アンタレス研究所・訪問

 

§16夜光貝の不思議 (moon)を「夜光」と詠むこともあるようである。「夜光貝」というのがある。この学名はLunnatia marmorataだそうで、月の光を連想させたものか。●夜光貝は日本近海なら奄美諸島以南の熱帯西太平洋に生息するサザエの仲間の巻貝で、黒褐色または黒緑色の地に濃褐色と黄白色の斑紋がある。外は地味で決して光らない。なのに何故「夜光貝」なのだろうか。 

●実は夜光貝は螺鈿(らでん)という工芸と不可分である。一般に螺鈿は貝(螺は左巻き貝のこと)の殻の裏面を切り、漆器や楽器などの面に嵌め込むもので、奈良時代に唐から入った技法だといわれる。正倉院の数ある宝物の中には、螺鈿を使った見事な細工物が数多く存在する。そこに描かれた文様は宝相華文・連珠文など唐や遙か中東まで遡る西域の所謂シルクロード文化を示す。この螺鈿細工に用いられる貝を「青貝」といい、蝶貝や鸚鵡貝などが用いられたが、その中でも特に大きな細工に用いられた「青貝」の代表格が夜光貝だったのである。内面はアコヤ貝などと同じように真珠光沢があり、殻高・殻径とも20cmに達する大きなものがある。細工に用いるのは勿論この虹色に光る内側で、これこそ夜光なのであろう。●正倉院宝物の中の「平螺鈿背八角鏡」は唐代宝飾鏡のひとつとされる。長安から渡ってきたものである。ここに用いられている琥珀は雲南のものといわれ、地に鏤められているトルコ石の破片はペルシャ産、そして主となる花鳥文を構成している見事な青貝は南海産の夜光貝であるという。●唐都長安にはシルクロードや南海路を経て世界の珍材が技法と共に流れてきた。ここに存在した職人たちは、この東西の珍材を用いて類稀なる美術工芸品を作り上げたのである。螺鈿という工芸も、夜光貝とともに中東・印度から長安に流れ着いたものに違いない。

●ところが面白いことがある。唐も含めて(海の?)シルクロードにおいて夜光貝と呼称されていたかどうか分からないが、ともかく日本では「夜光貝」は「屋久貝」→「夜久貝」が転じたものであるという。屋久は屋久島である。とすれば、海上交通の要地であった屋久島が「夜光貝」と産地と言わずとも、経由地として単に伊万里ほどの迫力も持たない貿易語であったものが、螺鈿を愛でるもの達がのちに「夜久貝」→「夜光貝」と雅語に転訛していったものかと思う。●螺鈿が中東からシルクロードを経て東洋の端に辿り着き、そこで月光と結びついて輝いた物語は、絹が中国からシルクロードを経て欧州に齎らされ、更にはむしろ逆輸入される形で「絲綢之路」という雅語を生んだのに似て、悠久の時が刻んだ心ときめくロマンを感じさせる。

()シルクロードという言葉はさほど古いものではなく、1877(火星大接近の年)にドイツのリヒトホーヘンによって提唱されたSeiden Strassenに基づくとされる。それが英訳されてSilk Roadとなったようで、中国にはもともとシルクロードという名まえがあったと思われないが如何であろう。NHKの「シルクロード」は中国・台湾でも評判を呼んだようだが、喜多郎のテーマ音楽は「絲綢之路」となっている。(Ts)

      ・・・・・・『火星通信#257 (25 February 2002) p3267                        

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