1996/97 Mars Sketch (4)
from CMO #202
(25 April 1998)


-- 080°Ls140°Lsに掛けての北極冠内の亀裂について--


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前回1994/95年接近では北極冠内の様子について云々するのはHSTの結果に拠るのが精々であった。#177 p1871 8 April 1995 (082°Ls)HSTによる北極冠の影像を、マリーナー九号及びヴァイキングに拠る北極冠の094°Ls邊りの影像と比較して、大差ないという結論を得ている。
 これは所謂リマ・テヌイスが存在しないことの議論と關係があった。

 今回は、肉眼觀測でも北極冠内外の様子がかなり詳しく觀測出來た上、季節的に更に遅くまでHSTの觀測紀録が出ているので、以下概觀してみる。
 ♂1996年十二月には既に050°Lsに達していたが視直徑δ7秒角前後で、從ってリマ・ボレアリスの發現は今季は埒外であって、適當な視直徑に到ったときには既にオリュムピアは見えていた譯である。
 一方、カスマ・ボレアレは#186 p2018に報告の様にδ13秒角で伊舎堂弘(Id)氏が25 Feb (083°Ls)に検出されている(Id-054D)

Fig 1: ISHADOH's drawing of the np region on 6 Mar 1997 (087° Ls) at ω=300° W
Fig 2: MINAMI's rough sketch of the np region on 20 Mar 1997 (093° Ls) at ω=137° W

 ♂ Fig 1として約十日後のId氏のスケッチ(Id-070Dに附随する部分スケッチ)を掲げる。6 Mar (087°Ls)ω=300°Wでのものである。シーイングは「上々」とある。この圖でも、オリュムピアの西端が夕縁に見える。
 ♂ Fig 220 Mar (093°Ls)におけるMn-404Dの欄外に描いた部分スケッチで、オリュムピアの東端を捉えている。404D12:40GMTω=134°Wであるが、この部分スケッチはω=137°Wのものである。少し朝霧があると思う。
 同様に、同日ω=149°Wでは日岐敏明(Hk)氏が、ω=152°Wでは村上昌己(Mk)氏が朝方のオリュムピアを觀測している。
 オリュムピアがω=200°W前後にはリマ・ボレアリスを挟んで北極冠の南側に鎮座することは、丁度この頃は我が邦では最接近でもあったから、多くの觀測者によって捉えられている。
 ♂17 Marには阿久津富夫(Ak)氏がω=197°WCCDR)で、18 MarにはMk氏がω=198°Wで、20 MarにはMnω=183°W等で、中島孝(Nj)氏がω=188°W等で、岡野邦彦(Ok)氏がω=196°W(CCDR)で、また、22 Marには森田行雄(Mo)氏がω=191°W(CCDR)等で捉えている。

 そこで、Fig 3として30 Mar (097°Ls)におけるω=200°W邊りのHSTによる北極冠像を掲げる。CM附近の白い斑點がコロレフ火口(196°W73°N)であるから、上の觀測に對應している。オリュムピアが北極冠の南にどの様に鎮座するか明瞭である。
Fig 3: HST image around at ω=200° W on 30 Mar (097° Ls) 1997

 尚、この Fig 3のカラー像を見れば、北極冠内部の朝方三分の一ぐらいが、赤茶けていることが分かる。既に溶解が早く進んでいるわけである。このことは#185 p2002 (英文はp2003)において既に10 Feb (076°Ls)に福井(NjMn)でその前兆を觀測していることを報告してある。つまり、朝方四分の一が黄土色に見え、明るさを落としている、1986年、1988年の臺北での經験からするとここは溶解が速いだろうと言う豫見である。これは、email/faxMk氏により速報された。
實際には10 Mar (089°Ls)HST像の同じ角度のもので、更にこのことは顕著である。これには然しキャリブレーションの不安定の問題がある。HST18 Sept 1996 (011°Ls)において北極冠内に塵雲を觀測したことから、その後、北極冠内のディテールを出す爲に、B光の割合を落としていたのではないか、089°Lsのヘッラスが比較的弱く出ているのもその所爲ではないかと推測される。それが30 Marの像で急に水蒸氣が夏半球を覆っている(#191 p2102)という風な解釋が必要になって、以後B光の割合が増加されたのではないか、と思われるが、それでもこの邊りの黄土色化は著しい。

 次に、#177で紹介した1995年の082°Lsω=282°W邊りの様子と比較するために、17 May 1997 (119°Ls)ω=285°W邊りの像を掲げる(Fig 4)。これは #200 p2234の像 の部分拡大像である(CMOではB光像である)1995年の像に比して視直徑の大きい分だけ鮮明であるが、オリュムピアが可成り(本体よりも)明るく残っていることが明白である。比較の爲にヴァイキングによる094°Ls邊りの鳥瞰像をその下にΩ=270°Wが上に向くようにFig 5として並べる。#177 p1872で使用したものと同じである。
 明らかに本質的な違いは見られない。所謂リマ・テヌイスなるものは見られない。

 

Fig 4: HST image around at ω=285° W on 17 May (119° Ls) 1997
Fig 5: The npc by Mariner 9 and Viking Orbiters

 


 更に、17 Mayの畫像(Fig 4)は、#183 p1985で採りあげたドルフュス氏の1982年の北極冠像と季節的に殆ど變わらないことに注意する。實際そのω=275°Wのスケッチと比較して、非常によく似ている、逆に言えばドルフュス氏の200cmによるスケッチが實に正確であることが窺えるのである。つまり、1982年に於いてもリマ・テヌイスは存在しなかったであろうことは疑い得ない。
やや、違いがあるとすれば、カスマ・ボレアレの切り込みの方向であろうが、これはId氏のFig 1についても言え、円盤の縁に行くほど眼視觀測は難しくなると言うことであろう。

 最後に、Mk氏が1997年の北極冠の影像をω=000°Wに近い方向に限って集めたので紹介する(Fig 6)CMO-Internetではカラーで出るが、CMOではB光像を並べてある。左上の圖は Fig 590°回転させて縦横比を変化させたものである。この方向からは、HSTでもオリュムピアは見難い。角度は一様ではないがカスマ・ボレアレの切り込み状態で判断されたい。
これらの像でMayにはB光の割合が更に増加されたのか、或いは溶解とは逆の過程が進行したのかオリュムピア邊りが強くなっている。
但し、#200 p2236引用の12 Sept 1997 (180°Ls)の像では北極域は殆ど写っていない事に注意する。
Fig 6: The 1997 npc compared with Viking's image    

(Mn/南政次)


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