TEN Years Ago (4) - CMO #006 (10 Apr 1986) and #007 (25 Apr 1986) -
星は1986年四月には「いて座」にあって七月の衝、最接近をめざし巡行中だった。視直径は上旬には10秒角を越えていよいよ観測シーズンになってきた。 Lsは147°から162°に変化して北半球の盛夏であり、北極冠消失期であるが、中央緯度はこの期間に南へと移っていって、北極域は見えなかった。二月初めに近日点を通過したハレー彗星は四月11日に火星の南西方の低空「おおかみ座」で地球に再接近(0.42AU)と
なったが、明るさは4等級になっただけで、期待に反して春霞の中の日本からはほとんど見えなかった。筆者も12日の夜から伊豆の真鶴岬に出掛けたが、ぼんやりした頭部を捉えただけだった。その夜、現地はものすごい人出だったことを覚えている。
第6号には前回1984年の接近の衝(11 May)の時に、松本直也氏
の写した火星写真(10 May 1984, Ls=145°)のアルバあたりの白斑の解析が掲載された。南氏の解説の最後には「・・像の周辺部の議論は大変難しいことで、イメージが像の周辺部を含めて余程しっかりしていないと、経緯度のグリッドにうまく乗ってこない可能性があり、10°や20°の狂いは直ぐ生じます。その点で「位置」は中央部に寄って論じられるべきというのは鉄則です。ただ極冠を含めて周辺部でしか見られない現象があり、これは本格的な困難をもっているわけで、「精度」という点でいつも気に留めておく必要のあることです」とある。
「火星観測の五十年」佐伯恒夫氏、「文献紹介」浅田正氏と連載記事は継続している。第6号からは「ヴァイキングの捉えた南極冠の様相」南政次氏が第8号までの三回分載で始まっている。この接近時の注目点の南極冠の縮小のときにみられる現象を1977年のViking Orbiter 2の南極冠の観測(Ls=176〜350゜)を基に取り上げている。とくに第7号の(2)ではミッチェル山の見え方についてやや詳しく解説されている。表紙の図はミッチェル山は未だ南極冠内にあるとき(183°Ls)から検出可能ということを暗示したものである(二頁目の最後の図は268°Lsでの南極冠の略図)。
四月中ばまでの観測レポートは第7号に掲載された。報告者は未だ少ない。観測内容は視直径10秒角ほどでまだまだだが、南極冠がいよいよ捉え始められている。台北では四月というのに既に暑い日もあって、蚊取り線香を用意したとの記事がある。
村上 昌己 (Mk)
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