1996/97 Mars Sketch (3)
from CMO #201 (25 March 1998)
--タルシス三山とオリュムプス・モンスの朝夕雲--
Introduction
♂いつか述べたように、われわれがオリュムプス・モンス等と呼ぶとき、それは火口を意味しているのではない。多くの場合、火口のようなミクロスコピックな對象はわれわれの觀測の埒外である。寧ろモンスと言うとき、それは山に掛かる大きな雲を意味することが多い。從ってモンスと言えば白色であることが多く、また雲は必ずしも火口を中心に對稱に覆うとは限らないから、モンスの位置についてもわれわれの結果は火口からずれたものになる可能性は大きい。
♂こうした北半球夏季の夕方のタルシス山系やオリュムプス・モンスについてはマリナー九號が明らかにしており、所謂"W雲"との関係は當時から好く知られている處である。然し、マリナー九號の後に、ヴァイキング周回船は朝方のこれらの領域を映し出し、例えば1976年六月中旬(083°Ls)にはタルシス三山の火口が黒々と低い霧の中に點在する様子が見出され注目された。黒いアスクラエウス・モンスから西に數百kmの及ぶ獨特な綿羽状の白雲が出ることも知られている。他にヴァイキングでは110°Lsや122°Lsでの紀録がある。
♂黒々とするタルシス三山については、例えば、1894年八月〜九月にバーナードE E BARNARDがリックの90cm屈折で夕方で觀測している例などあるが、これは全く季節が違っていることに注意する。
Morning Clouds
♂北半球の夏の朝方のタルシス三山、オリュムプス・モンスについてのヴァイキングの觀測は部分的な映像に依っていて、朝方の黒々としたタルシス三山が小望遠鏡で見えるかどうかについては筆者に疑念があったのだが、今回の30Mar1997 (097°Ls)のHSTに拠る全面像はこれらを見事に冩し出していて、これは#191 p2102に引用してある通りだが、これを見た段階でわれわれにも十分捉えることが可能だという判断が出來たわけである。
Fig 1: ISHADOH's
drawing (raw) on 27 Mar 1997 (096° Ls) at LCM=071° W (left)
Fig 2: ISHADOH's drawing (raw) on 30 Mar 1997 (097°
Ls) at LCM=069° W (right)
實際、同じコラムに記したことであるが、伊舎堂弘(Id)氏の Id-100D:27 Mar (096°Ls) ω=071°W、Id-101D:30 Mar (097°Ls)
ω=069°Wのスケッチにこれが現れていることを知り、#188の報告でこれを見逃したことが悔やまれたのであった。
而も、この時點でも筆者自身が Mn-441D:27 Mar (096°Ls) ω=054°Wで朝方の黒いアスクラエウス・モンスを見ていることを迂闊にも思い出せていなかった。そこで、#192 p2106 (英文ではp2107〜2108に掛けて)での註になったわけである:内實はこのスケッチでは未だ判断が付かず、次の四十分後の觀測を待った(Observing Notes參照)のであるが、シーイングはその後向上せず、アスクラエウス・モンスは獨立しなかったことで記憶からも消え失せたのである(27Marはω=044°Wからω=138°Wまで觀測していた)。ここではId氏と筆者のスケッチをノートのコピーの儘入れる(Figs 1, 2 & 3)。
♂ その#192での記載は比嘉保信(Hg)氏の5May (114°Ls)のω=089°Wを中心とするヴィデオ觀測で三山が捉えられていることにも拠っている。これも圖參照(Fig 4)。
♂クアッラ(GQr)氏の8Apr (101°Ls)の写真(Fig 5、及び#189 p2069參照)にも暗い斑点の繋がりが見えるのでご覧頂きたい。
Fig 3: From a page of MINAMI's sketch book
(on 27 Mar 1997 (096° Ls) at LCM=054° W)
Fig 4: Yasunobu HIGA's images on 5 May
(114° Ls) at LCM=089° W (left)
Fig 5:The CCD Images by QUARRA and his colleagues on 8 Apr (101 ° Ls): See the
blue image at 21:30GMT at LCM=097 ° W (right)
♂またその後トリノのタンガ(PTg)氏は13Apr(104°Ls)に42cm屈折でタルシス三山を明瞭に見ていることを知った。ここではω=063°Wを引用する(Fig 6)。
♂然し、火口の描冩より、GQr氏のCCD像でもHg氏の像でもアスクラエウス・モンス邊りの大きな明るい白斑が特徴の一つとなっていることに注意する。これはアスクラエウス・モンスの火口ではなく、西側の山腹に擴がる明るい大きな雲であることがHST像(#191 p2102)では明白である。筆者はこれをアスクラエウス・モンスと呼稱しているわけで、#188
p2050の筆者の模式圖では一等右側の圓い hazed
(whitish) 領域に相當する。
Fig 6: Paolo TANGA's
drawing at
Fig 7: 1982 Mars by
Mn (on 18 Apr 1982, 114° Ls)
at LCM=092° W by use of 450×15cm Refr (App.Diam.=14.3") (right)
♂HST像の圖柄でのもう一つの特徴は、アルシア・モンスの邊りは densely reddishになっていることで、青色光では可成り濃い不定形領域になっている(MGSからの像にもこれが見られる。 CMO#196
p2177 / p2178
