道元・典座教訓_CMO ずれずれ艸その十九

CMO ずれずれ艸 (南天・文臺)　　その十九

道元・典座教訓

雪峰在洞山作典座。一日淘米次、洞山問、「淘砂去米、淘米去砂」。峰云、「砂米一時去」。洞山云、「大衆喫箇什麼」。峰覆卻盆。山云、「子他後別見人去在」。上古有道之高士、自手精至、修之如此。後來晩進、豈慢之歟。先來云、「典座以絆為道心矣」。（道元『典座教訓』）

◆典座(てんぞ)とは叢林の料理人のことで、禪宗では本來重要な六つの役の一つとされているようであるが、道元が宋から帰國の後、京都・建仁寺に留まっている頃、ここでは典座とは名目だけで、料理は人任せ、典座が鍋の傍に行くこともなく、料理が仏事である事を知らない様を見て、道元は嘆く。

道元が典座の凄さを知ったのは、二十三歳で宋に渡り（1223年）、まだ上陸せず慶元府の湊に停泊中に、阿育王山の老典座に遇ったのが多分切っ掛けであったようである。この條りは、森本哲郎氏が道元の思想を實存主義に比べた本の中で觸れているし、水上勉氏が福井のＴＶ局の開局×周年で道元の留學先を求めて中國を訪れた折り、同じ逸話に触れていた。また永平寺嫌いの司馬遼太郎氏さへ『街道をゆく』の諸編で、二度三度とこの話題は紹介しているので、よく知られた話だろうと思うが、掻い摘むと次の様である。

船に出向いて來た典座は六十歳ぐらいで、椎茸を買いに来たらしい。道元は老僧を招いて茶を振舞い、會話する。老僧は諸方の叢林を歴た後、育王に到るが、去年計らずも典座の大役を仰せつかり、明日は端午の節句なので何か作りたい、然し、好喫がない。麺汁を作ろうとしても、椹(椎茸)が切れている。そこで、日本船が來ていると聞き、十萬の雲納を供養せんと、椹を求めてやって来た、と言う。約二十㌔の道を徒歩でやってきたらしい。而も、椎茸を買ったら直ぐ帰るという。道元が今晩典座禪師を供養したいと申し出るが、不可なり、と断る。明日の料理があるというのである。道元は育王の様な大寺には料理人は少なくないであろうから、困らないだろうと言うと、老典座は、これは耄及の辧道で、餘人に譲ることは出來ないと應える。若き道元は、修業なら、なぜ坐禪辧道し、古人の公案を研究することなく、煩わしい典座に就き、只管作務に励むのか、そんなことして何の好事ありや、と問うのであるが、老典座は呵呵大笑して、外國の好人さんよ、あなたはまだ辧道の何たるかをお解りでない、まだ文字の何たるかをご存知でない、と應える。道元は忽然として發慚驚心して、文字とは何か辧道とは何か、と食い下がるのだが、老典座は道元には譯の解らぬ事を言って、日が暮れた、忙ぎ去らん、と歸ってしまうのである。

ニヵ月後、天童山で道元が修業しているとき、彼の典座が聞き及んで道元に會いに來てくれた。道元は喜踊感激して、接待するのだが、當然、文字、辧道に話が及ぶ。ここで老典座は

「徧界不曾藏」

という有名な意味深い言葉を吐くのだが、ここでは触れないでおく。ただ、道元は自分が「敢えて文字を知り、辧道を了するは、すなわち彼の典座之大恩也」と結んでいる。

道元が天童山にあったとき、椎茸がらみで次の様な話もある。天童山に用という典座がいたが、ある日昼食が終わって、東廊を通って超然斎へ行く途中、用典座が強い陽差しの中で、笠も附けず、汗を流しながら、椎茸を乾しているのに出會う。やや苦辛に見え、背骨は弓の如く、尨眉は鶴の様に白い。そこで、道元は近附いて歳を問う。「六十八歳」。どうして行者人工を使わないのか、と道元は訊くのだが、答えは「他は吾れに非ず」。どうしてこの天日の強いときに、と問うと、この時をおいて他にあるか、と言われ、道元は黙って了うのである。道元は廊下を歩きながら、典座職の如何に機要たるかを潜かに悟るのである。ＴＶの中での水上勉氏は、天童山のこの椎茸干しの現場を特定すべくウロウロしていた。

以上はすべて道元の『典座教訓』に據っている。『永平大清規(しんぎ)』の中の一つで、道元が三十七歳のとき京都・深草の興聖寺で撰述されたものである。歸國後十年を歴ているが、本務と作務(雜務)を區別しない宋の禪林での体験を感激的に折り混ぜている。

冒頭の文章も『典座教訓』からのもので、實はこれについては、私が二度目の臺灣行きのとき、臺北で書くつもりで、資料も持參していたのだが、果たせず、延び延びになったものである。當時の私の頭のなかでは、例えばシーイングが悪いといっては觀測を休む、というようなこと、觀測の時の選び方に關して、冒頭の話は示唆的であると思っていたし、典座の様な雜務と思われがちな職務に機微があるということが、夜毎夜毎の觀測とも關係があろうと思って、書くつもりであったのだが、今になってみると、それだけでもないし、今年年明けて丁度道元が「黄泉に堕ち」た歳に私も達したので、再び、書こうかと思った譯である。

