10 Years Ago (2) - CMO #002 (10 Feb 1986) and #003 (25 Feb 1986) -
1986年二月から『火星通信』は、隔週毎に発行された。火星は二月中旬で視直径6秒角強、Ls=125°付近で、夜明け前の「さそり座」のアンタレスの北を順行中だった。西矩直前で日の出時にもまだ南中していない。創刊号には福井市自然史博物館天文台や阪部幹也氏からの観測報告があったが、その後は誰からも観測報告はなかったようで、まだ観測レポートは掲載されていない。
第2号には、この年の接近と状況の似ていた1954年の接近時の記事と村山定男・佐伯恒夫両氏氏のスケッチが紹介されて、今接近の注目点が示されている。 第3号には、『火星通信』の採る南極冠のサイズの測定方法について述べられており、スケッチから数値化・グラフ化出来る観測対象として、南極冠の縮小を追跡して行く観測方針が一つ示された。これは現在の北極冠のサイズの測定にも使われている。 また、火星面
経緯度図も掲載された。標準的な火星図を経緯線の入った図に写して、自己のスケッチのチェックに利用されたいとのコメントがある。前回1994年の接近時にヒナ型として、南政次氏の作られた経緯度図のコ
ピーを送って戴いたが、大変参考になった。火星面の周辺部での暗色模様の歪み方は正確な描写は難しい。ヒナ型通りに先入観でスケッチしてもいけないのだが、諸氏も試されては如何であろうか。
「LtE 」は、現在と同じに編集者への来信をそのまま掲載する様式である。最初の事でもあり、ベテラン観測者からの創刊号への返信が多く、『火星通信』に対する期待と関心の深さが感じられる。また、連載記事として、浅田正氏の「文献紹介」、佐伯恆夫氏の「火星観測の五十年」が始まっている。第3号では明らかにされていないが、第3号の編集の後には南政次氏は仕事の都合で台湾へと渡り(二月25日)、台北に滞在となる。従って、第4号以降はしばらく浅田正氏が編集・出版を受け持たれる。
村上 昌己 (Mk)
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