2001 Mars CMO Note
- 06 -
from
CMO #260
黄 雲 発 生 中 の 北 極 雲
そのI. 序 論
前置き: 黄雲が發生するのは南半球の春分以降、通常は夏至前後と考えられていたから、北半球では秋分以降、冬至に近くなる譯で、北極には白雲(北極雲)が出ている。實は黄雲が發生するとこの北極雲が縮小することが知られている。これについてはLeonard J
MARTIN "North Polar Hood Observations during Martian Dust Storms" (Icarus
26 (1975) 341)が一番纏まっているであろう(以下別のMARTIN氏が出てくるので注意。L J MARTINは先年亡くなったが、ローヱル天文臺に永く在って、天文臺の紀録やInternational
Planetary Patrol (IPP)のアーカイヴを參照している)。然し、2001年の黄雲は北極雲に關して今までと違った振る舞いをしていることは七月の時點で明らかであった。この稿ではこの點を扱うが、先ず過去の例を見ておく。
過去の大黄雲と北極雲: 北極雲と黄雲との關係に就いて最もよく調べられているのは、1973年十月13日(300°Ls)發生の大黄雲の際の結果で、Day 10(發生10日目)にはまだ北極雲が見えるが、Day14には完全に消失しており、Day 18が底、Day 24にはやや北極雲が見え始め、Day 34には完全に回復している。◆L MARTINに依れば1956年の大黄雲(250°Ls發生)の際も約一ヶ月間267°Ls〜289°Lsの間、北極雲は畫像に存在しないそうである。但し、φが24°S邊りであるから、極地は見えていない。Lsで17°の違いといえば、日にちでは35日程である。
少し遡って、1939年(28 July最接近)はE C SLIPHERが南アフリカのブルームフォンテインへ最初の出張をした年で、見事な写真が撮られた事で知られるが、L MARTINによれば25 July邊りで二日ほど北極雲が消失したようである。季節は217°Lsである。黄雲によるものと思われるが、SLIPHERの記述になる23Julyの55°N邊りの光斑が黄塵ではないかと見ている。この年は最大視直徑24.1"の大接近であったが、珍しくφは赤道寄りで北極域觀測に向いていたものの、大黄雲は見られていない。
注目される1971年の大黄雲(1971b)は260°Ls (21
Sept 1971)發生であり、最接近(12Augで、233°Ls、δ=24.9")後に當たっていた爲に、視直徑が19.3"以下へ落ち、φが16°S以上へ上ってゆき、同時に位相が強くなっていったから、IPPの畫像ではよく追跡出來ず結果は思わしくないようである。ムードンの觀測では北極雲は17 Septでは濃厚だが、25 Sept (Day 3)では弱くなって見える(A DOLLFUS, S
EBISAWA & E BOWELL, Astro. Astrophys 131
(1984) 123)。 L MARTINの並べる畫像によれば、Day11ぐらいからぼやけ、Day 18では全く見えないという感じだが、像が好くない。
その點、1973年は衝と黄雲發生が重なった爲、資料も殘り畫像での追跡が容易なようである。先の論文では、Day 01からDay 09までマレ・アキダリウムの近くの北極雲の境界を日ごとにプロットしている。Day 02には少し凹んでいるが、Day 03には寧ろ飛び出している。Day 08頃から縮小が始まっているであろうか。Day 18でφ=19°S。L MARTINは二日目の凹みは黄雲の到達によると考えているようである。Day 04では經度によっては北極雲が見えない由。尚、MARTINは北極雲が見えなくなるのは單に黄雲によって隠されているのではなく、相互作用があると考えている。
附:1969年の北極雲: 北極雲の觀測は1954年、1969年、1986年などが適していたことは何度も指摘しているが、1969年の様子についてはL J MARTIN & W M McKINNEY "North
Polar Hood of Mars in 1969 (May 18 - July 25). I. Blue Light (Icarus 23
(1974) 380)が系統的に調べている。季節は158°Ls〜196°Lsを網羅している。從って、2001年の黄雲發生時前後は比較が可能である。1969年にはC F CAPENが28 May
(163°Ls)にヘッラスに黄塵を見ているし、24 June
(178°Ls)にはマレ・シレヌムを二分する雲(宮本氏は白雲としているが)が出ているなど、動きはあるが、大黄雲は報告されていない。從って黄雲との關係は出てこないのであるが、このシーズンの北極雲の動きの典型を調べているという意味で貴重である。北極雲の外縁は大體50°Nから35°N迄に在ると見て好いであろう。9 June
(171°Ls)邊りから、北極雲の縁が南へ張り出すという活動が見られるようである。
1977年黄雲の北極域への作用:◆ここでもう一人のMARTINさん、Terry Z MARTIN氏にご登場願う。Terryさんは健在で、今回の黄雲の發生後、TESに依る情報を直ちにcmo@にお寄せいただいたプロフェッショナルである。◆Note (2)で引用したヴァイキングのIRISでの結果を紡ぐ論文シリーズの二番目がT Z MARTIN
& H H KIEFFER, Thermal Infrared Properties of the Martian Atmosphere. 2.