　冒頭の話は大略次の様である：雪峰が洞山禪師の許で典座に就いていたが、あるとき米を選り分けていると、洞山がやってきて、「砂を選り分けて米を取り除くのか、それとも、米を選り分けて砂を捨てるのか」と問う譯である。非常に、鋭い問いで、雪峰もさるもの、「砂も米も同時に捨てます」と應えてしまう。洞山は「それでは大衆は何を喫するか」と言うが、雪峰は即座に盆を引っ繰り返して了ったというのである。

雪峰は勿論この山を出されて、徳山和尚に新たに相見することになる。道元は昔の修業とはこんな風だったと典座道心について説く譯だが、若き雪峰の氣鋭が傳わる。雪峰和尚は "ざる" と "しゃもじ" をいつも携えて禪林を典座として修業して廻った（九度洞山に上った）僧で、後の師徳山の殁後、大悟し、徳山に嗣法した。典座として修業した人柄の所爲で、千五百人の門下を集め、大善知識とうたわれたそうである。尚、洞山良价禪師は曹洞宗の祖である。

これも、讀む人それぞれであるが、「ハイ、砂を捨てて米を取り出します」という優等生の答えでは面白くもなく話にもならぬことは明らかであろう。優等生の答えとやり方が際立った結果を生み出すことは殆ど無い。切羽詰まって、雪峰は盆を引っ繰り返すが、これも話にならぬ。然し、優等生の答えに留まらぬところに、次の淘米の高い意識がある。結局は「砂を捨て、米を取る」のであるが、弁証法的に覆盆という止揚を経て、典座の職に高い意味が附くのであろう。結局われわれも觀測可能なシーイングを取り出す事に落ち着くのであるが、然し、良シーイングを選び出すことは砂と米とを選り分けるより遥かに難しい事である。だから、覆盆より更に激しい淘汰が附き纏って然るべき、ということになる。待てばよいのか、工夫するのか、或いは望遠鏡を畳んでしまうのか。畳むという動作と休むという動作は違う。

具體的に道元は續けて、もし、米砂を誤って淘り去ることあらば、自ら検點せよ、と言っている。「自ら照顧すべし」。淘米の白水も虚しく捨ててはいけない、といった具合である。諸色の閑人(ひまじん)に見せたり触らせたりするな、とも言っている。盤桶や什物調度品は眞心こめて綺麗に洗い清め、これらを、高處に安(お)くべきは高處に安き、低處に安くべきは低處に安け、と具体的な様だが、高處高平、低處低平という難解な言葉が續いている。私には論議出來ないが、高低の區別より、高低の差を越えて平に安んずる方が大切だ、と取っておく。

作務とはかくの如く道元において甚だ具體的なのだが、これは修業と証悟とは別ものではない、修証これ一等なり、という考えに基づいている。本務と雜務(作務)を區別しない。作務とはただルーチンに從ってのんべんだらりとやっていることではない。その時々において、極めて機微に富んだ展開が行われる何かなのである。用典座が「天日且恁熱」なのに、この時をおいて他に無い、と言うのは一期一會の修業とも言える。だから寧ろ本務と逆立ちしていると言っていい。

よく理論と實験とか、理論と觀測とかに分けるが、理論にも雜務は附きものである。雜務に相當するものを如何によく熟すか、それが理論であろう。數式の運算なども、泥臭いもので、出來上がりの恰好の良さに騙されてはいけない。觀測となるとこれは作務そのものである。一寸見の觀望など作務には入らない。本務と無縁な雜務など雜務でさへない。情報處理などという如何にも本務と關係ありそうな雜務も、便利の良さ、恰好の良さを追及している限り、作務となるとは思えない。TVや写真に火星を収めておけば、再現可能などと思うのは、一期一會の作務（従って本務）とは無縁である。「米を淘り、菜を整うには、典座自身が親しく手を下し、精勤誠心して（眞心を尽くして）作務せよ。一事を見過ごしたり、氣を抜いたりしてはいけない。」

私など福井の人間には永平寺は、小さいころから遠足や何やで馴染みである。寺は今も近代化しているが、昔から古くさいエレベーターなどがあってモダーンなところであった。作務も時代と共に変わるのである。然し、ルースとイアンを連れて中島孝氏の案内で永平寺に行った時、たまたま斎座（昼食）時に当たり、通行止めを食らったが、斎時の時の伽藍に漂う緊張感は見事で、古式ながら瑞々しさがあった。幾らか豪快なあの動きは、只管打坐の雰囲氣より、清潔な鋭氣があり、火星が昇ったときの觀測もああいう具合に行かぬものかと、密かに思ったのであった。　　

　南　政 次 Masatsugu MINAMI　　　　

『火星通信』#113 (1992年一月25日號) 「夜毎餘言」XXV p991掲載)

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