立ち寄る。リスクの高い山頂での作業には様々な制約があるため、ここからのアプローチが主な役割を担っている(すばる望遠鏡のコントロールはここのほか東京・三鷹キャンパスからも行うことができるという)。すぐ近所にハワイ大学ヒロ校や、イミロア天文センター(ハワイ大学ヒロ校付属の科学館)がある。

 

ハワイ島は日本の火山と違って勾配がなめらかな楯状火山で、山頂まで車で行くことができる。マウナケアはハワイアンにとって神聖な山なので(女神ポリアフの祭壇が山頂にあって、ここには立ち入ることは許されない)、天文台建設の際もいろいろ大変であったらしい。途中から舗装が無くなってダートコースになるのは部外者が容易に天文台に上がってこられないようにするという理由もあるが、ハワイアンの許可が下りなかったからのようだ。

 

ヒロからマウナケア、コナへと続くサドルロードは、保険がきかないのでここを走るというとレンタカーは貸してくれないらしい。中腹(標高2800m)のビジターインフォメーションステーション(オニヅカセンター)までは一般車両も入ることができるが、そこから先は許可を受けた一部のハワイアンの契約車だけしか通ることができない。

 

オニヅカは1986年のチャレンジャー爆発事故で亡くなった初の日系人宇宙飛行士Ellison Shoji Onizukaを記念した名称で、入口にモニュメントが建っている。

 

山頂に上がる前にここで最低1時間ほどは滞在して高山に躰を馴らすことになっている。

木造の山小屋風の建物で、小さいながら売店や水洗トイレもある。望遠鏡が何台か設置されており、晴れていれば毎晩スターゲイジングプログラムが行われている。別棟に会議室や山頂の天文台スタッフ用の宿舎もあり、私たちは会議室棟を借りて弁当もここで食べた。

 

今回のこのツアーはほとんどがフィールドワークだったのでひたすら弁当の世話になった。ハワイでは弁当は「ベントウ」で、ご飯と日本式のおかず。ご飯はやや硬めで、なにより量が半端無い。おかずも肉類中心でどどんと山盛りである。野菜の煮物が入っていたらラッキーで、とにかくハワイというところは野菜が出ない。サンドイッチ弁当にはレタスくらいは入っているが、ほんのまじない程度である。そのかわりサンドイッチにはもれなくポテトチップスがついてくる。このポテチが、吃驚するほど塩辛い。ドリンクはペットボトルの水(ハワイではみんなペットボトルの水)やトロピカルジュース。カットされたフルーツが付く。フルーツはふんだんにあって、流石においしい。

 

オニヅカに着いたころにはちょっとした坂道を歩いても息切れがして、さては高山病かと心配になったが、業者の四駆に乗り込んで山頂に向かう途中数か所で車を降りたときは何も異変を感じなかった。雲の上を走る道中は氷河のあと(マウナケアは噴火の後に氷河期を迎えている)や、火星に来たかのような気持ちにさせられる茶褐色の地面が広がる。Apollo 11のニール・A・アームストロングが月面活動のシミュレーションをここで行ったと運転手が言っていた。そしていよいよすばる望遠鏡の建物に到着。貸してくれたダウンジャケットを羽織って車から降りたが、日差しはかなりきつく思ったほど寒さは感じない。

 

すばるのドームは空気の乱れを押さえる形をしていて、所謂半球形のドーム型ではない。

 

見学には人数制限があり、私たちは先発グループと入れ違いとなる。スタッフの方と挨拶を交わして扉の中に入ると、まずヘルメットを渡され、巨大なエレベーターに乗って3Fへ。すばる望遠鏡の主焦点部分を間近に見られるところに案内された。

 

日中閉じたドーム内で主鏡の温度を夜の予想温度より2低くなるように冷却されているた め、外よりはるかに寒い。一同を迎え解説してくださったのは林左絵子さんという方で、海部宣男さんと共にすばる建設当初から関わり1998年からずっとこちらに赴任されている(夫君はハワイ観測所所長)。望遠鏡の真下にあるカセグレン焦点の近くに私たちを案内し、てきぱきと説明し、生徒に質問は無いかと問いかけるのだが生徒たちはいつもの元気が無い。やはり酸素欠乏か。突然、林さんは腰につけていたペットボトルサイズの装置を指さして「これはヘリオスという液体酸素を使う新しいタイプの酸素吸入器です。だれか実験してみたい人いますか?」と言いながら目の前にいたひとりの女子生徒の鼻に素早くチューブを装着した。顔が真っ青で唇が白い。高山病症状であることを林さんは即座に判断したのだ。もうひとり、あやしい状態になっていた女子にもチューブが付けられた。車椅子が運び込まれ「下山させた方がいいですね」ときっぱり。この二人は四駆でオニヅカまで下ろされた。ほかにもちょっと危なそうな子はいたが大丈夫と判断されて解説が続けられた。すばる見学には年齢制限があって16歳未満は高山病に対して躰がまだできていないという理由で参加することができない。一番元気だったのは(同行の生徒曰く)実は私で、あまりに生徒の反応が鈍いので何とか場をつなごうと質問など投げかけていたのだが、本当のところ私自身もややぼーっとしていて、尋ねたいことを山ほど用意してきたのにほとんど頭から抜けていてもったいないことをしたと悔やんでいる。

