CMOずれずれ艸 (南天・文臺)
その八
火星の讀み方
◆「火星」は無機質であり、「讀み方」は人格に關わることであるから、この組合せは一寸おかしいのであるが、觀測とは何時もこうしたambivalentなところがあるから、ご容赦いただきたい。
もともとは「取捨の仕方」とでもしよう思っていたのである。「讀み方」も「取捨の仕方」も同じであるから(何故か)、どちらでも好いのだが、「捨て方」ではネガティヴに聞こえるだろうから、「讀み方」を採用する。
捨てるといえば、無用になったものであるが、無用であるかどうかの判断は難しい。舊いものだから無用という譯でもないであろうし、新しいからといったところで初めから駄目なものもある譯である。中間のものとして、情報誌などがあろう。廣告誌などは期限附きで無用になる。ここでは無用論を展開する譯ではないから深入りしないが、同情的に言えば、無用になって捨てられるものにも、その時代を色濃く反映したものがあり、必ずしも無意味ではない。例えば、火星の運河論であるが、これは荒唐無稽でありながら、餘りに時代を劃したものであった爲に、歴史的觀點からは捨て難いものであろう。ホール(A HALL, 1877)が火星の衛星を見附けたあと、彼の近くで第三、第四の衛星を發見したという人物が出たという様な事實は唾棄すべきものとして顧みなくても好いが、運河論には文明史的な意味だけでなく、多くの優秀な觀測家が巻き込まれたという一度は検証すべき現象が含まれているのである。ただ、運河はこれからの觀測にも解釋にもまったく關係しない、捨てられた概念であることは確かである(そうでもないか、後述)。
昔の火星の本には菫色雲とか青色雲というものの記述があり、Blue hazeとかBlue layer、Blue clearing等という概念が述べられていた。赤色光の像よりピンボケ青色光像の方が大きいというような眞面目な比較もあった。この青色雲は説明が難しかったらしく、ノーベル化学賞のユーレイ(H C UREY)迄が論争に登場していた。當時火星はカラフルだと思われていて、結局、菫色光に寫らない様な火星の世界というものは想定外であったのであろう。兎に角、いまでは古色蒼然として捨てられた概念である[菫色雲とは何だ!、CMO #128 (25Jan1993)p1171、また#133p1240/41參照]。
ただ、ブルー・クリアリングについてはホンの先年まで(今もか?)、海外の觀測にはメモ欄があり、如何にもそれが高等な觀測のように思われていたのである。對衝のときでも赤道帯霧が濃ければ暗色模様は見えないし、霧の配置によっては衝以外でも見える、というような單純なことが眞相で、あとは位相角を考慮すれば好いだけである。實はそのような概念は捨てた方が、物事は簡單になるという例である(地動説が周轉圓附きの天動説より遙かに簡單なように)。いまは、菫色雲やブルー・クリアリングについてポシティヴに論じているものがあれば、捨て方も知らず讀み方も知らないわけだから、それはもぐりである。尚、このことは青色光の写真が意味を無くしたということではないことは何度も注意している。
文字通り捨てなければならないものがある。たとえばLs値などの小數點以下である。四捨五入が適當だから、單に捨てる譯ではないが、小數點以下を大事そうに殘している様な觀測者の數値はどれも眉に唾を附けた方がよいのである。これは讀み方である。そういうのに限って、雲海が一日で何度移動したなどと宣う手合いである。Lsは季節の指標であって、0.5°Ls等で捉えられる現象などない。もしあるとすれば、地方時の俎上に昇る。これは次元が違う。
では、具體的に「讀み方」の例を挙げてみよう。Mk氏によると、1999年のエリュシウムについて、『エリュシウムに懸かる雲が137°Lsの前後から急に晴れて見えるようになった、そして、夕方にはまだ見えるが、朝方には見えない状態になった。』というような報告が或る天文機關誌に載ったそうである。これを「どう讀むか」。既にエリュシウムの消長についてはCMO#233p2763で論じたから、お氣附きであろうが、一目瞭然、上の如き判断は上っ面だけのものである。エリュシウムの「夕方に見える雲」は朝には見えないという基本的なことが捉えられていない。朝靄はこの時季、ごく一般の低空雲であるのに対して、正午以降高山に懸かる山岳雲は本質的に違うものである。この意味でエリュシウムの朝夕の觀測は120°Ls邊りがひとつの山場であり、山岳雲については145〜150°LsでVA(非常に活動的な)状態は終息する、ということは#233で述べた「觸り」であって、觀測者/報告者はその違いを意識しなければならない。このことは資料の善し悪しの問題ではない。たとえば#233p2766に引用したDon PARKER氏の青色光の写真は、當時のMarsWatchに掲載されている筈であるから、この写真の重要性を讀み切れなければ、火星は讀めないのである。
