CMO ずれずれ艸 (南天・文臺) その十六
ワード・ウォッチング 2
太陽湖Solis Lacusは黒海か?
◆ソリス・ラクスSolis
Lacus (ソルSolが主格、ソリスSolisが属格、以下ラクスLacus=湖はLと略す)はスキアパレッリの優れたネーミングの一つで、大接近時、朝縁から現われるときの印象は格別である。Solis
Lに先立って、アウロラエ・シヌスAuroræ
Sinus (Auroraが主格、Auroræ が属格)が現われる。アウロラはラテン語の曙で、曙光が先に現われるというわけである。これらはルナエ・ラクスLunæ L
(Luna月が主格、Lunæが属格)と組になって、ギリシャ神話の太陽神ヘリオス、曙の女神エオス、月の女神セレネの三兄姉妹に対応するが、一応神話と関係ない。◆これに神話が加わると、先ず、エオスの恋人ティトノス(ラテン語ではティトヌス、ティトニウス)のTithonius
L が在る。エオスは古くはティートーと呼ばれ、陽を意味したらしい。ティトノスはティートーの男性形で、矢張り陽と関係あろうか。彼らの息子の中で一番有名なのが青銅の鎧を着けたメムノンであり、Memnoniaはこれにアラビアやイタリアなどのia (他にGallus、Galli
の居住地がGalliaガッリアといった類)を付けたものである。エオスはゼウスにティトノスの永遠の命を願い出て、聞き届けられるが、これとの関連で不死鳥の湖
Phœnicis L (Phœnixが主格、 Phœnicisポエニキスが属格)がある。ポイニクスは、月の様な白い顔のエウロペの父とも兄弟とも云われるが、ポイニクスはもともと太陽の赤い色を意味していたらしい。◆太陽があるからには、その近くにイカロス(ラテン語ではイカルス)を置き、Icariaとし、その父親ダイダロス(ラテン語ではダエダルス)からDædaliaを置くのは自然である(Ikariという島は実際ギリシャにある。ナクソス島やイオス島Ios
Insulaの北)。Phæthontis もパエトンから来ている。パエトンは神話の内容の錯綜する例だが、エオス(とケパロン)の子、またの説ではヘリオスの息子と言われる(ヘリオスとアポロンは区別されていたが、後では混同され、ローマ神話を集大成?したオウィディウスの本ではアポロンになっている)。前者では明星のヘスペロスやポスポロス、ヘオスポロスと同一視される。後者でも、パエトンは父の二輪車駕で 高く昇りすぎ、墜落してしまうというわけで、明けの明星もどきである。パエトンの落ちたところが、エリダノス河で、これがEridania、悲しんだ姉妹のヘリアデス(複数)の涙が琥珀に変わるが、琥珀のElectrumからElectris
が出る。尚、Eosphoros
(エオスポロス)がSolis
L からPhœnicis
L に奔るが、これもヘオスポロスの対で暁の明星、ホメロスやヘシオドスによる。
◆スキアパレッリはこうした神話の上に更に地理上の名称を重ねる。太陽の出る方向は東方である。從って、地球上のヘラス(ギリシャ)から見て、東方に在る地理を活用する。Mare
Erythræum (マレ・エリュトゥラエウム、エリュトゥーラの海)は朝陽に輝く紅海だが、今のアラビア海だけでなくインド洋まで含む。プトレマイオスの時代の世界像(以下ユルゲン・ブルンクに拠る)では、アルギュレArgyreは銀の出る現在のミャンマー邊りで、ガンゲスGangesに近い地方を指し、クリュセChryseは黄金の今のタイ王国邊りであった。Chrysorrhoas (クリュソッロアス)もミャンマーを流れる黄金の川。Aurea Cherso
(アガトダエモンの南)も黄金の半島で現在のマレー半島。AgathodæmonはAgathodæmonis
Insula いまのスマトラ島で、マラッカ海峡がBosphoros
Gammatusに当たる。これは真珠海峡である。序でに
Sinus Margaritiferの“真珠(マルガリータ)”海辺も印度南端のコモリン岬に在る。尚
Iuventæ Fonsも実際にその近くの若返りの泉
