2003年の火星大接近について (CMO編集部)
この稿2002年に書かれたもので、
CMO#264の"Great Apparition of Mars in 2003"に依っています。
内容は村上昌己氏と西田昭徳氏の
2002年CMO伊那懇談会での解説をまとめたものです。
2001年に大黄雲に包まれた火星は2002年八月2日に太陽の向こう側をまわった後、次第に地球に近付き2003年の八月27日19時(日本時間)頃に5576万kmまで最接近します。このときの視直径は25.11秒角で有史
八月10日には1988年の大接近の時の最大視直径を越え、22日あたりからは25秒角へ突入します。たぶん現存する火星観測者でこの大きな火星を見た経験のあるかたはほとんどいないと思われます。
右側の地球と火星の軌道図は画面をクリックすると大きくなります。
太陽、地球、火星が黄経に関して一直線に並ぶ衝は八月28日に起こります。最接近と衝が近いのも超大接近の特徴です。
大接近といえども最大視直径が25秒角を越えるのは稀にしか起こらないことで、十九世紀や廿世紀には一度しかありませんでした。
1640 25.06" on 20 Aug
1687
25.00" on 09 Aug
1719
25.03" on 25 Aug
1766
25.08" on 13 Aug
1845
25.09" on 18 Aug
1924
25.10" on 22 Aug
2003
25.11" on 27 Aug
2050
25.02" on 15 Aug
2082
25.06" on 30 Aug
1924年の大接近は2003年のちょうど七十九年前で、七十九年というのは火星接近の周期として極めて好い値です。2003年から七十九年後の2082年にも25.06秒の大接近が起こります。
最大視直経が大きいということは、単に大きな火星を最接近のときに見られるということだけでなく、火星を長い間よい状態で観察できるということを意味します。前回2001年の接近のとき(六月21日に最大視直径20.79秒角で最接近)は約一ヶ月視直径が20秒角以上を保っただけでしたが、今回2003年の場合は七月20日から十月4日まで約二ヶ月半20秒角以上の火星が観測できるのです。2005年には最大視直径が20.17秒角(2005年十月30日)にすぎませんから、ごく短い期間になります。ですから2003年には火星の季節は限られますが、充分な観察期間が与えられているわけです。
2003年には10秒角以上の火星は五月から十二月まで半年続きます。
ただ、視直径が大きいといえども、火星の全季節を、また全面を観察できるわけではありません。中央緯度は深く南半球に入って、六月には20°S(南緯2)にまでゆきます。したがって、北半球高緯度に起こる現象は掴みがたいわけです。然し、南半球の様子はしばらくぶりで好く観察できます。南極冠の溶解の様子なども事細かに観察できるはずです。多分HSTも南半球高緯度の撮影は初めてになるでしょう。
2003年の火星暦
南半球の春分 05 May 2003
留
30 July 2003 22h
最接近 27 Aug 2003 at 10h
Ls 249°Ls
Φ 19°S
δ 25.1"
光度 - 2.9
距離 0.3727 au
55.76 million km
位置 (RA:22h39m, Decl: -15.7°)
衝 (along the zodiac) 28 Aug 2003 18h
Ls
250°Ls
留 29
Sept 2003 14h
南半球の夏至 30 Sept 2003
こんにちでは、MGSやHSTが活躍し、火星面上の細かな詳細を地球上から追う必要はなくなっています。むしろ、地球からの連続した観測は火星の季節に関して行われるべきです。火星の季節は、火星から見た太陽の黄経Lsをパラメータとして測りますが、2003年一年に限ると116°Lsから325°Lsまでとなります。火星の一年は地球の二年分ほどありますから、当然地球の一年で観察できる火星の季節は火星の半年です。いま視直経が20秒角以上の火星の季節をみると224°Lsから273°Lsまでにしか過ぎません。270°Lsが南半球の夏至ですから、南半球の晩春から夏至までの観察が出來る(だけ)ということです。しかし、この季節は南極冠の溶解の季節であり、また大黄雲の発生する興味ある季節でもあるわけです。
南極冠は南半球の春分180°Ls以前に最大値を示しますが、春分後は少しずつ溶けてゆきます。その間、南極冠の内部には翳りが出來たり、周辺部には輝点が並んだりします。注目すべきは、230°Lsから240°Lsにかけて、南極冠のある方向の溶解が速く進み、南極冠の中心が地理上の南極点からずれてゆくことです。これは八月前半の観測対象です。ミッチェル山と呼ばれる(実際には凹地ですが)部分が南極冠から離れてゆく光景も250°Ls前後から見られます。九月の終わりには離れ小島のように見られるでしょう。