參照。但し、繰り返しになるが、これらは朝方の様子である)。實はこれらはGQr氏などの像にも現れているが、Id氏の27Marのスケッチにはこの不定型な暗斑が見事に描かれていることに注意する。筆者も同日ω=093°Wで、このタイプのアルシアを見ている。ヴァイキングの時代から、朝方のアルシア・モンスの邊りは比較的雲が發達しないことは知られている。このことは後で議論する。パウォニス・モンスはId氏の場合でも見辛かったようである。
♂尚、1982年にもアスクラエウスの朝方の雲は觀測されているので、筆者の15cm屈折でのスケッチから例を挙げておく(114°Ls, Fig 7)。
Evening Clouds
♂一方、下午のタルシス山系やオリュムプス・モンスは、雲に覆われる。#185、#188報告のように二月の段階でこの様子が好く觀測され、特にオリュムプス・モンスについてはその明るい雲が午後になるに聨れて綿毛のような見事な様相を見せていたが (Fig 8)、三月の衝 (17Mar、092°Ls)の頃には、幸いオリュムプス・モンスの南中が日本から觀察出來た (Fig 9)。
Fig 8: Cotton-ball like Olympus
on 10 Feb 1997 (076° Ls, δ=11.5", Ι=25°) at ω=165° W
Fig 9: Y HIGA's
images
on 20 Mar 1997 (093° Ls) at ω=142° W (right)
♂#188 p2048で述べてあるように、例えば中島孝(Nj)氏と筆者は18Marに交互にアイピースに取り憑いてオリュムプス・モンスのCMTタイミングを行ったが、結果は雲の中心はω=135°Wと出ている。實際には火口の位置は美國地質調査所の結果ではω=133°Wであるから、多分雲が西側の山腹に偏っていることを示しているのであろう。尚、正午頃のオリュムプス・モンスは然程顕著では無く、緑色のフィルターなどを多用しての觀測である。
HST image of Olympus
Fig 10: on 10 Mar (089° Ls)10 Mar (left) ,
Fig 11: on 30 Mar (097° Ls) at ω=195° W (right)
♂HSTの10Mar (089°Ls)の撮影像によれば、午後のオリュムプス・モンスの西側の山腹に雲があり、更に西(もしくは北西)に棚引いていることが判る(Fig 10)。
30Mar (097°Ls)の像(ω=195°W)では更に夕方の様相で、火口の上にまで雲が懸かっているようである(Fig 11)。
♂尚、補足するのは、午後にはオリュムプス・モンスのタルシス山系の間に暗帯が走ることである。これはHSTのカラー像では顕著ではないが、青色光では出てくる。1982年等にも見られたこと(Fig 12)で、肉眼の觀測はかなり青色光觀測をカヴァーすることから出る違いである。今回のこの暗帯の觀測についてはファルサレッラ(NFl)氏の觀測などがある(CMO #186
p2021, p2023參照)。
Fig 12: Olympus
Diurnal Change of Clouds
♂扨て、今回のシーズンは北半球の夏を中心に氣象が展開したことは前回 (1996/97 Mars Sketch(2))
で概觀したとおりだが、大まかな特徴は、
1) 北極が暖まり、極から赤道への上層大氣の移動があること。
2) その際、北半球では偏東風が生じること。
3) 一方、中緯度では正午帯は高温になり、朝方には西風が吹き、夕方では東風が重なる。そして、
4) 北極冠の溶解に伴う水蒸氣の移動が伴っている。
等を指摘した。
♂前回1995/96年接近の際問題になった050°Ls邊りでのアルバの現象については當然、水蒸氣の南下が最初に出會う高地としてアルバがあったわけである。
♂更にその延長としてのオリュムプス・モンスを例に挙げると、この邊りが下午に入るに連れて、下層部の東風と上層の偏東風は重なり、山腹の東側を氣塊が這い上がり、恰も上昇氣流のようになる。而も、標高は27kmと言うから山頂山腹は長く日射を浴び、(地球の場合と違って) 熱源になっているから (滑昇霧は起こらず)、上昇してきた雲は更に山頂を越え、西側高くに至ってやっと凝結するということになる。これは多分山腹から離れてかなり高いものであろうと思われる。尤も山岳雲の一種ではあろうから、風下では附随する山岳波(上昇氣流と下層氣流の繰り返し)を作るであろうが、地球の場合と餘程違っている可能性がある。HSTで見る限り、ロール雲等は不明確である。多分熱源の影響があるであろう (Fig 10)。これはMGS等で細かく明らかになるだろう。
♂タルシス三山も下午では似たような振る舞いを示すであろう。ただ、アスクラエウス・モンスに比べて、アルシア・モンスは南半球のため、水蒸氣の影響は遅延して受けることになる筈である。
♂朝方のタルシスも矢張り偏東風を受けるが、低空では違っている。從って、上層では矢張り山岳雲に似たものが出來るであろうが、山塊は熱源としても充分でなく、西側の風下雲の發達はやや低いものであろうと思われる。
♂一方、夜明けを迎えたこの地方は當然低温の地面に接して移流霧が生ずるわけで、これらが風下雲と共鳴して、朝方の複雜な雲塊を作るものと思われる。アスクラエウス・モンス(10°N)の朝雲はこの典型であろう。
♂その中でアルシア・モンスが獨り雲の影響が少なく不定型な暗部を見せているのは、位置が南半球にあって(10°S)で、北半球のアスクラエウス・モンスのような偏東風の影響を受け難い爲、山腹での上昇氣流が弱いからであろうと思われる。
♂こうした移流霧は當然正午に近附くにつれて霧散して行く。山岳系の雲は若干残るであろうが、午後での強い發達に比べると比較にならない。前述の30MarのHST像は午後4時頃の像であるが、この頃のオリュムプス・モンスを覆おう上昇雲は風下雲だけでなく山頂までも覆っているし、可成り濃密度のものである (Fig 11)。
(Mn/南政次)