Forthcoming 2007/2008 Mars
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1956年の輝けるデウカリオン黄雲

CMO #33 (10 July 2007)

南 政


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半球の夏に起こる大黄雲は、次から次へと共鳴現象を起こしながら、西進して火星を一回りしてしまうものである。★1971年のノアキス大黄雲は十五日目ぐらいに一周し、二十二日目ぐらいまでは黄雲を追跡できたわけであるが、それ以後はプロットすることが適わなかったようである(J L MARTINIcarus 22 (1974) 175)。一方、1956年の大黄雲は南半球型のものであるが、これは略十日で一周、八月20(λ=246°Ls)に發生して、九月10(λ=259°Ls)頃から衰退し始めたと言われているから、ほぼ二十日間で下り坂になったわけであって、規模は違うのであるが、1956年特有のことも起こっている。★その一つは、序でにしか語られないことで、然し1956年の場合、大黄雲の衰退過程にあった十月3(λ=274°Ls)に、デウカリオニス・レギオに明るい黄雲が立ち籠めたという著しい紀録があるので、ここでメモして置きたい。詳しくは佐伯恆夫著『火星とその観測』を參照されたい。★實際には九月の終わり頃からシヌス・メリディアニの周邊やマレ・セルペンティスの周邊などに黄雲が出没していたようで、十月一、二日もいくらか異様さがあった様であるが、三日デウカリオニス・レギオが黄雲で俄然輝いたようである。第一黄雲の發生から四十五日目、Lsにして28°の違いがある。その華々しい紀録--當時多くの有名な觀測家が參加している--佐伯著に譲るとして、その中に足羽山天文臺では當時高校二年の紅顔少年であった中島孝(Nj)氏が含まれているので、ここに彼のスケッチを掲載する(Mnは何していたんだと言われそうだが、筆者は當時高校三年後半で、お受験の準備中、そのまま無事合格したのはご承知の通り。お蔭で實は1956年は1954年の三分の一も觀測していない)。★既に衝を過ぎているから(衝は九月10日、最接近は九月7日であった)、朝方輝いて入って來ている筈である。前記佐伯氏の觀測では、4GMTも相當に明るく、5GMTにはヘッラスを細く横切ってアウソニアまで達したようである(少し解せないのは、デウカリオニス・レギオが現れるところの觀測が報告されていないことである。當時ι=20°ほどだから、ω=260°W邊りで出てくると思われる。4Octでも12hGMTω=268°Wであるから、十分可能であったはずである)。日本からは6GMTの宮本正太郎氏と福井實信氏の觀測が最後になったようであるが、未だ黄雲は健在であった様である[宮本氏の觀測は6Octには11:56~(ω=249°W)14:55~(ω=292°W)17:13~(ω=326°W)の三回の觀測で網羅的だが稠密さに缺ける。その次は14Octへと飛んでいる]。★日本の觀測はここまでの様で(もし17hまで觀測可能としても、出現するところは11Octまでは日本からは可能であったと思う。天候の問題もあるが、メソッドが當時は確立していなかったということであろう)、その後歐羅巴に移っていったわけであるが、殘念ながらこちらも紀録がないようである[理査・麥肯(RMk)氏のMemoirs of the BAA, 44 June 1999 issueに據れば、8Octにカミシェルの写真があるようであるが、餘り黄雲について具体的ではなく、BAAの觀測については觸れられていない(p75)]。華々しい黄雲であったが、次のジャンプはしなかったと思われる。10Octでも視直徑はd=20.6"もあった。★以上、1971年のように全球的になれば、少々の黄塵の發生は不明になるけれども、1956年のような早期終息型の場合には、第二黄雲の發生が考えられるという譯で、そういう場合は追跡が必要である。


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