Iuventutis Fonsをモデルにしている様である(Iuはユーと発音する。veはウェ)。スキアパレッリはこれを女性形にし、不死身のTithonius
の近くに置いた。当時、太陽の昇る東方の異境から金銀が来たのか、東方に憧れがあったのか、エリュトゥーラの海を股に掛ける船乗りによって異教的信仰まで齎らされていたことが残っているのであろう。
◆Bosphoros
(ボスポロス)
が現在のボスポラス海峡に落ち着いたのは後のことだと考えられるが、アポロドーロスではイオに関連してトラキアの近くに記述されているので、この時あたりが起源であろう。アポロドーロスは紀元後1〜2世紀だから、神話の方は文字通り彼にとっても神話の時代の話なのである(ホメロスでも紀元前8世紀頃で、オデュッセイアー等の話はそれより数千年前の話である)。スキアパレッリ以後は、誰もアポロドーロス風に解釈しているらしく、例えば
Chrysokeras (黄金の角)は1909年のアントニアディの命名だが、これはビュザンティオン半島または入江の古名で、Bosoporium Promontorium と共に黒海沿岸に関する名称である(同じ黄金の角という意味のCornu d'Oro はスキアパレッリの命名で、中島孝氏の調べではイタリア語を使っている。これは別の処に名付けたが、アントニアディはAureum
Cornuと改名した(015°W、02°S)。同じ意味、同じ場所の古名である)。Heræum
Promontoriumもアントニアディの1909年の命名だが、黒海ボスポラスの岬であるし、同じ頃命名のDepr
Ponticaには明白にポントス(海、黒海)が出ている(以下Depressio凹地はD、PromontoriumはPrと略す)。
◆これは然しスキアパレッリにも責任があるように思う。例えばThaumasia
Fœlixはタウマスの幸せな土地だが、タウマスはポントスとガイヤの大きな息子の一人で「海の不思議」と言われる。Phasis(パーシス)もThaumasia
と同じく1877年に命名されたものだが、これは有名な河で、アポロドーロスにもオウィディウスにも出てくるが、実際グルジヤのコルキスの河の古名で 「黒海」(Pontus
Euxinus)に注いでいる。Bathys(バトュス)もスキアパレッリの命名だが、これもPhasisの北の深い河である。実は、Phasisはオケアノス(大洋)とテテュスの足首美しい三千の娘たちの一人(オケアニス)である。先のエリダノスもオケアニスである。尚、脚迅いIris(虹)はタウマスの娘だが、トルコのポントス地方を流れ黒海に注ぐ川の古名でもあるらしい。◆Nectarもオケアノスの海辺から出る神酒だし、Ambrosiaもヘリオスが夜オケアノスの傍の池で保養するとき(オウィディウスでは恋人の部屋を訪ねるとき)、彼の馬が食べるものとされていて、オケアノスと関係がある。◆だからThaumasia
やPhasisなどのイメージは後続者に、東方や太陽のイメージから離れて、この邊りに河や海のイメージを持たせたと言える。Acampsisはローヱルの1894年の命名だが、トルコのポントス地方から黒海に流れ込む実際の河の古名であるし、Glaucus
もそうである(グラウコスはミノスとパシパエの息子で、海緑色の男の意。後に海神になった)。Hyscusもトルコから黒海に流れる。またローヱルの圖の
Corax (渡り烏)もPhasisより北のコルキスの河である。こうした命名は、まるで、Solis
L が黒海であるかの如くである。◆特に、アントニアディによるNereidum Fretum、Mare
Oceanidum などの命名(両方とも1929年)は東方や太陽のイメージからは遠く、海や河の方のイメージである。Nereidumは主格Nereidesネレイデスの属格で、NereidesはNereisネレイスの複数である。NereisはNereusネレウスとDorisドリスの娘のことである。五十人または五十一人のネレイスの総称がネレイデスで、これはプレイアス達がプレイアデスであることや、エウメニスの複数がエウメニデスEumenides
