1996/97 Mars Sketch (12)
from CMO #209 (25 November 1998)
-- 天網恢々: 中島孝捕捉奥林匹斯山在上午? --
こ |
の夏の初めから、中島孝(Nj)氏と筆者(Mn)は足羽山天文臺での20cm屈折による1996/97年の觀測を
T NAKAJIMA (Nj)'s drawing on
27 Mar 1997 (096°Ls) at ω=079°W
showing some dark stains at the morning side
この27 Marは特異日で、CMO #201のMars
Sketch (3)で扱ったように、伊舎堂弘(Id)氏や筆者もタルシスに對して同じ様な經験をしたわけであるが、その際Nj氏のスケッチは迂闊にも參照されなかった。そこで、27 MarのId氏、Nj氏及びMnの觀測紀録を網羅し、問題のNj氏のスケッチを引用する。從って、この項はMars Sketch (3)の補遺でもある。
コード LCM シーイング 備考
Mn-440D ω=044°W
moderate to good 10:40GMT
Nj-162D ω=049°W 8〜9/10
Mn-441D ω=054°W
moderate ⇔
good (*)
Id-099D
ω=056°W 4/10
Nj-163D ω=059°W 7〜8/10
Mn-442D ω=064°W
moderate to poor
Nj-164D ω=069°W 6/10
Id-100D ω=071°W 6/10
(**)
Mn-443D ω=074°W
poor ⇔ moderate
Nj-165D ω=079°W 6〜7/10
(***)
Mn-444D ω=083°W
poor ⇔ moderate
Nj-166D ω=088°W 7/10
Mn-445D ω=093°W
poor ⇔ moderate
Nj-167D ω=098°W 5/10
Mn-446D ω=103°W moderate
Nj-168D ω=108°W
15:00GMT
Mn-447D ω=115°W
poor⇔moderate 15:30GMT
Nj-169D ω=120°W
Mn-448D ω=125°W
poor
Nj-170D ω=130°W
Mn-449D ω=135°W
poor
Nj-169D ω=130°W
17:10GMT
(*)は#201 p2245のスケッチ、(**)は同じく#201 p2243のスケッチ、そして(***)が今回掲載のNj氏の觀測である。尚、Id-099Dには暗點は出ていない。
ただ、Nj氏の暗點がオリュムプス・モンスかどうかは判断の難しいところである。Id-100の場合アルシア・モンス邊りの暗斑が出ているので、アスクラエウス・モンスと判断されたわけであるが、Nj-165DはId-100と然程時間的に隔たっていないことでアスクラエウス・モンスの可能性もある。オリュムプス・モンスが明確に出ている例としては、CMO #191 p2102に引用したHSTのω=094°Wの青色像があるが、時間的には一時間のずれがある上、アルシア・モンスの描写がないこと邊りが迷う要素である。
Nj氏のObserving-Notesには暗點についての記述がない。彼の記憶によれば、このとき暗點はチラチラと何度も見え、それは暗斑状ではなく、確かに暗點だったそうであるが、ノイズという氣もし、どう處理したものか惱み、氣分が悪かった様である。しかし、暈かすにはクッキリした暗點だった由。もう一つ位置關係について自信がなかった(今もない)様で、寧ろこの點が、オリュムプス・モンスであった可能性を引き出す。
筆者(Mn)のその前後のMn-443D、Mn-444Dには暗斑があるものの、暗點を一度でも捉えた記憶はない。Mn-445Dω=093°Wでアルシア・モンスの暗斑を捉えていて、位置關係から最もオリュムプス・モンスを捕捉する好機であったが、寧ろ例の白斑に氣が取られている上、筆者のスケールではシーイングがやや劣った(27 Marの天氣圖を別に示す)。
Weather
Map near
然し、Nj氏の例は、20cmでもシーイングの波に乗れば可成り内部のタルシス山系の暗點が捉えられることを示し、當然大型のオリュムプス・モンスも然りである。この日は前半が可成りのシーイングであったから、ややωの動きとずれがあった。難しいところである。Nj氏は次のNj-166Dでは捉え損なった爲、結局この日は話題にならず(なったかも知れないが、兩者とも記憶がない)、忘却された。HSTが撮像したのは30 Marであり配信されたのが約二ヶ月後の20 Mayであるから、これも暫く想起を誘うことにはならなかった。
實はこうした場面に出喰わす機會は、長い經験でも數少ない。從って、われわれにも咄嗟の判断が出來ないのである。この時の視直徑δは14.1秒角であったが、視直徑とシーイングそれにωが揃うことは滅多にない。Id氏がこの日ω=090°Wまで觀測していたならば恐らく全部捕捉したろうと思われるが、これもタイミングである。來るべき機會には山頂に雲が現れるまで追跡したいものである。
Nj氏について紹介する機會は少ないが、筆者とは中學校以來の天文仲間、火星觀測は筆者と同じキャリアーを有ち、好きライヴァル、1954年以來長く足羽山天文臺に寄っている。1956年や1973年の大黄雲の觀測者である。これまでに一シーズン中の觀測數で抜きん出ているのは1990/91年期のスケッチ數498葉であるが、1982年以降は常に100點を越えていると思う。1984年期は291點(筆者はこの年足羽山では159點)。その後の活躍は『火星通信』に見られる。最近では、1992/93年が362點、1994/95年が216點、1996/97年が282點であった。Nj氏は『火星通信』の最初からの協同編集者で、OAA火星課では幹事、『天界』に「火星課だより」を書いていた時期もある。1992/93年期の筆者の苦境には好く助けていただいた。1939年生まれで、福井県立高志高校の英語教師を勤めるが、來年停年を迎える。
(Mn:南 政 次)
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