上に述べたように、今年の大黄雲(ダスト・ストーム)の季節は視直経が充分なときに訪れるわけですから、もし發生すれば観察の好い機会になります(というより大黄雲には大接近以外では滅多のお目にかかれません)。もっとも、南極冠の溶解にともなって黄塵がたくさん起こることは好く知られており、これは北極雲の溶解のときも同じです。ダスト・ストームというのはそういう局所的黄塵ではなくて、大気の高層に昇り、火星の気象に影響を与えるような大規模なものをいいます。1988年の大接近の時にはこうした大黄雲は起こりませんでした。しかし、1971年の大接近のときは、260°Lsにおいて明るく大きい黄雲が発生し、火星の全面を覆ってしまいました。2001年の大黄雲が現れるまで史上最大といわれたものです。1956年の大接近にも250°Lsあたりで大黄雲が発生し南半球を一周しました。この黄雲は日本で好く追求されたことで知られています。1924年の大接近にもアントニアディが火星全面が木星のようにクリーム色の黄色と形容している時期(236°Ls)がありますし、オリュムプス・モンスらしい頂点だけがぽつりと見えて、あとは雲海に没しているスケッチも残されています。こうしたシーズンは今回の守備範囲に全部入ることになります。黄雲の発生に関しては火星の朝方の縁の方を常時観察するのが肝要です。
2001年に長く漂った大黄雲の残した影響を観測するのも今回の役割で、ソリス・ラクスからダエダリア、シュルティス・マイヨルの東側、アエテリアの暗斑、マレ・シレヌムの西端、マレ・キムメリウムからマレ・テュッレヌムにかけての暗部について調査が必要です。
地球の北半球からの火星の水平高度は今年も依然低めで(2001年に比べれば10度ほど高いのですが)、春先には苦労することでしょう。しかし、オーストラリアでの観測活動も最近寄せられますので、データなどは期待できます。また、夏口になれば火星に高度は上がりますが、梅雨期が問題で、やはり夏休みに入ってからが勝負となるでしょう。
好く知られているように火星の自転周期は地球のそれに似ていて、約四十分長いだけです。したがって、南中の火星がアメリカ、極東オセアニア、ヨーロッパと動く間に同じように火星は自転するわけですから、それぞれの地球の地点で 見える火星の表面は違ったところになります。平たくいえば、アメリカで見ている火星は日本で火星が見えるようになったときにはもう別の場面に移って、アメリカで見えたものはもう見えなくなっているわけです。したがって、地球上のあらゆる地点で火星が観測されることが重要です。今回はヨーロッパの参加が多くその点では、2001年より改善しています(2001年には火星の高度が低くヨーロッパでは敬遠されたわけです)。
一方、ある地点で観測を続けますと火星は四十分で10度回転します。日に彼我の時點が四十分違いますから、毎日同じ時刻に観測しますと10度ずつずれて見えてきます。したがって、毎日同じ時刻に四十分ごとに何度も観測すると、同じ経度の火星像が必ず得られ、また10度違った火星像も得られるわけですから、毎日の変化がたいへん比較しやすくなります。特に黄雲が発生しているときはこの方法によると好いでしょう。
もし、火星の観測をしたりccd像を得たりした場合は、必ず日付時刻だけでなく物理表によって少なくとも次の五つの要素を計算しなければなりません。 中央子午線経度=ω, 中央緯度 De=φ, 火星から見た太陽の黄経Ls=λ, 視直径 =δ, および位相角 =ι です。季節はLsによって記述しますからDsは必ずしも必要はありません。位相角は欠け具合と関係しますが、お昼のラインが何處にあるかのヒントを与えます。
なお、δ以外は小数点以下は四捨五入します。誰もλ=180.1°Lsとλ=180.2°Lsを区別し得ないでしょう。中央経度にしてもω=179.9°Wが180°Wと違うという結果が出れば、それこそお笑いです。 今回の接近は、ccdによる青色光の問題が解決しないまま突入したのは殘念な事です。また木星で活躍したToUcamのような不思議なRGB分布をする撮影機材が横行し、混乱を起こしました。B光は火星面の淡い水蒸気の分布を表現するはずですが、いまのところ成功した例が多くありません。相変わらずR光の詳細志向のccd像が横行しているわけです。今回の火星は南極冠の縁を出発した水蒸気が大きな働きをする時期に当たっていますので、これは予期しない事でした。