The 15-µm Band
Measurements (JGR, 84 (1979) 2843)で、この中で北極上層での氣温現象を論じている(Note (1)で豫告した)。これに依れば1977年の274°Lsで第二の1977b黄雲が發生した直後(發生の過程は好く分かっていない)、北極域の25km上空邊りでの氣温は著しく上昇したようである。25kmというのは15µm帶での觀測に依る爲で、0.5ヘクトパスカル邊りの氣壓に相當している事から出る。264°Lsの値に比べると相當の上昇である。このとき北極冠が形成されていると思われているから、突然の上昇は黄雲による影響と見做すのは適當であろう。205°Lsで起こった1977a黄雲については55°S邊りで、222°Ls迄に上昇があったとされたが、この時期の觀測は疎であったようで、B M JAKOSKY
& T Z MARTIN Mars: North-Polar Atmosphere Warming during Dust Storms
(Icarus 72 (1987) 528)では第一黄雲の間は氣温上昇はなかったとされている。◆やや詳しく引用すると、274°Ls (6June)迄は極方向に140Kにまで落ち込んでいるが、黄雲發生に呼應して60°〜80°Nでは0.7K/hのスピードで上昇し、281°Lsでは極の夜側でも上昇を示し、285°Lsには60°Nで最高値に達した。極では50Kの上昇、夜の72°Nでも80K伸びていた。最高値は發生から19日で達成している。極での最高値は287°Lsでの195Kで、295°Lsから下り始め、309°Ls(3 Aug)迄に元に戻った。發生から59日である。但し、冷却は極から離れるともっと緩慢であった様である。CO2の氷點は130K邊りであるから、當然表面での北極冠の形成を遅くしている。尚、65°N以北はこのとき闇に包まれている。後者の論文ではT9及びT20での温度變化も圖示されている。T9は黄塵の影響を示すチャンネルだが、これによると外側65°〜70°N域の方が内部より暖まっている。T20は本來表面温度と關係するが、これは然程の變化を見せない。ただ、Terry Z
MARTIN, Icarus 45 (1981) 427 (Note(2)で引用)によるとT20の結果は南半球で密で、北極域では疎である。
一方、ヴァイキングは22.5°N地點と、48°N地點に着陸船(夫々VL-1、VL-2)を置いた。ここでの黄雲到達による氣温變化は興味のあるところである。温度測定は、例えばJ A RYAN
& R M HENRY Mars Atmospheric Phenomena during Major Dust Storms as
Measured at Surface (JGR 86 (1979) 2821)に出ている。これを見るとVL-1では第一黄雲の到達前は最高、平均、最低氣温(地上1.6m)共に餘り變化がないが、黄雲到達で最高氣温は寧ろ下がり、最低氣温は上昇、平均氣温は降下し始めるという傾向を示す。第二黄雲の到達でも似たようになるが、結果温度變化の幅が減少する。一方、より北のVL-2ではもともと氣温は下降傾向にあり、第一黄雲到達で更に下降が進み、第二黄雲で低め安定という感じである。VL-1では第二黄雲の到達は第一よりゆっくりしており、VL-2ではどちらの黄雲の到達も特定するのが困難なようだが、特に第二黄雲の到達時はこのデータからは算出されないようである。
序でに、一寸混亂しそうな話だが、205°LsにVL-2(48°N、230°W)に北極雲が北から到達している、とされる。これはデータとしては重要である。ただ、205°Lsというのは第一黄雲がタウマシアで起こった時である。VL-2のカメラで11:00LTと13:10LTの間にobscurationが確認されている。それを砂塵に依るとするか水蒸氣の雲とするかは議論の要るところである(J E TILLMAN,
R M HENRY & S L HESS, JGR 84 (1979) 2949)。ここでは議論しないが、第一黄雲の到達はもう少し遅れ(これには氣壓の變化を見る)る事などがあるようで、北極雲説も興味ある。尚、MARTIN-McKINNEYは196°Ls迄だが、48°Nへの北極雲の到達は既に何度も起こっていると思われる。
