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Ten Years Ago (97) (Japanese)
- CMO #137 (25 September 1993) CMO p1279 –p1294

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 この時期には火星は日没時の低空にあり、合に向かって太陽に近付いている状況であった。観測期は既に終わっていて、1992/93年観測の解析が行われていた。この号では、1992/93 CMO NOTE(7) 29 Dec 1992 (λ=018°Ls) 南アウソニア突然顕著」と、1992/93 CMO NOTE(8)「春分頃の北極冠の周縁--特に Ω=080°W180°W」の二編が南政次(Mn)氏によりまとめられている。

 前者は、西田昭徳(Ns)氏撮影の写真に捉えられた午前中の南アウソニアに見られた明るさに関しての記事である。同日の観測は多くの観測者が行っており、諸氏の観測にも明るさが明瞭であった。 しかし、前後の数日の観測と比較しても明るさは29日だけのことで、その後も特に明るく観測されることはなかった。先行する南半球高緯度が1993年一月はじめに薄暗く観測されていたこともあり、何らかの活動があったものと推測している。また、突発現象の追跡などには、観測条件を揃えて連続して続ける心構えが必要であることをあらためて強調している。

 後者の分析は、1992年十一月下旬におこなわれたオールナイト火星観測の際に観測された現象に関するもので、北極雲を透かして見られた暗線に注目している。図を多数引用して、日毎・時間毎に変化する様子が示されている。極雲の透明度により、暗線の見え方は変化するが、北極冠のダークフリンジが透けて見えているとの結論で、λ=000°Lsの頃の北極雲/北極冠の様子が捉えられた。この暗線に類似したものは過去の接近でもMn氏がマレ・アキダリウムの経度に於いて捉えており、これはドースのスケッチに顕れたものと同じいという指摘が嘗てなされたことがある

 

 LtEには、ヨハン・ヴァレル(JWr)氏からの長文の便りが掲載されている。自己紹介から始まり、スウェーデンのアマチュア天文事情のことや、NMO (Nordic Mars Observers)1992/93年の火星観測結果が述べられている。なお、JWr氏はその後ウプサラ大学で学位を取得され、現在米国のLPLに滞在され、2003年の火星はそこで観測された。NMOには、デンマークのエリザベト・シーゲル(ESg)さんも参加されていて名前が挙がっている。この号にはESgさんからのお便りもあり、同封されていた雑誌からの記事のコピーが紹介されている。先にESgさんが来福されたときの記事で、中に永井靖二(Na)氏の『朝日新聞』の記事のコピーがデンマークの雑誌にそのまま引用されている。

 外国からは他に、リチャード・シュムーダ氏、フランク・メリッロ氏からの来信がある。国内からは、森田行雄氏と筆者の便りが掲載されている。それによると私がパソコン通信を始めたのは、このころであることが判る。

 

 その他、「夜毎餘言」(XXXVIII)は、「割箸と焼畑と」と題して、割り箸と森林破壊と焼き畑農業に関しての南(Mn)氏の見解が述べられている。焼き畑農業に関しては、永井(Na)氏の朝日新聞の署名記事からのダイジェストも紹介されている。転じて、台湾での割り箸事情に移り、木製品使い捨ての風潮を嘆く話で閉じる。当時、Na氏は福井支局勤務であったが、その後神戸支局に移られ、1995年の神戸大震災に遭遇している。現在(2003)は東京本社。

 『一点点・一天天』は「ISBNISSN」と題して、書籍につけられている十桁の国際標準図書番号(ISBN: International Standard Book Number)の説明である。一字違いのISSN (International Standard Serial Number)は国際標準逐次刊行物番号で、『火星通信』は、0917-7388の番号を取得して、国会図書館に全号が保管されている。

 巻末は、英文の「シー・エム・オー・フクイ」で、西田(Ns)氏の夏休みのオーストラリア天文遠征の話が披露されている。20mmレンズで六時間露出の天の南極中心の周天画像が紹介されている。

村上 昌己 (Mk) 

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