昔の火星はよく地球に準えられた爲に、いわゆる緑地帯の考え方も蔓延っただけでなく、雲が日々變化して颱風のコースのようなものを辿って移動して行くというような描像がよく醸されたものである。黄雲のような黄塵を含んだものには多少その傾向があるが、しかし白雲に至っては絶対にそのようなことはありえない。なぜなら、火星の氣温變化の苛酷さによって雲の昼の姿を夜に留めることはないからである。ただ、同じ氣象條件が續くことによって、同じ現象がやや違って繰り返されることはあるが、これは日々移動したとか、發展したとかいう類のものではない。白雲が夜には形を變えてしまうということについては、1994年のOAA總會の折り、その夜の博物館での懇談會で村山定男氏が注意されたから、理解している人は理解している筈だが、同じく聞いていても分からない人は解らない。
捨てなければならないものに、火星暦日がある。『天文年鑑』にも(視半徑と共に削除を)申し入れているが、誰が決めるのか容認されない。火星暦というのは多分矢張り火星が地球に似ているという判断で設けられたものであろう。三月21日邊りに春分が來て欲しいわけだ。そして、梅雨もあれば颱風のシーズンもあるという譯であろうか。初雪もあるかもしれない、云々。然し、實態は違う。而も地球だって處換われば變わるのである。火星暦日は何の關連も對應も地球の暦に對して保っていない以上、まったく意味がない。しかもSLIPHERなどは、南半球中心(所謂近日點附近での火星のみ)の觀測であったから 、火星暦は六ヶ月ずれており、紛らわしい話で、Lsで済ませる方が餘程比較が簡單で、賢いのである。
觀測Ls値が下二桁というような巫山戯た數値狂いは、實は同じ様に別の處でそれを発揮する。
恩師佐伯恆夫氏にもこの傾向があった。ノートを拝見するとωやLsなど下二桁がある。標高25kmもあるオリュムプス・モンスが火星の縁で膨らんで觀測されたという例は筆者は寡聞にして知らないが、佐伯氏は10kmとか14kmの高さの雲と明記したような記録を著書に殘している。極冠に關しても細かい數値が見られる。
ALPOの42mmスケッチ圓というのも、似た様な數値地獄を齎らす事は何度も注意した。尤も、實害があったかどうか知らないが、スケッチ上の1mmが百マイルとかいう様な話は、スケッチ觀測とは無縁のものである。眼視觀測の解像力は計測の爲ではないし、写真でも(1/42)× 20"=0.48"の解像は易しくはない。ケープンの人を物語る。
「讀み方」は取捨に關わるが、取捨は情報の收集能力や環境に依存する。目の前に情報がぶら下っていても讀み切れないものや、周りの趨勢が違っている場合には可笑しなことが起こる。1988年に臺北の圓山天文臺にLという國立臺灣大学の法學系の學生が一度だけ「全國最大的」「直經25公分折光望遠鏡」を覗きに來たことがあった。驚いたのはその一回の觀測だけで、『老天月刊』という當時臺灣で發行されていた天文誌に「我看到了火星運河」という文章を出したことである。勿論、火星觀測についての歴史を幾らか知ってのことであり、運河を見ただけでなく「其中還有兩條平行」とあるから、二重倍加を見たと主張しているのである。勿論、L氏はヴァイキング以降の成果も知っているのである(現在的科學已證實火星的確没有運河)、然し、「我仍然賛成火星有運河状的暗線存在」で、「我想我會支持羅威爾的--因爲我確實看到所謂火星「運河」了」だそうであって、これは一體どういうことなのであろうか、笑い話どころの話ではない、私は當時唖然とした。ここで羅威爾はLowellである。
これは今以て横行するようなセンセーショナリズムと無縁でないであろうが、臺灣にはそういうものを許す風土があるのかと思う。「現在的科學」が定着しないということかも知れないし、天文に於いて取捨すべき事を指導者が選擇していないことかも知れない。もう一つ、このL氏というのは法學部で、エリート志望らしく情報通ではあるようであるが、他人に相談も出來ない天狗であったから、總て臺灣の例にするには失禮かも知れない。
觀測には特別オモテに出ないであろうが、ローウェル流の亡霊を追うことはアメリカでも皆無ではないので、注意しなければならない。
以上、何時も言っていることであるが、横濱での中島守正氏のお話を承けて、私の「讀み方」を繰り返した。
(南 政 次、『火星通信』 #236 2000年十月25日号) 「K稿」 6 から