となるのと同じい。從って、Nereidum
Fr (ネレイドゥム・フレートゥム)は“ネレイス達の海峡”。(同様に、SirenumはSirenes
の属格であり、Sirenes
は
Sirenシレーンの複数であるから、マレ・シレヌムMare
Sirenumは“セイレン達の海”か“シレーネスの海”であって、シレーンの海ではない。)
◆ところで、ネレウスはタウマスの長兄で、ポントスの子であるが、真実を語る「海の老人」として知られている。髪豊かなドリスはオケアノスの娘で、從ってオケアニスと見做してよいであろう(ヘシオドスは区別しているみたい)。オケアニスの複数がオケアニデスOceanides でその属格がOceanidum
である。だから、Mare
Oceanidumは“オケアニス達の海”または“オケアニデス海”ということになる。
◆然し、先鞭はスキアパレッリにもあるのであって、1879年命名のProtei
RegioのProteiは
Proteusの属格であって、プロテウスも変幻自在の「海の老人」の原型であったのである(『オデュッセイアー』第四書)。ただ両親は知られていない様である。◆尚、Xanthe
(クサンテ)は1909年のアントニアディだが、これもオケアニスで、金髪の女神である(ヘシオドスではドリス同様オケアノスの乙女クウレとなっている)。 ◆序でに述べると(アントニアディが分裂症気味だということになるが)、正直な海の老人ネレウスは別の処に現われる。
Nerei D (1929年)がそれである。Nerei は第二変化のNereusの属格で、從って
Nerei Dは“ネレウスの凹地”である。Mare
Amphitrites (1929年) のアムピトリテは海の女神でポセイドンの妻であるが、もともとはネレイスである(アポロドーロスではオケアニスになっているが、間違いとされている)。ポセイドンはアムピトリテのお陰で海の支配者になったと言われる。ここに海に関係する名称を置いたのは、もう一つのポントス、Hellespontusヘッレスポントゥス(ヘレの海)があるからであろう。ヘレの兄のプリクソス(ラテン名:プリクスス)は
Phrixi R (1909年、アントニアディ)として
Thaumasiaの近くにあるから、ここでも分裂しているが、プリクソスは(ヘレはダルダネレスで溺れたのに対し)黒海近くのコルキスへ逃れているから辻褄は合っているかもしれない。◆兄妹がバラバラでなく、並ばせているアントニアディの例としては、Dori
D と
Xuthi Dがあり、Deucalionis
Rの南に並んでいる。Doriは Dorusの属格、
XuthiはXuthusの属格で、ドーロスとクスートスはデウカリオンの孫である。ドロスとオケアニスのドリスはまったく関係が無いので注意。
◆アントニアディの偏執狂的で譯がわからないのは、この邊りに星座、それも
Cで始まる星座を集中させることである。Canis
Fonsは大犬座、近くに
Sirii Fons(狼星の泉)がある。Capri
Cornu はCapricornus
(山羊座)そのもの。Centauri
Lは言わずもがな。Ceti
Lは鯨座。Columbæ
Fは鳩座。Coronæ
Fは冠座。Corvi
Lは烏座。Coracis
Portは渡り烏座。Crateris
Dはコップ座。他に
Arcti F は大小熊座(Arctus熊はアポロドーロスに出ている)。Argus
Dはアルゴ座。近くにCanopi
Fons (カノープスの泉)がある。Delphini Portusは海豚座。 Doradus Dは金魚座。Felis Promは猫座。Pavonis
Lは孔雀座、これは一応不死鳥Phœnix
L に呼応する。Piscis
Dは南の魚座。
Sextantis D は六分儀座。Tauri
F は牡牛座、等など。星座は他のところにもかなりあるが、ここはヘベリウスやボーデの星座まで持ち出して、早暁の星座ということか。◆アントニアディの命名が平板で、神話的でも地理的でもないものが幾つかあり、この邊りで拾うと、Claritasが輝き、Candorが煌めき、Lux
