Ten Years AGO (79)   CMO #115 (25 March 1992)


 

1992年三月の火星は、「やぎ座」から「みずがめ座」へと金星と並んで順行を続け、月初めには土星も加わって三惑星が「やぎ座」で接近した。赤緯を上げていたが日の出時の高度は月末でも15度ほどであった。視直径もまだ4秒角台で観測は始まっていない。

 今号の巻頭は"SOMETHING OLD (4)"で、Roy CERRETA (Teramo, Italy) によるVincenzo CERULLI(18591927) の略歴の紹介である。チェルルリ氏は19世紀末のイタリアの火星観測者で、1896/97年と1898/99年の接近に観測を残している。運河などに命名をしたが、運河の存在には懐疑的な態度をとっていたという。火星面のクレーター(338°W, 32°N)に名前を残している。

 次いで、1988CMO観測ノート(17) 「南極冠内部の濃淡について "On the variation of intensity inside the spc in 1986 and 1988"」が南(Mn)氏・中島孝(Nj)氏の共著であらわされた。1986,1988年の接近時に観測された南極冠内部の輝部や陰影に関しての考察である。扱った期間はLs=180°250°の南極冠融解最盛期までの期間で、末期は含まれていない。
 始めに南極冠内の輝部を取り上げ、Novus Monsと比較同定できるLsの異なる観測を並べ、Novus Monsが、極冠の融解が進み分離する前にも、既に極冠内部で輝点として認められることを示した。
 次に、南極冠内部に見られた暗条や陰影をとりあげ、変化の早いことや傾き(φ)による見え方の違いなどを示して、地形の亀裂などが観測されているのでは無い事を示した。

 「日本語講座」は、第三回目となり、日本語に於ける「ひらがな」の用法の説明が掲載された。漢字と漢字を結んでの、副詞的・接続詞的・助詞的など様々な使われ方や、送りがな・漢字のかな表記等が、実例をあげて説明されている。

 夜毎餘言XXVI「ワード・ウォッチング」は、日本語に於ける漢字の音読について、中国語での発音との相違をあげて比較考察している。日本に漢字が取り入れられた時代や地域の違いで、日本語では「呉音」と「漢音」が混ざって残っていて文化遺産的であるという。その後、時が経つに連れて日中両国でどの様に発音が変わって現在に至っているかを説明されている。
 外国語の発音のかな表記の問題点は、漢字の音読に限らず西洋語の表記にも時代が下がると簡略化され平板になってしまうところにあるという。

 また、「K稿」の掲載が始まって、一回目の「分解より綜合を」"TO A NEW SYNTHESIS"Mn氏、Nj氏の共著で掲載されている(英訳付)。眼視観測と写真観測の優位性についての論議の今日版である。
 火星の眼視観測で得られる総合的なイメージと、フィルターで分解した単波長像の画像合成との違いは歴然と存在していて、暗色模様が良く捉えられる長波長像(赤色像)で微細構造を強調した画像では、雲や霧をとらえる短波長側の再現性に問題があり、眼視観測で見られる火星像とかなり相違があることを取り上げている。
 さらに例として、過去の黄雲観測の例を挙げて、黄雲の中心部は赤色像で明るく検出できるが、周辺の拡散した微妙な部分については、赤色光だけでは捉えきれず、不十分であった実例を紹介している。黄雲のメカニズムの解析には拡散した周辺域の情報も重要であることは、昨年のヘスペリア黄雲の追跡でも明かである。
 先日、三月末の横浜でのミーティング席上、かねてからの疑問である「K稿」のKについて南政次氏に訊ねると、「ケンカのKさ、ドイツ語では・・・」と言葉の最後が聞き取れなかったのは残念だった。当時から眼視観測にもフィルター使用を奨励していたALPOへの先制パンチのようである。諸氏も御再読下さい。 

巻末には、シ−・エム・オ−・フクイの中島孝氏からカンパ受領の報告が掲載されている。

村上 昌己 (Mk)


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