CMO ずれずれ艸 (南天・文臺)  その十四


Invisible College



昨年(1997)私が読んだ本を三冊(ベスト3) 挙げるとすれば、妹尾河童『少年H( 講談社) 、鶴見俊輔『期待と回想(上・下、 晶文社)、水上勉『心筋梗塞のころ』(文春文庫)であろうか。実はもう一冊、M・ゲルマンの『クォークとジャガー』(みすず)も昨年の翻訳の中で興味ある一冊だと思って買ったのだが、濃厚な処と退屈な処が交差する大冊で、途中で投げ出したままである。

 

水上氏の本は昨年の本ではなく、天安門事件から始まるから、相当以前のものであり、たまたま昨年文庫本になったに過ぎない。水上勉氏のような有名人でも、病院で苦労されることがあり、薬漬けにされる(彼はそこから脱出するのだが)ことなどが面白い、というか、私のように血圧が高く、狭心症のケがあるものには奇妙に捨てがたい小品である。

 

『少年H』はベストセラーであったから、お読みになった方もあろうし、教条主義の教師には必読の書という気がする。不良少年の無邪気さから悩みの青春期に向かう様子が十五年戦争と重なって読み応えがある。

 

『期待と回想』は鶴見俊輔氏の座談的自伝だが、プラグマティズムとの出会いなど譯の解らぬ処に出交わしても面白い。鬱病というのもすごいものだと感心する。そのほか話題は数々あるが、下巻の「編集の役割」のなかに「見えない大学」( 以下Invisible Collegeとする) というキーワードがあるので、紹介しておこう(編集という概念があるのは、俊輔氏が五十年続いた『思想の科学』の編集者だったからであろう)。鶴見氏のInvisible College のモデルは、1870年代にアメリカのプラグマティズムの母体となった「形而上クラブ」という八人のグループや二十世紀に入ってからアメリカへ渡って来た「ウィーン学団」にあるようだが、桑原武夫氏のグループの「ルソー研究」も例として挙がっている。

実はもっと卑近に、スーパーで女の子がお母さんの買ったトリの唐揚げを見て「おいしそうだねぇ」とほっぺが落ちそうな顔をして言ったという例が挙がる。何故なら、女の子は母親とうまく行っているから、彼女はその人間関係を食べているからだという譯である。温かさの感覚があれば、そこは豊穣の場で、知的生産の基礎になると言うのである。桑原氏は、ルソー研究の原稿が集まった時「僕は大変豊かになったような気がするよ」と言った由。

温かさには厳しさもあり、俊輔氏の場合「私は母親から鞭で打ち据えられるようにして育ち、惨憺たる子供時代を送ったけども、Invisible College だった」と述懐するから、簡単ではない譯である。この後藤新平のお孫さんも、「H少年」と時代が同じなのか、同じように不良であり、同じように映画館へ潜りこみ、同じように万引きして、同じように換金する。お金の隠し方も同じであるというのは可笑しな符合である。H少年は空間的で俯瞰的であり、一方S少年は時間的だが空間では右往左往する処などは大いに違うものの、「不良」というInvisible College を通過する点では全く同じである。二人とも地位に拘らなかった、というのもそのお陰であろう。

サークル、グループなどもInvisible College だが、能率という点からいうとだいたい「浪費」なのだそうである。この二人とも学校教育に困難を感じるのはそのことにも依るだろう。教育は飛び級を奨励するが、万引きや不良は歓迎しない。

 

Invisible College のもうひとつの原型が書かれているので、そっくり引用する:「今西錦司と桑原武夫は京都一中のときからの山登りの付合いで、お互い信頼関係にあった。桑原さんは今西さんの勘を信頼し、今西さんは桑原さんの人間関係の設計能力を信頼していた。それが重要なんで、観念と観念を隙間なくブロックを積んで行くというやり方とはちょっと違った学風がそこから出てくる。観念と観念との間に隙間があって、両方に整合性がないとき、そこに矛盾があるじゃないかということが解ると、『今日はここで一先ず別れよう』ということになり、次に再会した時その隙間はちょっと埋まっているかもしれない。そういう期待感が、何十年も付き合っているとあるんです。サークルよりどころはそれですね。」

 

序でに引用すると「今西錦司は大学の専任としての給料をもらってないにもかかわらず、サークルの中心であり続けた。だが今は難しいでしょうね。ディドロみたいな人が出ないとね。京都の土地柄をなんとか生かしたいですがね。」

 

水上勉氏も『雁の寺』の主人公と重なれば、不良である。私はあれが雑誌に出た時、まだ学生で、モデルのお寺に近い寺町の下宿で読んだ。たしか『雁の寺』には「舛形通り」の花屋が出ていたように思うが、私は毎日舛形通りを通って「百万遍」へ出ていた。私がいた頃、花屋が菓子屋にかわった。昔だから今も営業していれば老舗然としているだろう。『心筋梗塞』に百万遍が現役で出て来るのには驚いた。水上氏は書庫兼部屋を鴨川べり(と書いているが、實は百万遍に近いところ)に持っているらしく、いまでも本当に出没する様である。

 

 


南 政  夜毎餘言57 (火星通信#206 (1998年八月25日號) p2321掲載)


 

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