が光、從って、Lucis
Portusは光の港
(Luxが主格、Lucisが属格)、Noxが夜、従ってNoctis
Lが夜の湖(Nox
が主格、Noctisが属格)、Fulgoris
Dは電光の凹地(ラテン語はFulgurが主格、Fulgurisが属格、アントニアディはギリシャ語読みをしている)等があり、太陽の光と関係付けているが、言葉を選んだだけというところである。
Noxはゼウスも恐れたニュクスかも知れぬが、矢鱈女神などと神格化する程でもあるまい。Helii
D はヘリオスの凹地だろうが今更如何にも藝がない。スキアパレッリのクリュセを金髪の女神あたりとアントニアディはとちって、クサンテはじめこうした言葉並べをしたのではあるまいかと思う。スキアパレッリにはホメロス風のロマンがあるが、アントニアディは無味なアポロドーロス風なのである。Ophirはスキアパレッリ1877年の命名なので、矢張り黄金の産地だが、ソロモン王の東方への海外派兵物語と関連する。
◆アントニアディは総花的でピリッとしないが、ローヱルも流石探検家らしい博識が先走って細かい。Silva
(森、林)は彼の発明らしいが、ガッリナリア・シルヴァGallinaria Silva は長ったらしく、実際にこの松林はイタリアのカンパーナ地方の今のナポリの北にあったらしいが、なぜこんなところに出てくるのか解らない。Arsia
Silvaもローマの北西の森で、由緒があるらしいが、何故イタリアか。ローヱルの火星圖で中心になるのはLatina
Silva (アルプスの南の森で、紀元前216年にゴール人がローマ人に打ち勝ったところ)であるが、これはアントニアディが
Pavonis L (パウォニス・ラクス)と改名してしまったので、整合性が更に怪しくなった。Ascræus
L はスキアパレッリの命名であるが、ここへ来るとオリュンプスとの関係が出てくるので、別の網掛けに属する。こうして
Tharsis三山の名は 別々の起源を有つ(Tharsisはイベリア半島に起源を持つので、更にどれかがどれかを無視している形になっている)。◆こうして玉石混淆の網掛けが輻輳して、後味が悪いが、特に後味が悪いのは、バブルとも云うべき泡沫模様に麗々しい名が附くことである。何処かでも書いたが、アントニアディの
558個にも及ぶ模様は、それまでの先人たちの観測を整理するという名目で総カタログを拵えただけであって、実在を確かめた上のことではない。実際、彼の記述では、誰々のデッサンに顕れているとか、誰々が見ているとか、スケッチしているとか、観測しているとか、と表現したとか、示したとかいった温和な書き方で紹介しているだけであって、見付けたとか、発見したなど仰々しくは規定していない。これは当然であって、バブルでしかない可能性があっても、度外視する譯には行かぬ立場に立つ譯だから、網羅しただけのことで、でなければ病気である。1937年にはいくらか彼も模様の数を減らした。これも当然であろう。
◆今では(或いは昔から)、アントニアディの火星圖の模様、及びそのラテン語の名称の大多数が、歴史の残滓として以外殆ど意味の無いものであることは明らかである。名称の使い方に混乱があるのではなく、名称の付け方や観測の方法に混乱があったのである。尤も、火星の模様の多くは大まかには恒久的であり、スキアパレッリの大抵の模様とその名称は固有のものであろう。案外ローヱルの名も可成り生きている。勿論アントニアディ命名のもので、固有のものと見做され得るものも幾つかある(例えば、Novus
Monsとか、Caralis
Fonsとか−−後者は、小アジアの
Caralis Lacusに依っている)。だから、課題は使い方ではなく、適切な見分け方であろう。細かなリストなどは時代錯誤で、出来るだけバブルやトランジエントを度外視して、適当な数に落ち着かせる様な仕事の方が残るであろうし、その方がはるかに必要であろう(transientなものには
transientな名を付ければよい)。
南 政 次
『夜毎餘言』27 (『火星通信』#116 (1992年四月25日號) p1029掲載)