Ten Years AGO (67)  -  CMO #103 (25 March 1991) -


星は、1991年三月はじめに「おうし座」で「東矩」を迎えて、以後は南中過ぎの観測になった。とはいえ、赤緯最北の位置にあり、沈むのは深夜の ことで、宵空に遅くまで観測可能だった。視直径は三月上旬には7秒角を切って観測末期である。季節は15 MarLs=032゚に達した。北極域の様子に興味がある時節だが、まだ中央緯度は南を示していた。
 
 "OAA MARS SECTION"には1991年二月後半と三月前半の観測報告が纏められている。寄せられた観測は、岩崎徹氏、南氏、中島孝氏、 Gérard TEICHERT(France)氏の国内外合わせ四名となった。
 この期間、表面の様子は捉えにくくなっているが、異常がない火星面だった。期間中に観測者全員が北端に北極冠の明るさを認めている。南極域も明るい。

 その他に、期間外の観測してDon PARKER氏からカラースライド40(Aug 1990 Jan 1991)Thomas CAVE氏とそのお嬢さんヴァネッサさんのスケッチ26(Oct 1990 Jan 1991)の報告があった。#103ではPARKER氏のスライドの中から十月と十一月の黄雲の写っているものだけをとりあげ概観している。

 LtEには、Don PARKER(USA), 岩崎徹、鳴海泰典(Seattle, USA)Kermit RHEA(USA)の各氏からの来信が掲載された。Kermit RHEA氏のお便りは、21 Feb, 5,19 Mar の観測レポートである。

 その他、"WHO'S WHERE (1)"S&T誌のコラム記事"To See Planets Better, Draw an Egg"の紹介がある。

村上 昌己 (Mk)


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