すばるの主鏡は超低熱膨張特殊ガラスからなる口径8.2mの一枚鏡で、厚さは20cm23tの重さで変形しないように261本のアクチュエーターに支えられて理想の形を保っている。可視光と赤 外線で得られる画像は途中立ち寄ったハワイ観測所に送られる。今夜は何処に向けるのかと尋ねたら「言えません!」と即答された。1年半待ってくださいとのこと。個人の研究なので絶対機密を守るのだそうだ。近いところでは小惑星、速報が入れば予定されていた観測時間の中に割り込ませてもらうこともあり、観測時間の限られた新彗星などにも焦点を当てるという。小惑星探査機はやぶさの地球帰還を可視光で真っ先に捉えたのがすばる望遠鏡だったと、とても嬉しそうに語ってくれた。

 

エレベーターで1Fメンテナンスエリアに降りると、地表からの熱を防ぐために望遠鏡本体を載せている高さ 12mの台座が現れた。その周囲には主鏡洗浄用ノズルやメッキ剥離用薬品噴射装置、主鏡用真空蒸着アルミメッキ装置や主鏡を支えるロボットアームなどがある。鏡面は2週間おきにドライアイスで洗浄、アルミニウムの再蒸着は3年ごとに行っているという。林さんはこの鏡のメンテにも携わっているとのこと。ここにはいつも2名のスタッフがいるというが、たった2名というのに驚いた。あとはすべて遠隔操作なのだ。

 

すばるの捉えた最も遠い宇宙は129億光年(今のところ最遠方銀河の世界記録ということらしい)。宇宙の年齢は137億年と言われているので、もうあと少しというところまで迫ろうとしている。現在すばるより少し離れた場所にTMT(Thirty Meter Telescope次世代超大型望遠鏡)の建設計画が進められている(さすがに30mの一枚鏡という訳にはいかない)

これが完成するのは2020年あたりのようだが、広域視野を誇るすばる望遠鏡との連携探査に期待を膨らませているという。2020年と言えば東京オリンピックの年だが、訪ねることができる時が来るだろうかとふと思った。林さんは「これからのすばるの仕事を作っていくのはあなたがたです、頑張ってください」と生徒を激励。すばるに関わるのは天文学だけではないという話もあって生徒の目が輝いた。

 

躰への負担を考慮してここには1時間以上いてはいけないことになっている。ヘルメットを返しながら(「ヘルメットはお土産ではありませんので返してくださいね」とジョーク)ドームを出るまで時間を惜しみながらいろいろ話を交わした。そしてドームの外で一緒に記念写真を撮り、すばるをあとにした。隣のKeckに立ち寄りトイレを借りてガラス越しに望遠鏡も拝見。W. M. Keck Observatory はカリフォルニア大学・カリフォルニア工科大学・NASAの共同運営で、約2mの六角形の鏡36枚で構成された10mの複合鏡(それがそのままロゴマークのように扉に描かれていてかっこいい)の望遠鏡が二台ならんでいる。トイレを貸してくれるのはTのほうで(visitor entranceというスペースがちゃんとできている)Uには入れない。

 

その後すばるやKeckを見下ろすことができる山頂まで上がり、一旦オニヅカまで引き返すことにした。夕方また出直して、ここからサンセットを眺めることになる。

 

マウナケアのサンセット+オニヅカでのスターゲイジングプログラムは大変な人気観光スポットのようで、昼間はガラガラだったオニヅカへ引き返したら観光客でごった返していた。車は駐車場を溢れて道路までいっぱい。ハワイでは路上駐車にお咎めは無く、こんなところまでというところでも車が平気で置いてあったりする。アメリカンもいっぱいいたがその多くはどう見ても日本人。あちこちで「ベントウ」を広げていた。

 

いよいよ日没の時間が迫ってきて、次々と四駆が山頂目指して出発する。それぞれのガイドがここという場所に連れて行くのだ。途中猛スピードで追い抜いて行く車があった。運転手は「ジェミナイのスタッフだ」という。Gemini Northern Telescopeという7か国で共同運営されている望遠鏡で、もうひとつはチリにあってこの二つで全天を観測することができるからふたご座なのだという。山頂にたどり着いたらGeminiはすでにスリットが開いていた。

夕暮の山頂は昼間とは打って変わって冷え込み、ダウンジャケットのフードまですっぽりかぶってサンセットの時を待った。なんとコナの方向の先にマウイ島までしっかり見えている。振り返れば影がはるかかなたまで伸びてみんなあしながおじさん。そしてその向こうにマウナケア山の影が女神ポリアフを祀る山頂の一角に沿って伸びている。いよいよ日没の時間が近づき、鮮やかな夕日がすばるとKeckの向こうの遠い雲海に吸い込まれるように沈んでいく。あっという間に薄明が闇となり、オニヅカへ引き返すことにした。車窓から流れ星が見えた。さそり座、いて座そして、雲のように見えていたのはなんと銀河!驚いたことに、お世辞にも綺麗と は言えぬ車窓越しに銀河がはっきりと見えているのだ。

 

オニヅカに戻るともうスターゲイジングプログラムが始まっているようで、人だらけ。とんでもない混雑なのだが、それでも銀河ははっきり見える。まるで合成画面のようだ。私たちは人混みを避けてすこし場所を移動。ちょっとした空地で星空を堪能することにした。日本では地を擦るようなさそり座がかなり高く、尻尾のS字の下にさいだん座とかぼうえんきょう座まで見えている。イミロア天文センターで買った北緯20°用の星座早見盤が役に立つ。西の空低くケンタウルス座のαβまで見える。銀河の裂け目もわかる。生徒たちはガイドが提供する望遠鏡を覗きこんだりレーザーポインターで星座を教えてもらって歓声を上げたりしていた。人間の躰とはたいしたもので、サンセットを眺めたのはマウナケアの山頂(正真正銘の4205m)、星を見てわいわい興奮している場所も2800m。すっかり順応している。十分堪能して(本当はオリオンが昇るまで居たかったが)、ヒロの街へ引き返した。下界は土砂降りだった。

 


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