可能な解釋: 南半球での黄雲發生後、例えば1977b黄雲に見られるような北極域の急激な温度上昇の氣象學的解釋は易しくはないであろうが、非常に淡いエアボーン・ダストが早々と到達し、その媒體が熱を齎したと考えるのは適當であろう。黄雲の發生は必ずしも熱源の擴散を齎すものではないことは1977a黄雲の例で分かる。◆1973年黄雲は300°Ls發生、1977b黄雲は274°Ls發生(どちらもソリス・ラクス近邊)で季節はやや違うのであるが、1973年にDay 18で北極雲消失が完全になったことと、1977年に第二黄雲發生から19日までに北極域の上空の氣温が著しく上昇したことは符合すると思われる。つまり北極雲の後退は熱源の到達による温度上昇によると考えることが出來よう。この場合、北極雲が砂塵に隠されるのではなく、上空の温度上昇により、その輻射の影響も含めて北極雲が弱体化すると考えられる。◆一方、205°Lsでの1977a黄雲の場合は北極域に温度上昇がなかった事から、北極雲は健在であった可能性がある。これはVL-2でのデータの分析が必要であろう。1977aの上昇距離は然程でなく、また到達距離も短かった可能性がある(5,6日で48°Nに達したことは確かである。40km/hの速度)。1977aと1977bの違いのもう一つの點は、後者の方が強かったにも拘わらず早く沈静化したとされることである(James B
POLLACK et al, Properties and Effects of Dust Particles Suspended in the
Martian Atmosphere, JGR 84 (1979) 2929)。これは媒體そのものが大型で強かった爲に重力による沈澱化の他、北極雲などとの相互作用が強く働き、砂塵が吸収されていったと考えられる。尚、この人達は砂塵の沈静化は北極域で起こると考えているようで、もしそうなら2001年の場合北極域の活動は黄雲活動に比較してずっと遅れて來た譯だから黄雲の沈静化は通常より長かったことになる。
2001年の黄雲と北極雲.
I :そこで上の一般論を下敷きに2001年の黄雲による北極域の問題を考えてみる。1973年型と比較する爲に、2001年黄雲のDay20邊りを見てみると、12~14 July 2001ということになるが、この邊りは日本では聯日觀測されていて、實は(後に詳しく描冩するように)北極雲の活動は極めて強く、弱體化など一向見られなかった。但し、13 July (Day
20)で195°Lsであったから、季節は全く違う。但し、2001黄雲1977bと似ているのは速やかな北半球への波及で、時間的には遜色がないと思われる。つまり、2001年のエアボーン・ダストは直ぐに上空に達し、上層を北向きに早く傳播している。ただ、季節の違いをDsで述べるなら、1977年の274°Lsでは24.7°Sであったのに對し、2001年の24 June (184°Ls)には1.5°Sにしか過ぎない。20日後でも前者は23.7°Sあり、後者は6°Sである。從って、上空北へ流れる媒體の熱源としての力は2001年は弱かったと考えられる。その意味で1977a黄雲も北極雲への熱供給源としてはなり得なかったのであろう。1977年の205°LsでのDsは10.2°Sで未だ淺い。その他、2001年については、黄雲發生時期六月終わりから七月始めに掛けても北極雲は興味深い動きをしている。これについても詳しい記述が出來るであろう。
1956年の例を採ってみて、Day 35を見てみる。2001年では七月下旬になるが、2001年のこの頃も依然北極雲の活動は劣らず活發であった。勿論黄雲は治まる氣配もなく、1956年にはこの頃は沈静化し始めていたことと比較すると全く規模が違っている。2001年の場合相當する267°Lsは相當遅れ、7Nov、φ=17°S、視直徑δは8.4"に落ちているから、比較しないでおこう。
以上のことから、2001年黄雲は、速やかに上層に達し(これはグローバル黄雲の必修條件)、北行もしているが、熱源としては緩く、逆にグローバル化には熱供給を然程必要としていないこと。黄雲が北極雲の後退を齎らすというのは一般的には傳説で、多分、南半球夏至頃の黄雲にのみ當て嵌まるものであろう、という結論である。
2001年のように黄雲の發生・活動期においてφが北を向いていたという機會は餘り前例が無く、從って北極雲に纏わる珍しい現象も幾つか見られている。例えば、北極雲の縁は黄雲下の暗色模様の色彩とは違った濃蒼色を呈していたことや、活動の指標として縁からの飛び出しが見られたことが印象深い。熱源としての黄雲、季節を破壊する黄雲と、季節の呪縛に從う北極雲の鬩ぎ合いとしての現象が見られたと言える。II以下ではこうした現象を繙く。
(南 政 次)
◆
(註:大黄雲は一度沈静化してから50°Lsほどの間隔で二度目の黄雲が立つことが多く、1977a、1977bなどとするのが慣例である。1971aは10/11 July(213°Ls)を指すことがあるが、これは大黄雲ではない。尚、2001年の大黄雲は一個だけで、2001aとする必要はない。通常、二度起こる黄雲の内最初のものはカタストロフが充分でなくエネルギーを充分放散していないからであろう。)
Back to CMO #260 Home Page / Back
to Façade