Ten Years AGO (78)  CMO #114 (25 February 1992)


 

 火星は、1992年二月には「いて座」から「やぎ座」へ金星と並んで順行していて、朝方の南東の低空にあった。視直径はまだ四秒角台にと どまり、観測の難しい時期にあたっていた。 

この号には1990 OAA Mars Section NOTE(4) 1990年の南極冠の終局状況の観察」"The SPC at the Final Stage in 1990"が掲載された。1990年十一月中旬に日本の各氏が観測した南極冠の日毎の様子が紹介されている。
 南極冠融解の最終段階では融け残りが南極から偏芯して(030°W, 86°S)、特定の火星面経度から観察できるだけとなる。1990年の最接近は20 Nov(δ=18.1" Ls=336°)、日本あたりの経度から、大きな視直径で南極冠の最後の様子を捉えることが出来る良いチャンスであった。この後は十二月下旬に該当経度が日本から見え始めたが最早南極冠は捉えられていない。

 連載されている、"An Approach to CMO Japanese"(日本語講座)は二回目で、カタカナの読み方に関しての記事である。『火星通信』紙面に頻出するカタカナ中心に単語の発音と英訳が紹介されていて、人名に関しては中国に於ける漢字表記も並列されている。

 LtEは、ョ武揚氏(臺北)からのもので、CMO#111 p972R CERRETA氏から寄せられた1990年の観測から作成した火星図を見ての、1941年に蔡章献氏のご覧になったSolis Lの思い出が語られている。巻末にはカンパ受領の報告が「シー・エム・オー・フクイ」中島孝氏からあった。また、この号の最終ページで『火星通信』は通巻1000ページに達している。1986年の創刊以来六年目となる。

 

村上 昌己 (Mk)


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