アンタレス研究所訪問 

   

§4: 脳内ウォークマン世のなか携帯電話が氾濫中、騒がしい雑踏の中でよくウォークしながら携帯で会話が出来るものだ、と皮肉れば、静かなところでは指だけで会話しているらしい。いまや機能は多岐にわたって、いまに携帯が、空中から音楽をdownloadして、テープもCDも必要としない"ウォークマン"に化ける日も近かろうと思う。何れハイテクの携帯は、会話だけでなく自分だけの世界に浸る道具となる。とすれば、何処からともなく漏れてくるシャカシャカ耳に障る乾いた音に再び悩ませられることになろう。しかし、もっと迷惑の掛からない"ウォークマン"もあるのである。ローテクと言われそうだが、私は子供の頃から気の向くままに頭の中で勝手に音を鳴らしては、何時までも音楽を楽しんでいたから、あれは脳内ウォークマンなのである。それは時にはドビュッシィの「牧神の午後への前奏曲」や「月の光」であったり、ショパンのピアノ曲やブラームスやチャイコフスキーの協奏曲であったりした。CDなどのデジタル再生装置が普及していない頃だったが、全曲通して楽しむばかりでなく、聴きたいフレーズを繰り返し流したり第二楽章から聴きたいと思えば、いつでも「頭出し」をすることができた。止めたい時はいつでも止められるし、音量の調節も自在。そしてなにより周囲の誰にも迷惑がかからない。恐らくこの脳内ウォークマンは、繰り返し聴き込んでいるうちに自然に聴覚記憶中枢の中に焼きこまれたものだろう。そのライブラリィのひとつにブラームスのピアノ協奏曲第二番、ベーム指揮、 ギレリスのピアノというのがあった。長らく脳内ウォークマンにインプットされていたが、最近では久しく再生されることなく年月が過ぎていた。ある時ふとこれを思い出し、原盤が聴いてみたくなったのでCD店に探しに行き「ベルリンフィル・ベーム指揮・ギレリスのピアノ」を見つけて早速聴いてみた。しかし、実際聴く音が頭の中の曲の流れとどうしても重ならないのである。脳の中に刻み込まれたレコードの溝は、確かに違う調べを再生していた。もし同じ演奏に再会できたら、脳内ウォークマンの旋律とぴったり重なる筈である。かつて聴き、脳内にインプットされたものは別の演奏だったに違いない。恐らく脳内Walkman”のような脳内再生装置は、音だけでなく視覚にも嗅覚にも存在するであろうと思う。「心像」という言葉だけでは表しきれない、もっと動的な、しかし確かな感覚のようなものが存在する事を感じる。喜多郎の作曲譜面は鮮やかな色で描かれたいわば絵画であり、マインドミュージックと呼ばれる感性豊かな旋律はこの絵から奏でられるのである。彼の音楽創作活動は「五感」による脳内再生装置が働いているのに違いない。十五年前に出会った火星に再会するヴェテラン観測者たちは、脳の奥に刻まれた火星像を再生し、その画像の横に新しい現象を重ねて見るのだろうか。いま、新米観測者は「脳内映像装置」に視直径が20秒角に近づいた火星の姿を焼き付けている最中なのだが、どうやらHg氏のおかげで脳内ウォークマンにTINGARAがインプットされていて、火星を覗く毎にゆったりした沖縄音楽の旋律がBGMのように頭の中を流れているのである。 (Ts)

・・・・・・・CMO #245 (10 June 2001) p3018

 

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