CMOずれずれ艸(南天・文臺)

                              その肆


似非火星圖


 ★調べものがあって、久しぶりで唐那・派克さんの1986年のTP写真を見たが、シュルティス・マイヨルの形が今もそっくりなのに改めて感じ入った。尤もこれは普通の火星觀測家ならば誰でも知っている類の事である。
 50年代から70年代の大黄雲時代に模様が劇的に變化してから、80年代以降火星の模様が落ち着いていることは誰でも知っている筈である。86年は『火星通信』の發刊された時だから、『火星通信』は極めて平和な時代を經過している譯である。
 變化がないとしても、これが事象の推移というものであって、誰もがこのことは認識している筈のものである。どうであろうか。
 シュルティス・マイヨル(マヨルでない)ばかり描いているような自稱觀測家には嫌みも言いたくなるが、これだけ時を經ても腑に落ちないようなスケッチに出會うことがあるから、もう一つ適わない。
 どうして、こういうことが起きるか、多分現象の推移などに無頓着で、固定された火星圖や役目を終えた歴史的なスケッチなどに影響されるからではあるまいか。例を擧げる。

 私は80年代にOAAの大阪支部例會に數度顔を出したことがあり、以後支部長の松本達二郎さんから葉書で毎月ご案内を受け恐縮していたが、鷲眞正さんにバトンタッチされてからも引き續き葉書でお知らせを受けている。會費も拂っていないし、今はもう出掛けられないので、遠慮すべきと思い乍ら、長谷川一郎さんが毎回何をお話になるか、テーマだけでも興味がある上、葉書に添えられるイラストが面白いので、甘えてそのまま拝受している。
 今年の四月、五月號はイラストが火星であった。最接近だからであろう。五月號は火星の25cmSCTによる軽いスケッチで、好く描けていると思ったが、實は四月號では唖然とした、ということをここでは觸れたい譯である。
 要するに、ここに引用された、こんな出鱈目な火星圖が出回っているとは思いよらなかったのである。これは誠文堂新光社の何かの本からの引用とのみ記載されているのだが、一見して一體何年頃のものヤ、そして何の爲ヤ、という類のものである。この様なマレ・シレヌムは絶えて久しいし、ウトピア周邊はまさに化け物である。今回肝心の北半球は描けていない。そしてシュルティス・マイヨルやトト・ネペンテス等は何と云うべきか、幽霊でも見ている様な心境になる代物である。
 私は、これを描いた自稱觀測家はこの十數年觀測をしていないと思う。特に北半球を知らない。昔勉強したかも知れないが、「事象の推移」には全く無頓着である。少なくともCMOの讀者ではあり得ない。鷲さんは出版社と書名を挙げただけで、作畫者名は記していない。從って自他共に寡聞を認める私には正直誰か判らない。ここで書名を挙げれば讀者の中には氣附いて騒ぐ人もあろうと思うし、ここは中傷誹謗の場ではないから、觸れないが、もしこれが最近の出版物に據るのならこの火星圖は厚顔無恥もいいところである。
 しかし、問題はその事でなく、こうした似非ものが流布することであって、少なくともこの様にOAA"出版物"に現れている譯である。鷲さんが判断出來ないように、普通の人には判断出來ない。判断出來ないことを當て込んでいるとも言える。ということは詐欺行爲に近く、これから火星觀測を志す初心には極めて迷惑であり、有害この上ない。ホンマに誠文堂新光社の出版物なら、誠文堂新光社も詐欺紛いに加担したことになるのではあるまいか。

 もう一つ釋然としないのは、誰からも斯かる似非火星圖に異議を唱える通信を私はこれまで受けなかった事である。誰か氣附いてもよさそうなものではないか。それとも誰も知らなかったのであろうか。とすれば結構だが、案外初心者でなくとも、こんなものを信じて(或いは半信半疑で)觀測に励んでいる向きもいるのかなぁとも思う。
 案外、皆さんがた、シュルティス・マイヨルの形状にも自信がないのでしょうかねー。

 火星圖はどれも本來歴史的なものである。だから、それぞれ役割を終えるが、年号を明記して、そしてその時代を映して腑に落ちる。然し、現今のシュルティス・マイヨルをちゃんと冩していないような火星圖がナンの根據もなくいまホントらしく流布していれば論外である。模様の詳細を云々しているのではない。形が出來ているかどうかである。
 クアッラさんが、海老澤圖はあちこちでコピー機でコピーを重ね、今や讀めなくなったといみじくも言っていた。海外ではnuに化けたりする。文字通り往年の海老澤圖もその時代を終えた、それが事象の推移であるということ。 

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南 政 次「一點點一天天」:火星通信』219号〈10June1999〉より


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