Ten Years AGO (76)    - CMO #112 (25 December 1991) -


月始めに「合」となった火星は、1991年十二月には「さそり座」を順行していた。太陽との離角はまだ小さく、月末でも西15度ほどであった。視直径もまだ4秒角に達せず、観測再開はまだまだの時期であった。

  この号には国外から寄せられた情報がいくつか紹介されている。頭書は前号でタイトルが紹介されたALPO1990年黄雲レポート"Dust Clouds on Mars in 1990, An International Event"のダイジェストである(英訳付)。ヨーロッパとアメリカが観測の好位置であった十月黄雲、十一月黄雲の状況が図を引用してくわしく説明されている。
 次いでR McKIM氏から寄せられたBAA1988年火星観測報告("Mars in 1988" JBAA 101(1991)265)が取り上げられた。南(Mn)氏はまだ精読されていないとのことで簡単な内容の紹介にとどまっている。
 他にドイツで開催が決定した "MEPCO '92" Meeting of European (and International) Planetary and Cometary Observers)の案内と会場の写真が入ったコピーが裏表紙一面に掲載された。後に判ったことだが、これにはクアッラ(G QUARRA)さんが参加されたそうである。
 発行直前には臺北から蔡章獻先生が来日されて、Mn氏と大津で再会された。記事には圓山天文臺の近況や台湾の様子などが取り上げられている。国外情報の最後には、D PARKER氏から寄せられた Lynxx CCD Cameraによる金星と木星の画像が先月の土星に続いて掲載されている。

 「夜毎餘言XXIV は「Sousekiは俺のことかと漱石」と題して、日本語のアルファベット表記の際におきる問題点の考察である。アルファベット使用語圏の国の人々にアルファベット表記の日本語を正しく発音して貰ったり、仮名表示の外来語を察知して貰う難しさが理解できよう。次号からはMn氏とNj氏の「日本語講座」が英文で始まるのだが、マクラのようでもある。
 LtEは、松本直弥(Mt)氏からのハワイ日食と雲仙噴火関連のお便りである。内容は英訳でも紹介されている。
 巻末には、シ−・エム・オ−・フクイの中島孝氏からカンパ受領のお礼がある。

 尚、この号は、ちょうど百号後のCMO#212の記事に述べられているが、南氏の御母堂が脳梗塞で倒れられた21日の直後の多難なときに三國病院のCCUで編集された。以後、CMOは三國に移り、中島孝(Nj)氏と西田昭徳(Ns)氏が編集・印刷・丁合・発送に本格的関わるようになる。経過などの公式な発表は半年後のCMO#118の「編集室便り」に詳しく語られた。当時のご家族方のご心労は如何ばかりであったかと拝察する。爾来十年、御母堂は未だ病床にあるが手厚いご介護を受けられてご健在である。

村上 昌己 (Mk)


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